書いてあること
- 主な読者:現在・将来の自社のビジネスガバナンスを考えるためのヒントがほしい経営者
- 課題:変化が激しい時代であり、既存のガバナンス論を学ぶだけでは、不十分
- 解決策:古代ローマ史を時系列で追い、その長い歴史との対話を通じて、現代に生かせるヒントを学ぶ
1 事業承継に見られる「お家騒動」と「二代目」
経済やビジネスのニュースを見ていると、時折、企業の事業承継での「お家騒動」が取り上げられます。江戸時代の大名家における内部抗争を指す「お家騒動」という言葉が使われているあたりも含め、面白おかしく、滑稽な話のように扱われていますが、古今東西、こうした問題は数多くあり、どんな企業にでも起こり得る話です。
こうした「お家騒動」は、初代の創業者やカリスマ的な経営者から、次の担い手に引き継がれる際に起こることが多く、ここ数年、マスコミを賑わせた「お家騒動」もまさにそうでした。
そうした中で「二代目」というテーマが取り上げられ、いろいろな論評がなされるわけですが、これも面白おかしく取り上げたいからか、親子や親族内での事業承継の「二代目」について多く書かれています。
しかし、本来的に考えるべき「二代目」論は、親子や親族内の話に限定することではなく、また順番として二番目に該当する者に限ることもなく、もう少し実態的に広く捉えて考えるべきでしょう。
すなわち、初代の創業者や、初代でなくともカリスマ的な経営者から事業を引き継ぐ次の担い手という、広義かつ実態的な「二代目」です。さらに身近なイメージで言えば、画期的なアプローチで素晴らしい功績を作った先輩上司から業務を引き継いだ、担当者も含めるべきかもしれません。
いずれにせよ、こうした「二代目」に円滑に引き継ぎ、引き継がれ、さらに成功の軌道に乗せて走らせることは大変難しく、ビジネス上、慎重を要すべき重要なテーマなのです。
2 「二代目」の難しさ
では、「二代目」にはどのような難しさがあるのでしょうか。一般的に企業には、半永久的に継続していくという社会的責任があると考えられており、理念上も会計上もゴーイングコンサーン(継続企業)の前提が置かれています。こうした前提の下、「二代目」は、前任者が成功の基礎として築き上げた手法や仕組みが、属人性を排してもなお、永続性を持って維持していくことが求められるのです。
前任者が成功という結果を出している以上、大きな変更を加えることにはリスクが伴います。しかしながら、前任者が担っていたときと、環境や状況が変化していれば、勇気を持って変えていかなければなりません。
また、前任者の属人的な能力や性格などに依存していた部分は、曖昧さを排除し、客観性のある規範を定め、補完しなければなりません。こうして前任者の手法や仕組みに手を加えている中で、業績が下がってしまうと、それは全てこの「二代目」の責めに帰するわけですから、強靭な精神力がなければ、とても務まりません。
属人性を排することを進める一方で、「二代目」は、前任者の一身に寄せられていた信頼を、前任者とは異なる形で築かなければなりません。これは相矛盾するようなことではありますが、「二代目」は地位や権限をポンと与えられたかのように見られがちなので、属人性を排するという組織運営上正しい変化であったとしても、信頼が醸成されない中で、それを進めようとすれば、前任者の信奉者たちを中心に反対勢力が作られてしまいます。前任者の輝かしい功績がある中で、前任者とは異なる形であっても、信頼を醸成していくことは、時間も工夫も努力も必要で、この点でも強靭な精神力が求められます。
3 重要な鍵を握る「二代目」の役割
歴史を振り返ってみても、「二代目」が重要な鍵を握っているように思われます。何代にもわたって続いた王朝、国家などを見てみると、地味ながらも「二代目」が為政者として君臨したからこそ、その後の長い治世が続いていったように思えます。
私たち日本人にとって分かりやすいのは、江戸幕府の二代将軍徳川秀忠でしょうか。大河ドラマなどでの扱われ方からも分かりますが、初代将軍家康や三代将軍家光ほどの存在感はないものの、無難にバトンをつないだイメージが浮かびます。実際、江戸幕府の基礎を固めた為政者として高く評価する意見も少なくありません。
ローマ史においても「二代目」が重要な鍵を握っています。初代皇帝アウグストゥスも、ユリウス・カエサルのビジョンを引き継いだという点では「二代目」に当たるでしょう。カエサルが描いた絵を、アウグストゥスが現実に構築したという関係です。
ただし、この現実に構築されたローマ帝国を元首として引き継いだのは第二代皇帝ティベリウスで、当たり前ですが、彼こそが「二代目」です。歴史上、あまり取り上げられることがなく、賛否両論ある皇帝ですが、人間の強さも弱さも持ち合わせており、「二代目」を考える上での好材料のように思います。
4 ティベリウスの「二代目」としての手腕
ティベリウスは、「二代目」になるべくしてなったのではなく、消去法的に選ばれてしまった皇帝でした。アウグストゥスは、血縁者を後継者とすることに執着していたのですが、後継者候補が次々と亡くなってしまい、66歳になって、妻リヴィアの連れ子で45歳になるティベリウスに後継を託すことにします。アウグストゥスとティベリウスの間には、この後継者問題を含め、微妙な経緯や複雑な関係があったので、引き継ぐほうも引き継がれるほうも、お互いに難しい決断と決意が必要でした。
