こんにちは、弁護士の緑川芳江と申します。
債権回収シリーズ最終回となる今回は、ビジネスの国際化に伴い多くの企業が課題と感じておられるクロスボーダー取引(国境を超えて行われる取引)における債権回収について解説します。
1 クロスボーダー取引の契約書は債権回収に向けた布石
海外との取引を開始する場合、一般的には契約書を取り交わすことになります。ここでは日本企業が、新規取引先である海外の企業に商品を販売するクロスボーダー取引を想定してみます。
債権回収の観点から考えた場合、クロスボーダー取引の契約書には何を盛り込むべきでしょうか?
ビジネス開始時に、あえて問題が発生した場合を想定して細かな規定を置くことはためらわれるかもしれませんが、リスクをできるだけコントロールしようというのが国際ビジネス法務の標準的なアプローチです。日本企業間の取引では一方のひな形を利用してそれほど大掛かりな修正をせずに契約を締結することもよく見られます。しかし、クロスボーダー取引では商慣習も慣れ親しんだ法律も異なる当事者間での契約になりますので、ビジネス上の関係を良好に保つことを優先し過ぎず、重要な法的リスクについては問題が発生した場合の対処法を契約書で規定しておくのが一般的です。国際的なビジネスを展開している企業であれば、問題が生じた場合に備えて契約書に細かなことを記載することは、むしろ合理的な姿勢であると受け止めるはずです。
では、債権回収の場面の典型例として支払い遅延を想定すると、どのような契約条項が必要になるでしょうか。担保取得や相殺の規定を置いておけば支払い遅延が生じた時には、優先的に売掛債権を回収しやすくなります。一刻を争う債権回収の場面では、担保権実行や相殺によって迅速かつ訴訟などの手続きを経ずに売掛債権相当額の回収を完了できるのは極めて魅力的です。
それでも回収できないような場合には、紛争解決の方法自体が争いにならないよう、明確な紛争解決条項を置くことも重要です。裁判で紛争解決を目指す方法のほか、仲裁手続きという中立な第三者である仲裁人に紛争解決をゆだねる方法も選択できます。あるいは、当事者間の協議の期間を設けておき、その期間内に合意できない場合は裁判などの正式な紛争解決手続きを利用する旨の規定にする例もあります。
2 滞留債権が発生するものとしてビジネスを組み立てる
日本企業間の取引では、長期的な信頼関係のもと期限どおりに支払いがなされることが多いかもしれません。他方、海外企業との取引では、支払い遅延が生じることは決して珍しいことではありません。そもそも、期限どおりに債務を支払うという感覚が、あまりない場合もあります。
回収がはかどらない場合は、適切なタイミングで対応のフェーズを変えていく必要があります。滞留債権の規模や期間に応じて、担保権や相殺の実行も検討しなければなりません。それでも解決しない場合は、訴訟や仲裁での本格的な債権回収に踏み切るか、回収不能として処理するかなどの判断が求められます。
3 海外裁判所を活用する場合の留意点
日本企業が、海外企業から売掛債権の回収を目指し、裁判所で手続きを行う場面を考えてみましょう。訴訟手続きを通じて、海外企業に売掛債権の支払い義務があることが認められたとしても、最終的に金銭化できる財産がなければ債権回収の目的は達成できません。そこで、財産を金銭化する強制執行手続きがしやすいよう、回収原資となる財産が所在する場所(海外企業の所在地など)の裁判所に訴訟提起するというのが原則的な選択肢となります。
仮に、日本の裁判所で海外企業の支払い義務を認める判決が下されたとしても、金銭化できる財産が海外に所在する場合には、海外の裁判所で強制執行の手続きをする必要が出てきてしまいます。海外の裁判所が、日本の裁判所の判決にしたがって強制執行手続きを進めるかどうかは国ごとの判断となっているため、はじめから現地の裁判所に訴える方が良い場合も多いのです。
さて、海外の裁判所での訴訟手続きは国ごとに異なり、クロスボーダー訴訟では一般的な国内訴訟に比べて手続きも複雑化します。裁判所に提出する書類を揃えるだけでも国によっては相当の時間を要する点に留意が必要です。
例えば、日中企業間の契約紛争で、契約書を中国の裁判所に証拠として提出する場合を考えてみましょう。契約書が中国語以外の言語で作成されている場合は、まず中国語への翻訳が必要です。さらに、中国の裁判所では、中国国外で形成された文書を証拠とするには「公証」(notarization)及び「認証」(legalization)が求められます。そのため、契約書が日本で作成され、日本で公証、認証を行うとすると、公証人の公証、日本の外務省の認証、在日中国領事館の認証を経て証拠を提出するという手順を踏む必要があります。新型コロナウイルス感染症の影響で各種手続きにも遅れが出ており、一時、迅速な訴訟提起自体が望めない状況にもなりました。
中国に限らず、どの国でも裁判所での手続きにはそれなりの期間を要します。売掛債権の有無について裁判所で審理している間に、相手方企業が資産を隠してしまい、勝訴したにもかかわらず債権回収できなかったという事態に陥ってしまうこともあり得ます。10年経っても訴訟が終わらないという国もありますので、回収原資となる財産を予め確保する保全手続きを並行して行うことも検討に値します。
4 仲裁手続きを活用する場合の留意点
では、契約書で、仲裁手続きの活用を合意している場合はどのような手続きになるのでしょうか。仲裁の場合は、世界150カ国以上が加盟している国際条約(ニューヨーク条約)によって、外国で下された仲裁判断であっても加盟国の裁判所が強制執行に応じるという枠組みが整えられています。
例えば、日本において仲裁手続きを行い、シンガポール企業に対して支払いを命じる仲裁判断が下された場合、その仲裁判断を根拠として、シンガポールの裁判所に対して、シンガポール企業の財産を金銭化する強制執行手続きを申し立てることができるのです。この点は、外国判決を根拠として、裁判所に対して強制執行を求めることができるかどうかが国ごとに異なっている点と大きく異なり、仲裁手続きを活用する大きなメリットとなります。
仲裁手続きの場合には、契約書で規定した仲裁機関のルールに従って紛争解決手続きを行います。当事者間で使用言語を予め合意しておくのが一般的ですので、例えば、英語を使用言語として合意しておけば、英語の契約書を証拠として提出できますし、公証や認証の手間も発生しません。そのため、新型コロナウイルス感染症の拡大が深刻化した時期にも、スムーズに手続きを開始することができました。
仲裁手続きの場合も、審理中に相手方企業が資産を散逸してしまうおそれがある点は変わりません。仲裁判断が下されるまでの間、資産凍結などを命じることができる保全手続きが用意されている場合も多いので、売掛債権の有無について審理している間に、相手方企業がめぼしい財産を処分してしまう、という事態を防止することも可能です。
クロスボーダー取引において支払い遅延などの法的なトラブルが発生することは、決して珍しいことではありません。信用調査や丁寧な債権管理の重要性が失われることはありませんが、必要に応じて迅速な債権回収手続きに着手できるよう、契約書の作成段階から意を尽くしておくべきです。
売掛債権の回収が滞っている場合、他の債権者も回収を急いでいることが予想されます。契約書の内容を整えておくことはもちろん、必要に応じて強力な債権回収手続きに踏み切れるよう、社内の意思決定の体制を整えておくことも忘れてはなりません。
以上
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