うまく機能する組織、成員が幸せになる組織とはどのようなものか。この難問の答えを、まったく正反対の立場にある『論語』と『韓非子』を読み解きながら、守屋淳が導き出していくシリーズです。
1 最高の道徳「仁」とは
前回に引き続いて、トップやリーダーが持つべき三つの「徳」について見ていきましょう。
前回やったのが、まずは状況判断や未来予測をするための「知」でした。
今回は、「知」をベースとした上での「仁」。ビジネスでいえば、プロジェクトなどの方向性を決める段階です。
孔子はこの「仁」こそ人の持つべき最高道徳の一つであり、人々がこの「仁」を旨とすれば、素晴らしい社会が実現する、とまで考えていました。
この「仁」に言及している、『論語』のくだりを、まず見てみましょう。
- 人を愛すること(人を愛す)顔淵篇
- 私心に打ち勝って、礼に合致することが仁である(己に克ちて、礼にかえるを、仁となす)顔淵篇
- 仁者は、率先して困難な問題に取り組み、得ることは後で考える(仁者は難きを先にして、獲ることを後にす)雍也篇
- 仁者は、自分が人の上に立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる(仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す)雍也篇
親愛の情や思いやり、他人や社会の立場に立つ、といった態度が浮かびあがってきますが、いま一つ「これだ」という説明がありません。
孔子は「仁」をとても重要視したいが故に、それを語ることに慎重だった面があったようです。また、弟子から「仁とは何でしょう」と質問されて、ようやく答えるのですが、それもその弟子に合うようアレンジされているのです。このため、決定的な説明が残されませんでした。
そこで、後世の学者たちは、「仁」について、いろいろな解釈を編み出していきました。
- 韓愈――《博愛》
- 朱熹――《愛の理、心の徳》
- 伊藤仁斎――《性情の美徳、人の本心》
- 荻生徂徠――《生まれ、成長させ、養い、育むこと》
- 加藤常賢――《己に忍耐し、他人を親愛する》『中国古代文化の研究』
- 安岡正篤――《天地・自然の生成化育の人間に現れた徳》『人物を修める』
- 宮崎市定――《人の道、人道主義、ヒューマニズムのこと》『論語の新しい読み方』
- 吉川幸次郎――《人間の人間に対する愛情、それを意志を伴って、拡充し、実践する能力》『中国の知恵』
- 本田濟――《思いやりの心で万人を愛するとともに、利己的欲望を抑え礼儀を履行すること。ただし万人を愛するといっても、出発点は肉親への愛にある》『日本大百科全書』
これまた、わかったようなわからないような説明が並びますが、筆者なりにざっくりまとめるとこうなります。
「愛する範疇を広げていくこと」
なぜこうなるのか、平和な社会を作ったり、よき組織を作るためには、上司や部下、同僚、顧客などへの愛は必要不可欠なものですが、一つ欠点があります。それは、その範疇が狭まりやすいということなのです。
例えば、よく企業同士の合併があると、たすき掛け人事などを始めてしまい、10年以上たってもまだやめられないといった実情があったりするわけです。せっかく合併して一つになり、規模のメリットを生かそうとなっても、人の心情として「前の会社の仲間優先」「前のくくりにどうしてもこだわってしまう」ということが起きるわけです。もちろん組織全体として見れば、これは決していいことではありません。
「あなたの思い入れる対象を、もう少し大きくして、全体のことを考えようよ」
これが「仁」の考え方になるわけです。ビジネスでのプロジェクトにこれをたとえれば、
「それは全社の利益に本当になるのか」「社会貢献になるのか」
といったことを根底できちんと考えているのか、といった話と結びつくわけです。
2 退くべきときは退く実行力
最後に「勇」。『論語』には、こんな言葉があります。
人間として当然なすべき義務と知りながら行動をためらうのは、実行力に欠けている証拠である(義を見て為さざるは勇なきなり)『論語』為政篇
子路が尋ねた。
「君子は、勇を大事にするのでしょうか」
孔子が答えていった。
「君子にとっては、義の方が大事なのだよ。君子に勇があっても、義がなければ反乱を起こしてしまう。小人に勇があっても、義がなければ泥棒に手を染めてしまう」(子路曰く、「君子は勇を尚ぶか」。子曰く、「君子は義を以って上となす。君子勇ありて義なければ乱をなす。小人勇ありて義なければ盗をなす」)『論語』陽貨篇
この「勇」という徳目、一般的には「勇気」と訳されていますが、ニュアンスとしては前者の訳にある「実行力」の方がより正鵠を得ています。なぜなら、「勇気」と聞くと日本人は、
「リスクにひるまず突き進む」
といったイメージを一般に思い浮かべがちだからです。でもリスクを取れば、失敗するのも人の常。その場合は、「パッと潔く散る」のを美学として感じたりもするわけです。満開の桜が風に吹かれて、はかなく散っていくように……。
でも、中国における「勇」はまったく意味が違いました。『論語』にはこんな問答があります。
孔子が顔回に語りかけた。
「いったん登用されたら、すすんで手腕を発揮するが、認められないときは、じっと社会の動きを静観している。これができるのは、私とお前くらいなものであろうな」
そばから子路が口をはさんだ。
「では、先生が国軍の総司令官に任命されたら、どんな人物を頼りにされますか」
「素手で虎に立ち向かい、歩いて黄河を渡るような命知らずは、ご免被りたい。いざというとき、周到な策をめぐらし、慎重に対処する人間の方が頼りになるよ」(子、顔淵に謂いて曰く、「これを用うれば則ち行い、これを舎つれば則ち蔵る。ただ我と爾とこれあるかな」。子路曰く、「子、三軍を行わば、則ち誰と与にせん」。子曰く、「暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成す者なり」)『論語』述而篇
直接「勇」という言葉は出てきませんが、まさしく中国の「勇」のあり方を端的に示しています。つまり、中国人にとっては、
「リスクをきちんと計算し、退くべきときには退いて、結果の出せる実行力」
が「勇」だったのです。これを「君子の勇」、つまり立派な人間の勇気と称します。一方、「パッと潔く散る」のを美学として感じる人のようにリスクを顧みず突き進んでしまうようなやり方は「匹夫の勇」、つまらない人間の勇気として蔑まれました。
さて、ここまでの話をまとめますと、
「あの人、現状認識や未来予測が正しいし、適当なこと言わないから、信頼できるよな」
と思わせるのが「知」。
「あの人、私心なく常に全体のこと考えているよな、あこがれちゃうな」
というのが「仁」。
「あの人、きちんと成果あげられるよな、ついていきたいな」
というのが「勇」になるわけです。
こうした「徳」を身に付けることで、トップやリーダーは信頼され、組織を引っ張っていくわけですが、実はこれだけでは「天体のような組織」はうまくまわりません。
もう一つ、とても重要な「適材適所」という仕事があるのです。(続)
以上
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