映画やコミックなどで大人気の「鬼滅の刃」は、皆さんの多くがご存じでしょう。今朝は、鬼滅の刃で登場する「鬼」を例にして、会社をより良くするための1つの考え方について話をします。
鬼滅の刃で登場する鬼は、人間を食べることによって、永遠の命や強靭(きょうじん)な肉体を得ていきます。その一方で、鬼として“成長”するほど人間性を失ってしまいます。身内を含めた他者を犠牲にしないと生きることができず、人間としての尊厳を失っていくわけですから、鬼は悲しく、むなしい生き物だといえます。
相手を犠牲にするだけの関係性しか持てない「鬼」のような存在は、身近にもいます。この機会に、我が社に鬼がいないか確認してみましょう。
まず、我が社と取引先との関係を考えてみます。主客の関係は良いのですが、主従の関係になっていませんか。正当な取引ですから、本来は我が社と取引先の両者が得をする関係であるべきです。調達先に対して、価格や納期などの面で無理強いをしていませんか。逆に納入先から、言われるままの存在になっていませんか。納入先に対し、有益な価値を提供し、その正当な対価を得る、という対等な関係が作れているでしょうか。
次は、我が社と社会との関係です。私たちは事業を営む上で、インフラなどの公共サービスやコミュニティー内の人のつながりなど、地域社会から有形無形の恩恵を受けています。そこに目を向けず、自社の利益だけを求めていないでしょうか。
環境問題への対応はどうでしょうか。忙しさに流されて、電力や紙などの資源を浪費していませんか。リサイクルに取り組めば減らせるゴミを出し、必要以上に環境に負荷をかけていませんか。
最後に、私たちにとって最も身近な、社内の同僚との関係を考えてみます。例えば、社内で何らかのトラブルがあったとします。そのとき、原因を同僚の誰か一人に集約して、問題を矮小(わいしょう)化させていませんか。本来はトラブルの未然防止や事後対応のため、自分に何ができたのかを省みるべきなのに、自分に火の粉が降りかからないようにすることばかり考えていませんか。そればかりか、思い通りに仕事が進まないのを、同僚の誰かのせいにしていないでしょうか。
社会の一員として、我が社も皆さんも、誰かと競争をするのは当然であり、その結果、利益を得ることも損をすることもあります。ですが、競争と誰かを犠牲にすることとは、全く違います。社会の規範にのっとり、会社や社会がより良くなることと矛盾しない範囲内で競い合うのが競争です。それを逸脱すれば、鬼と同類だといえます。
こういう私も含めて、誰もが鬼になる可能性があります。私が恐れるのは、知らないうちに鬼が私たちの心の中や社内に巣くっていき、社風として根付いてしまうことです。初期の段階で鬼の存在に気付きさえすれば、簡単に修正できます。皆さん、自分の中に鬼になる要素がないかどうか、見つめ直してみてください。
以上(2021年3月)
pj17045
画像:Mariko Mitsuda