私は大相撲が好きで、テレビで観戦することも多いのですが、大相撲に関心のない人にも、ぜひ知っておいてもらいたい力士がいます。それは照ノ富士(てるのふじ)関です。照ノ富士関は2021年の三月場所で見事に優勝し、大関、つまり横綱に次ぐ番付に昇進しました。
実は、照ノ富士関はそれ以前にも大関だった時期がありました。ところが、膝のけがや病気などで本来の力を発揮できなくなり、大関から陥落します。その後も負け越しや休場が続き、番付は下から2番目の序二段にまで落ちてしまいます。
大関まで上り詰めた力士は通常、大関から陥落したときや、幕下という「関取」でない番付に下がったときに引退します。相撲は実力がものをいう世界で、番付によって給料はもちろん、付け人と呼ばれる世話係の有無、食事の順番など、待遇が大きく変わります。大関まで経験した人であれば、絶頂期と比べて天と地ほど違う待遇を甘んじて受けるより、「元大関」という肩書で第二の人生を歩むほうが、自然な選択といえます。
特に照ノ富士関は、横綱になることだけを考えてきたので、夢をほぼ断たれた状態でもありました。何度も師匠に引退したいと伝えたそうですが、そのたびに慰留され、まずはけがや病気の治療に専念することにしました。やがて、膝を手術し病気も回復してくると、再び土俵に立つことを決断します。そして、序二段から再スタートし、約2年かけて大関に返り咲くことができたのです。
照ノ富士関が大復活できた1つの理由は、本人も感謝しているように、引退を慰留し続けた師匠や、番付を落としているときに入籍した奥様をはじめとする周囲の人の支えがあったからです。
ですが最も大きな理由は、どんな状況になっても頑張り通せた照ノ富士関自身の前向きさにあると思います。体が言うことを聞かない、横綱になるという目標からどんどん遠ざかる、待遇が悪くなる、これまでの支援者が少なからず去っていく。失っていくものを見ていたら、キリがありません。ですが照ノ富士関は、それでも応援してくれる人のほうを見て、「応援していてよかった」と言ってもらえるように頑張ったといいます。
けがや病気に対しても前向きに取り組みました。再発を防ぐために、膝の負担が大きい力任せの相撲を改めるとともに、病気の一因となった酒を絶ちました。そして次第に、低い番付からの昇進を2度経験するのは、「どんな大横綱でも味わったことのない楽しさを味わっているのかも」と考えるようになったそうです。
私たちも、仕事で失敗したり思い通りにいかなかったりして、「もう辞めたい」と思うことが何度もあるはずです。そんなときは、照ノ富士関のように、「こんな自分でも、まだ期待してくれている人がいる」「ピンチだけど、こんな経験は何度もできない」と前向きに考えたいものです。そうすれば、もう少し踏みとどまって頑張ってみよう、という気持ちになれるはずです。
以上(2021年5月)
pj17053
画像:Mariko Mitsuda