こんにちは、弁護士の市毛由美子と申します。シリーズ「民法改正と契約書の見直し」では、2020年4月1日から施行される改正民法に伴い、契約書をどのように見直す必要があるのかについて、具体的に説明していきます。
今回の改正では、消滅時効、法定利率、定型約款などの債権に関する規定が見直され、1896年に現行民法が制定されて以来の大改正となります。企業は改正に備えて、自社の契約書の見直しなどを行っておく必要があります。
第1回は、改正民法において頻出する「社会通念」などの概念や、改正民法を踏まえて契約書上で明確にすべき点について扱います。
1 改正民法を読み解くキーワード
改正民法では、「契約その他の債権(債務)の発生原因及び取引上の社会通念に照らして」という用語が頻繁に使われています。改正法案について長年議論を重ねてきた法制審議会の記録を見ると、この「契約及び取引上の社会通念に照らして」という表現の採用に至るまでには、相当な議論を重ねたことがうかがえます。
そこで今回は、改正民法に共通する用語として、この「契約その他の債権(債務)の発生原因及び取引上の社会通念」が何なのかを説明するとともに、それが具体的な契約書にどう影響するのか、を説明したいと思います。
2 「契約の趣旨」と「社会通念」は対立する概念?
これらの用語について法制審議会(部会)では、特に履行不能や特定物債務の保存義務などについて、深く議論がなされてきたようです。
例えば、「履行不能」の判断基準としては、1.「社会通念上」不能といえるかという契約外在的基準と、2.「契約の趣旨に照らして」不能かという契約内在的基準があるとされています。
1.の「社会通念」とは、人間社会の暗黙の了解や、一般的に受け入れられている「常識」「良識」「見解」という意味で、社会共通の物差しのようなものです。
2.の「契約の趣旨」とは、「契約の目的、性質(有償か無償か等)、対象、当事者の属性、契約締結に至った事情その他契約に関する諸事情」を含む概念であると説明され、当事者の個別具体的な事情を意味する言葉とされています。
そうなると、「社会通念」は、「契約の趣旨」と対立する概念のようにも考えられますが、改正民法では、「契約その他の債権(債務)の発生原因及び取引上の社会通念に照らして」という表現を採用し、1.と2.を「及び」という接続詞で表現しています。
これは、契約の趣旨に照らして判断する際、当事者の個別具体的事情等の他、社会通念をも考慮して評価、判断する、すなわち、社会通念も考慮要素として取り込んだ契約の趣旨に照らして判断するという趣旨だと説明されています。なお、最終的な改正民法の用語は、単純に「契約」とされていますが、これは「契約の趣旨」と同義と考えてよいようです。
また、契約と併記されている「その他の債権(債務)の発生原因」とは、契約以外の債務の発生(例えば、交通事故等の不法行為による損害賠償債務)の場合を含むことを意味しています。
3 条文では
具体的に、「契約その他の債権(債務)の発生原因及び取引上の社会通念」などの文言が入った改正後の条文は次の通りです。
(錯誤)
第95条
1.意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
(特定物の引渡しの場合の注意義務)
第400条
債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、契約その他の債権の発生原因及び取引上の社会通念に照らして定まる善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。
(履行不能)
第412条の2
1.債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは、債権者は、その債務の履行を請求することができない。
(債務不履行による損害賠償)
第415条
1.債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
(特定物の現状による引渡し)
第483条
債権の目的が特定物の引渡しである場合において、契約その他の債権の発生原因及び取引上の社会通念に照らしてその引渡しをすべき時の品質を定めることができないときは、弁済をする者は、その引渡しをすべき時の現状でその物を引き渡さなければならない。
4 紛争予防のために契約書で明確にすべきこと
前述の通り「社会通念」は、社会で共有されている物差しのようなもので、個人の事情によってブレないことを前提とした概念ですが、「契約の趣旨」は個別具体的事情となりますので、当事者間でその認識や言い分が違うと、紛争の原因になる可能性があります。
そこで、「契約の趣旨」のうち、契約には必ずしも書かれていない「目的」「当事者の属性」「契約締結に至った事情」といったことも、契約書に確認的に書いておくことは、紛争予防や裁判時の判断要素の証拠として意味があるといえます。
ただし、日本の裁判では、自由心証主義(民訴法第247条)が採られているので、裁判官は、契約書に記載されていない事実も契約の解釈にあたり斟酌(しんしゃく)することができます。よって、契約書に書かれていない事情でも、裁判で判断要素として採用してもらえる可能性もないわけではありません。ただ、その事情の内容に争いがある場合には、契約書の記載があると証拠となりうるので、尋問その他の煩雑な立証の手間が省けるということです。
5 英文契約書のWhereas Clauseは参考になる?
