「人を用ふるの者は能否を択ぶべし。何ぞ新故を論ぜん」(*)

出所:「戦国武将のひとこと」(丸善)

冒頭の言葉は、

  • 「部下(家臣)の能力を見極めて、適材適所で仕事を任せることが組織づくりの要である」

ということを表しています。

信長は従来の因習や決まり事などを打ち破り、独創的な発想で政治に取り組みました。その1つに有名な、楽市・楽座令の発布が挙げられます(楽市・楽座令の発布は信長以外の戦国大名によっても行われましたが、特に信長が発布したものが有名です)。

楽市・楽座令の発布は戦いによって荒廃した市場の復興や、新設市場・新城下町の繁栄を目的としたものです。信長は既得権を廃止し、参入障壁を取り除くことで、自由競争を促しました。

また、戦いにおいても、信長は当時の最新兵器である鉄砲を導入するなど、常に新しい取り組みによって、天下統一まであと一歩というところまで上り詰めました。

信長の躍進を支えた要因の1つに、部下との密なコミュニケーションがあったといわれます。次の言葉からも信長がそれを重視していた一端をうかがい知ることができます。

「およそわが命ずるところ便(びん)ならざるものあらば、即ち来たりこれを争え。われまさに改めんとす」(**)

この言葉は家臣の柴田勝家(しばたかついえ)に越前国(現福井県)を任せた際に宛てた書状に記されたものです。独創的な発想に優れていたものの、家臣に対して、時には冷酷な処罰を下したとされる信長は、どちらかと言えばワンマンなイメージが強いのではないでしょうか。しかし、この言葉からは信長が何でも独断するのではなく、家臣の意見に耳を貸すリーダーであることが分かります。

ちなみに、信長は長きにわたって仕えた家臣である佐久間信盛(さくまのぶもり)とその息子が本願寺を攻略できなかったことに対して怒り、折檻(せっかん)状を書いて、追放しています。その折檻状の中には、信盛親子が武力をもって期待通りの働きができないならば、謀略を巡らし、足りない部分については、信長に報告して意見を求めるべきであるのに、それすらしないとして、信盛親子の無策を断じています。

もしかすると、信盛親子があらかじめ信長に状況を報告し、策を相談していれば、追放されることはなかったかもしれません。

生き馬の目を抜く戦国時代、判断の遅れは命取りになります。特に、領地が広がるにつれて、信長1人では全ての領地の状況を把握し、つつがなく治めることは不可能です。

そのため、信長の命令を順守することが前提ではあるものの、勝家には北陸方面、豊臣秀吉(とよとみひでよし)には中国方面などのように、信長は信頼できる家臣に領地を任せました。それによって、いち早く情報を収集し、新たな発想の源泉や判断材料としたのでしょう。

結局、信長は家臣の明智光秀(あけちみつひで)の裏切りに遭い、天下統一の夢を果たすことができませんでした。光秀が信長を裏切った理由は定かではありませんが、信長と光秀の間で、組織としてのビジョンや戦いの目的が共有できていれば、事態は違う展開を見せていたかもしれません。

戦国時代のような、日常的に命の危険にさらされている場合、組織においては裏切りはもとより、少しの足並みの乱れも許されません。組織一丸となって敵に当たる必要があるものの、そのためには家臣おのおのが組織としてのビジョンや戦いの目的を理解し、そこに意義を見いださなければ、命を賭して戦うことはないでしょう。

現代のビジネスにおいては、戦国時代のように命を賭すといったような極端な場面に遭遇することはありません。しかし、組織が一丸となって困難な状況を打開する場面はたくさんあります。そうしたときに必要となるのは、リーダーが日ごろから部下の話に耳を傾けることでコミュニケーションを図り、組織のビジョンを部下に理解してもらうことです。

信長のエピソードからは、迅速な情報収集と部下への接し方という、現代の経営にも通じるリーダーの在り方を学ぶことができます。

【本文脚注】

本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。

【経歴】

おだのぶなが(1534~1582)。尾張国(現愛知県)生まれ。尾張国を統一し、天下統一を図る。本能寺の変にて自害。

【参考文献】

(*)「戦国武将のひとこと」(鳴瀬速夫、丸善、1993年6月)
(**)「心に響く勇気の言葉100」(川村真二、日本経済新聞出版社、2011年11月)
「信長公記 現代語訳」(太田牛一(著)、中川太古(訳)、KADOKAWA、2013年10月)
「戦国武将の名言に学ぶ」(武田鏡村、創元社、2005年8月)

以上(2020年2月)

pj15142
画像:Josiah_S-shutterstock

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