書いてあること
- 主な読者:物価高騰で苦戦し、自社も値上げをしようと決意している経営者
- 課題:誰と、いくらの値上げ交渉をするか決めなければならない
- 解決策:まずは「交渉しない相手」を決める。値上げ交渉をすることにした相手については、変動損益計算書を用いて条件を決める
1 誰と、いくらの値上げ交渉をするか?
前回の「交渉の本質を知り、交渉に対する恐れをなくす」では、交渉の本質に触れながら、大切なポイントとして、
- プラスサム型の交渉で「Win-Win」の関係を目指すが、自社のほうが得をしてよいこと
- 相手も値上げ交渉を恐れていること
- 値上げ交渉といえども、論点は「お金」だけではないこと
を確認しました。これらのポイントを押さえるだけでも、交渉に対するイメージが変わったと思います。ただ、実際の値上げ交渉では、
その値上げ交渉に失敗したら、大きな損失が出る
といったケースもあるので、やはり緊張します。
どのような交渉も軽んじてはいけませんが、事実として難しさはそれぞれ違います。また、企業間の取引では、交渉相手によって提示する条件も変わります。こうした、ある意味でレベル感がバラバラの値上げ交渉について、組織としての勝率を高めるために経営者がすべきことは、
誰と、いくらの値上げ交渉をするか?
を明確にすることです。この絶対的な基準によって交渉担当者は安心と自信を得て、不要な譲歩をすることもなくなるのです。
2 誰と交渉をするか?
1)交渉する相手を決める
早速ですが、交渉相手となり得る先をリストアップしてみましょう。この記事は、値上げ交渉について紹介していますが、仕入れ先との「値下げ交渉」も視野に入れてください。
仮に100件がリストアップされたとします。ここで、「よし! 上から順番に値上げ交渉をしよう」という経営者がいたら、ちょっとお待ちください。このリストで最初に行うべきことは、
交渉しない相手を決めること
だからです。例えば、
- 交渉決裂の際のリスクがかなり大きい相手
- 収支は厳しいが、取引することで業界に影響を与えられる相手
などとは、あえて交渉しなくてもいいのです。これは企業間取引における一つの特徴です。一斉値上げなどをせず、他との取引条件を知られることなく、しかるべき相手と値上げ交渉をすればよいのです。
2)交渉する順番を決める
値上げ交渉をする相手を決めた後は、交渉する順番を決めます。値上げ交渉に限らず交渉は、情報が多く経験が豊富なほど有利になりますから、
簡単な先から交渉をして相手の出方や感触を確かめ、そこで学んだことを次の交渉に活かしていくことの繰り返し
が基本になります。
値上げ交渉の難易度を整理する参考として、縦軸を「交渉への依存度」、横軸を「交渉の論点(価格以外の納期や品質などの交渉余地)」とするポジションマップを紹介します。交渉への依存度とは、「その交渉に必ず勝たなければならない」といったように、文字通り、依存度が高い交渉を指します。
上段は依存度が高く、難しい交渉になりそうですから、最初は下段にある決裂しても仕方がないと判断した相手から、値上げ交渉を始めるとよいでしょう。
左右の「論点が多いか少ないか」は状況次第で有利、不利が変わりますが、交渉担当者には、それぞれ次のような性質が求められます。
- 論点が多い:相手のことをよく知っており、的確な状況判断ができる
- 論点が少ない:タフな場面でも感情的にならず、突破することができる
3 いくらの値上げ交渉をするか?
1)相手によって条件を変える
値上げ交渉をする相手を決めたら、相手ごとに、
- 値上げ額
- 留保価値(それを下回ったら交渉を打ち切る水準)
を設定します。値上げ額と留保価値は同じ場合もありますし、次のように違う場合もあります。
できれば100万円の値上げをしたいが(値上げ額)、80万円までなら譲歩できる。ただし、80万円を下回るのはあり得ない(留保価値)
最もシンプルな考え方は、
値上げ額=仕入れ額の増加分以上
とすることです。仕入れ額が80万円増加したら、販売価格も80万円上げればよいですし、これまで無理してきた分も取り返したければ、100万円の値上げをするということです。現実には、
- 取引の規模(自社の収益に与えるインパクト)
- その相手と取引に至った背景や取引年数
- その相手と取引することによる宣伝効果
といった事情も考慮することになりますから、
- 販売先であるA社とは、100万円の値上げ交渉
- 販売先であるB社とは、60万円の値上げ交渉
- 販売先であるC社とは、値上げをしない代わりに、取引量の増加交渉
といったように対応が分かれていくでしょう。もちろん、
仕入先であるD社とは、10%の値下げ交渉
といったように、仕入れ額の減額交渉も行います。結果として、自社の取引全体から適正な収益が生まれればよいわけです。
2)変動損益分岐点を用いた値上げ額の設定
具体的な値上げ額を決める際に使うのが「損益分岐点」です。詳細は割愛しますが、損益分岐点は固定費と限界利益が同じになる水準です。限界利益は「売上高?変動費」で求められ、売上高に占める限界利益の割合を限界利益率と呼びます。
損益分岐点は、
固定費÷限界利益率(売上高に占める限界利益の割合)
で出します。目標利益がある場合は、固定費に目標利益を足して計算します。例えば、固定費が400万円、営業利益が100万円の取引で、限界利益率が50%から40%に下がった場合、損益分岐点売上高は次のように変化します。
・限界利益率が50%の場合:(400万円+100万円)÷0.5=1000万円
・限界利益率が40%の場合:(400万円+100万円)÷0.4=1250万円
今の仕入れ額を受け入れつつ、同じ営業利益を確保したければ25%の値上げが必要になります。こうした計算をするには、自社の収益構造を正しく把握する必要があるので、「変動損益計算書」を作成してみるとよいでしょう。変動損益計算書とは、
費用を変動費と固定費に分けて作成する損益計算書
であり、財務会計上の損益計算書とは次のように違います。
変動損益計算書を見ると、企業全体と取引先ごとの収益構造が把握しやすくなります。もとの状態からの変化を、
・変動費(仕入れ)の上昇で赤字転落
・値上げによって利益を確保
・変動費(仕入れ)削減で赤字を回避
・固定費の削減で赤字を回避
の例を示すと、次のようになります。
仮に、企業全体で10%の値上げを目標とするなら、
・大手取引先と交渉して、1社で10%分を値上げする
・小口取引先と交渉して、10社で10%分を値上げする
といった方法があります。変動損益計算書で収益構造を把握しつつ、交渉条件の方針を決めましょう。
4 現場に情報を伝える
方針が決まったら、現場の社員に伝えます。値上げをする企業が増える中で、現場の社員が、取引先の担当者から、
御社との取引価格は今のままで大丈夫ですよね? 上司から確認するように指示されていまして
などと確認を受けることもあるでしょう。そうしたときに、
・申し訳ありませんが、変更したいと考えています。上司より改めて取引条件についてご相談させていただく予定です
・はい、大丈夫です。御社との取引条件は当面、今のままで変わりません
などと明確に答えられるようにしてあげることで、現場の社員と取引先とのコミュニケーションが図れるようになります。
今回の記事で交渉する相手と条件が決まりましたので、次回は、
・実際の値上げ交渉でやりとりされる数字の意味
・交渉余地の作り方
について図解します。この記事で紹介した「留保価値」が、交渉においてどのような意味を持つのかについてもご理解いただけると思います。
以上(2022年11月)
pj80171
画像:Mariko Mitsuda