英文契約書では、日本語の契約書では通常見かけない長い前文があり、その中に、いわゆる「Whereas Clause」が記載されていることがあります。例えば、次のような契約に至った経緯や、当事者の立場・要望について記述がなされます。
WHEREAS, the Buyer desires to purchase a certain kind of materials for the Products, and, WHEREAS, the Seller is a manufacturer of such kind of materials, and desires to sell them,
Whereas Clause は、英米法系の契約固有の考え方や歴史に沿って書かれるようになったもので、それ自体で拘束力を持つものではないとされていますが、それでも、当事者の間で本契約の権利または義務の内容などに関する解釈や意見が異なったような場合に、解釈の基準ないしは参考として機能することがあります。これは、改正民法で、契約の解釈基準の1つとして明記された「契約の趣旨」に類似したものとなりますので、このような前文の記述も参考になるかもしれません。
6 事情を書く場合、有利にも不利にも働く可能性のあることに注意する
ただし、これらの事情を契約書の中に盛り込む場合、それが契約の解釈基準になるということは、当事者の立場によって、その記載が有利にも不利にも働く可能性がある点に注意を要します。よって、動機や経緯が書かれるのであれば、その波及効果について慎重な考慮を要すべき場合が出てくるのではないかと思われます。
例えば、離婚時の財産分与の契約において、一方当事者が財産分与は課税されないという認識に基づいて合意した場合、その認識が契約書上の経緯として記載されていることで、錯誤取消を主張される可能性があります。取消のリスクを回避するためには、一方が契約の前提として記載された認識自体が正しいかどうかの確認をしなければならないことになりますが、実際には、そのような確認が現実的でないまま調印に至るという場合も少なくないでしょう。
同様に、プログラムの開発契約で、発注者側のビジネス上の必要から、ある時期までに当該プログラムを稼働させることを希望している、とか、当該プログラムをある時期のイベントに利用することを目指している(「2020年東京オリンピック・パラリンピックにおける普及を目的として」)等と記載されていると、何らかの事情でその時期を逃すと「履行不能」と解釈される可能性があります。
あるいは、ある特定物の売買契約の中で、その対象物のある機能に着眼して購入するというような経緯が書かれていると、売主はその特定物を買主に引き渡すまで、期待された機能を維持しなければ善管注意義務違反の責任を負う可能性があります。
もちろん、自由心証主義のもと、「契約の趣旨」だけでなく「社会通念」も判断基準として採用されるので、必ずそうなるというわけではない不安定さは残ります。そうであるなら、最初から契約書の権利・義務として明記することや、これ以上の義務は負わないということを明記する等、正面から多様な解釈の余地のない契約書を目指すほうが、法的安定性は保たれると考えられます。
次回は、債務不履行に基づく損害賠償請求について解説いたします。
あわせて読む
民法改正と契約書の見直し
- 第1回 改正民法を読み解くキーワード「社会通念」などの概念
- 第2回 債務不履行に基づく損害賠償請求
- 第3回 契約の解除と危険負担
- 第4回 定型約款の定義と契約上の影響
- 第5回 消費者向け約款の『定型約款』該当性
- 第6回 定型約款の具体的妥当性(事業者向け取引)
- 第7回 売買契約(瑕疵担保責任から契約不適合責任へ)
- 第8回 消費貸借契約(書面でする消費貸借等)
- 第9回 賃貸借契約(賃借人の修繕権、土地の賃借権の存続期間の伸長等)
- 第10回 請負契約(可分な給付を可能とする規定の制定、瑕疵担保責任から契約不適合責任への規定の見直し)
- 第11回 委任契約(自己執行義務、履行割合に応じた給付を可能とする規定)
- 第12回 民法改正に伴うソフトウエア開発委託契約書の見直し
以上
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