1 残業時間の上限規制

さて、皆さんは「2024年問題」ついてご存じでしょうか?

2018年7月に労働基準法が改正されまして、大企業は2019年4月から、中小企業は2020年4月から適用となった「残業時間の上限規制」に関する問題です。実は、残業時間に関わる労働基準法の改正は1947年以来71年ぶりの大改革なのですが、「建設事業」(以下建設業)「自動車運転の業務」(以下運送業)「医師」等は5年間の猶予期間が設けられています。2024年4月以降はこれらの業種にもこの法律が適用されることになります。それが「2024年問題」と言われているものです。では、なぜ「問題」になるのでしょうか?すこし遡ってこの法律が改正された背景から説明いたします。

2 働き方改革

この労働基準法の改正は「働き方改革」に伴うものですが、「働き方改革」というのは、当時の安倍政権が「一億総活躍社会の実現」という旗印のもと、働き方改革大臣まで設置して推進しようとしていた政策です。2016年9月に「働き方改革実現会議」が安倍総理大臣を議長として設置され、2017年3月に「働き方改革実行計画」が策定されました。2018年7月に「働き方改革関連法」が成立されました。この法律は一つの法律ではなく、労働基準法、労働契約法、労働安全衛生法や労働者派遣法等を含む36の法律が同時に改正されて、その総称が「働き方改革関連法」と呼ばれています。

当時の「働き方改革実行計画」に何が書いてあるかというと、冒頭に、日本の労働制度の課題として3つ挙げられています。「正規非正規の不合理な処遇格差」「長時間労働」「労働力の固定化」の3つです。「残業時間の上限規制」は、この「長時間労働」の課題を解決するための法律改正です。「長時間労働」の結果、心身の健康を害する、家庭生活がないがしろにされる、女性の社会進出が進まない、少子化による人口減少、等の問題に発展していったのです。この法律改正は、人口減少に伴う労働者不足を補うために女性でも高齢者でも働きやすい労働環境を提供することを企業側に求めており、当然ながら個々の労働者の過労死防止対策としての効果も期待されています。

3 労働基準法改正の概略

そもそも法定労働時間は1日8時間、1週間40時間ですが、それを超えて仕事をすると時間外労働、つまり残業になります。労働基準法第32条では使用者は法定労働時間を超えて労働をさせてはいけない、同第35条では「毎週少くとも一回の休日を与えなければならない」とされていますので、その休日に仕事をさせることは原則できません。

ただ、同第36条で「書面による協定(労使協定)を締結して、・・・行政官庁(所轄労働基準監督署長)に届け出た場合において・・・労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる」とあります。これが、いわゆる「36協定」というものです。時間外労働時間の上限は1か月45時間、1年間360時間までと規定されていますが、「特別条項付きの36協定」という制度があって、特別条項を付帯して労使協定を締結すると、実質無制限に労働をさせることができていました。

例えば、経理部の社員は決算月前後が極めて忙しくなる時期ですし、お正月のおせち料理用食材を製造する食料品製造業であれば、9月ごろから徐々に仕込みが忙しくなって、11~12月は来年年始のおせち料理のために夜中まで作業をすることが毎年の恒例行事になっています。そういう場合には、「特別条項付きの36協定」を締結して所轄労働基準監督署長に届け出をすると、1か月45時間、1年間360時間という上限を超えても残業させることができます。

さらに「36協定」に定めた時間外労働を超えて残業させた、もしくは休日労働をさせたとしても、単なる行政指導に過ぎず罰則規定もなかったことから、実質、野放しの状態だったということになります。今回の「働き方改革法」によって、たとえ「特別条項付きの36協定」であったとしても、休日労働も含めて1か月単月で100時間未満、2か月間から6か月間のどこの平均をとっても80時間以内、1か月45時間を超えて労働させることができるのは1年のうち6か月だけ、さらに1年間で720時間(運送業は1年間960時間の上限規制のみ)を超えてはならないという上限規制を設けました。その上限を違反して労働させた場合には罰則もあり、6か月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金が科せられる場合があります。企業にとって罰則があるのが怖いのではなく、違反を犯した企業は厚生労働省や各都道府県労働局HPに「労働基準関係法令違反に係る公表事案」として公表されてしまいます。まさにブラック企業のレッテルを張られてしまうのです。このようなレッテルを張られては、昨今の人手不足の雇用環境下では企業経営が困難に陥るのは明らかです。では、建設業と運送業の業界の動向について見ていきましょう。

時間外労働の上限規制

出典:厚生労働省 時間外労働の上限規制 わかりやすい解説

4 建設業

国土交通省としては、まずは公共工事を優先して週休2日制「4週8休」をベースとした工期を設定すること企業側に求めています。工期を短縮するために、国土交通省は公共工事でのICT(情報通信技術)の導入義務化を順次進めています。ICTとは、測量から設計、施工、検査までの一元管理や必要な帳票の自動的作成、3次元の立体設計図により修正箇所が瞬時に反映する等、工期短縮に寄与する情報システムのことです。国土交通省は中小企業へのICT導入に向けて各種教育支援や補助金の設置も進めています。