アウグストゥスは、ティベリウスの実力も実績も認めていましたが、血のつながりのないティベリウスを後継者にすること自体、大きな失意の中で決めたことでした。一方、ティベリウスも、消去法的に選ばれ、かつ甥に当たるゲルマニクスが皇帝になるまでの中継ぎでしかないことが公然と示されている中で、強大な権力と地位を引き継がねばならないという責任と重圧がありました。しかし、実直なティベリウスは、何度か固辞したものの、自分の責任と使命を理解し、これを仕方なく引き受けたのです。
皇帝となったティベリウスは、アウグストゥスの基本方針を継承しつつも、全く異なる形で政治を進めます。これは、「二代目」としてはそうせざるを得なかったといえるでしょう。アウグストゥスの治世においては、街道、水道、橋、港湾、浴場、劇場等の建設といった公共工事が積極的に進められましたが、ティベリウスはこれらを最小限に留め、もっぱらそれらの保守に徹しました。
ローマ市民と元老院の承認に支えられた皇帝という地位を考えれば、人気取り政策としての新たな公共工事が当たり前であった中で、緊縮財政を旨としたティベリウスの判断は、ローマ市民には異様に映ったかもしれません。剣闘士試合や競技会のスポンサーを降り、元老院議員への経済的援助を制限し、賜金というローマ市民へのボーナスも打ち切りました。増税はしないという信念の下で進められた数々の緊縮財政政策は、より大切なものを維持し、未来につなぐために進められたのですが、多くの不評を買うことになりました。
しかし、ティベリウスは意に介さず、着実に進めていったのです。ローマ国家としての方向性は維持しつつも、国家の財政状況や社会環境の変化に合わせて、勇気を持って、異なるアプローチを取った点は、「二代目」として求められる絵姿ではないでしょうか。
5 「二代目」が作ってしまった恐怖政治
しかし、前任者とは異なる形で、信頼を醸成していくという点では難があったようです。カエサルやアウグストゥスが独裁的な国家運営を志向したのに対して、ティベリウスは、帝政という政体を継承しつつも、元老院と協力し合う独裁的ではない国家運営を理念として強く持ち、それを志向しました。
先帝アウグストゥスから権力を譲られた形のティベリウスは、自身の才能や力量に不安を覚え、元老院に真摯に協力を求めたのです。そして、そのための努力も重ね、互いの信頼を築こうとしました。しかし、元老院にはもはやその意欲も気概も能力もありませんでした。
自分たちの利害にだけ関心を示し、重要な国政については皇帝に委ねるだけとなっていた元老院を目の当たりにし、ティベリウスは深い失望と幻滅で嫌気が差してしまい、ローマから遠く離れたカプリ島に引き籠もってしまいます。今で言えば、「二代目」の社長が取締役たちに失望して、出社しなくなってしまったようなものです。
しかし、ティベリウスは、決して責務を投げ出したわけではありませんでした。責任感の強いティベリウスは、情報収集と命令伝達の仕組みを使い、実に的確に遠隔から統治を続けたのです。しかし、この的確な遠隔統治は、元老院など不要だということを突き付けたに等しく、皮肉なことに、皇帝による独裁的な国家運営の強化という結果を招きます。
遠隔からの指示に従う忠実な手足が必要だったティベリウスは、その筆頭に近衛軍団長官セイアヌスを抜てきし、この手足を使って、皇帝に敵対する親族一派を一掃します。その後、セイアヌスの陰謀情報をつかんだティベリウスは、セイアヌスを奸計(かんけい)に陥れて処刑し、その一族一派を徹底的に粛清しました。
こうした混沌の中で恐怖に駆られた元老院議員たちは、自らも恐怖政治に加担するかのように、告発合戦による潰し合いを始めますが、人員整理にはちょうどいいと考えたのか、ティベリウスは静観し、放置しました。
6 成果や実績を評価することの難しさ
これら晩年のティベリウスの治世は、恐怖政治として歴史に刻まれています。確かに、統治者として、リーダーとして、これらの振る舞いは非難されて当然です。しかしながら、より大きな流れで見た場合、「カプリ島から出ずとも敵を一掃できる力を示し、恐怖と脅威を与えたことで、皇帝の権威を高め、帝政という政体を揺るぎないものにした」という評価も可能であり、ローマ帝国を盤石にした「二代目」として論じることもできるのです。
人々に恐怖を植え付けたティベリウスの死は、ローマ市民に歓喜をもたらしたそうです。一方、19世紀の歴史家モムゼンは、ティベリウスを「ローマが持った最良の皇帝の一人」と称賛しています。どちらの評価が正しいのでしょうか。
大きな業績を残し、評価が高かった経営者でも、任を退いた後、業績が落ち込み、長期的な戦略ミスを問われることがあります。ある時点において真実だった評価も時間の経過とともに変化し得るのです。一つ一つの判断がどのような結果を導き、どのように評価され、またそれがどのように変化するのかは、誰にも分からないのです。
ティベリウスはどのように思っているのでしょうか。歴史に残されたティベリウスの行動などを見ていると、評価などは気にせずに、そのときそのときの自分の判断を大事にした、と言いそうな気がします。そういうところが「二代目」に必要なのかもしれません。
以上(2021年10月)
(執筆 辻大志)
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