先日、父と母と3人で、あるタレントさんが登場するテレビ番組を見ていました。そのタレントさんは、長年芸能界で活躍している大スターです。今でも面白いトークを展開する方なのですが、最近は高齢のため、滑舌やはつらつさなどは、さすがに昔に比べると衰えてきています。そんなタレントさんを巡って、父と母が軽い口論になりました。

母「この人も年を取ったね。さすがにそろそろ引退したほうがいいんじゃないかしら」

父「ばかなことを言っちゃいけない。衰えても、応援してくれるファンがいる限り、頑張らなきゃいけないのがスターってもんだ」

母「これ以上衰えを見せたら、それこそファンが悲しむでしょう。潮時を見極めるのもスターの務めじゃないの?」

結局、この口論は私が「まぁまぁ」と間に割って入ったことで終わりました。

父と母の口論を振り返ると、父も母も「ファンを悲しませない」という視点に立っていて、私はどちらの言い分も一理あると思いました。だからこそ、仮に自分がこのタレントさんと同じ立場に立った場合、衰えてでも活動を続けるのか、あるいは引退するのか、その選択が非常に難しいと感じました。前者を取れば衰えを気にするファンが、後者を取れば活動継続を希望するファンが、それぞれ悲しむことになるからです。

ただ、そんなことを考えていたとき、私はふと「ファンを悲しませないことだけが、ファンを大切にすることになるのかな」と疑問に思いました。なぜこんな疑問が出てきたかというと、数年前に野球選手を引退したイチロー氏の言葉を思い出したからです。

イチロー氏は引退会見で、「引退に当たって後悔や思い残したことはないか」と質問され、「あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません」と答えていました。「あんなもの」とは、その日の引退試合での観客の歓声のことです。イチロー氏は、母国の日本で引退試合を行い、多くの日本人の目の前で最後の勇姿を見せてくれました。ファンにとって最高の舞台で、「引退の悲しみを上回るほどの喜び」を与えたイチロー氏の去り際は、実に爽やかでした。

私たちは、一ビジネスパーソンですが、ある意味で「ファン」ともいうべき、大切なお客さまがいます。そして、私たちが会社に属している以上、定年退職や部署異動などによって、いつかお客さまとの別れのときがやって来ます。そんな引退の時期が来たとき、私は、お客さまから「ただ悲しまれるだけ」で引退していくような社員にはなりたくありません。商品やサービスを通じて、引退の悲しみを上回るだけの喜びを与え、「ありがとう」と感謝されながらお別れしてもらえるような、そんな社員になれるように、業務にまい進したいと思います。

以上(2021年10月)

pj17074
画像:Mariko Mitsuda

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