大手ゼネコンやスーパーゼネコンが会員企業となっている日本建設業連合会は2024年までに残業時間720時間になるように取り組んでいます。しかし、週休2日制になるように現場を閉めることができたのは、土木で40.3%(前年34.0%)、建築で26.5%(前年19.3%)という調査結果があります。週休2日制が徹底できているのは、主に公共工事である土木で1/3、民間工事が多い建築の現場で1/4という状況です。

週休2日実現行動計画 土木

週休2日実現行動計画 建築

出典:一般社団法人日本建設業連合会
週休二日実現行動計画 2020年度通期 フォローアップ報告

専門工事業者の団体をまとめる立場の建設産業専門団体連合会でも毎年「働き方改革における週休二日制」に関する調査を実施していますが、就業規則などで週休2日制、4週8休以上としている企業が約22%ですが、実際には約10%しか週休2日制「4週8休」となっていないという調査結果を公表しています。

専門工事業

出典:一般社団法人 建設産業専門団体連合会
令和3年度 働き方改革における週休二日制、専門工事業の適正な評価に関する調査結果

5 運送業

全日本トラック協会としては、業界全体で時間外労働年960時間超のトラック運転者が発生する事業者の割合を段階的に減少させようと必死に取り組んでいます。2021年度に25%、2022年度に20%、2023年度に10%、2024年度には0%という目標を設定し、荷主と協力して荷役作業のパレット化、トラックの予約受付システムの導入といったIT化で、荷待ち時間の減少を目指しています。

同協会が、トラック運送事業者の働き方改革の進捗に関するモニタリング調査の結果を2022年5月30日に公表しています。それによると、時間外労働時間(法定休日労働を含まず)が960時間を超えるドライバーがいる事業者の割合が27.1%となっています。

時間外労働が960時間超となるドライバーの有無

出典:公益社団法人全日本トラック協会
第4回 働き方改革モニタリング調査について

また、同協会では全国でトラック運転者の健康管理に積極的に取り組んでいる運送事業者の優良事例を紹介する小冊子の発行や、国の労災での「二次健康診断」の受診を推奨するチラシを作成するなどの啓蒙活動にも取り組んでいます。

「二次健康診断」というのは国の労災の制度ですが、年1回の定期健康診断で、脳心臓疾患(脳卒中、心筋梗塞等)の発症原因ともされている指標として、血圧、血糖値、血中脂質(LDLコレステロール)、BMI(肥満度)の4項目すべてで「異常の所見」があるという診断結果が出た場合、無料で「二次健康診断」を受診できるという制度です。同協会で「二次健康診断」の受診を推奨する理由があります。実は、運送業は、厚生労働省が毎年6月に公表している「過労死等の労災補償状況」の脳心臓疾患に伴う労災請求件数と支給決定件数が業種別ランクで、2009年度以降13年連続トップという不名誉な記録を継続しているからです。

6 労災認定基準の改定

2021年9月に「脳・心臓疾患の労災認定基準」の改定がありました。これまでの認定基準を維持して、新な認定基準が追加されています。これまでは、発症前1か月におおむね100 時間または発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月あたり80時間を超える時間外労働が認められる場合については、業務と発症との関係が強いと評価できることを示していました。今回の改定において、この基準となる時間に至らなかった場合でも、これに「近い」時間外労働を行った場合には「労働時間以外の負荷要因」の状況も十分に考慮し、業務と発症との関係が強いと評価できるとしています。労働時間以外の項目というのは、「拘束時間の長い勤務」「休日のない連続勤務」「勤務間インターバルが短い勤務」「不規則な勤務」「出張の多い業務」等も考慮して労災認定しますので、基準は緩和されたということになります。

脳・心臓疾患の労災認定基準の改正概要

出典:厚生労働省 脳・心臓疾患の労災認定基準の改正概要

7 最後に

今回は、「残業時間の上限規制」をテーマとして建設業と運送業における各業界での実態調査の結果や働き方改革に向けた取り組みを紹介させていただきました。2024年3月末で「5年間の猶予期間」が終了します。それまでに1社でも多くの企業が「残業時間の上限規制」に抵触しないような労働環境に改善できていることを期待したいですが、そもそもこの法律改正自体がすべての企業経営者に伝わっているとはいえません。さらに労働時間を短縮させることは容易なことではありませんので、企業経営者にとってはますます厳しい経営環境になることは間違いありません。

次回は、「同一労働同一賃金」をテーマにする予定です。

以上(2022年12月)
日本社会保険労務士法人(SATOグループ) 特定社会保険労務士 山口 友佳
SOMPOビジネスソリューションズ株式会社 社会保険労務士 西田 明弘


【著者紹介】
山口 友佳(やまぐち ゆか)

日本社会保険労務士法人(SATOグループ) 特定社会保険労務士
慶応義塾大学卒業。地方紙記者を経て2008年、社会保険労務士試験合格。
2009年、日本社会保険労務士法人設立とともに入所。2010年、社員(役員)に就任。2021年、特定付記。
労務相談部門責任者として中小企業、大企業に対する労務コンサルを担当。
就業規則諸規程のコンサル、判例に基づいた実務的なアドバイスなど経験多数。

西田 明弘(にしだ あきひろ)
SOMPOビジネスソリューションズ株式会社 社会保険労務士
明治大学商学部卒業
1995年安田火災海上保険株式会社(現 損害保険ジャパン株式会社)入社
自動車メーカーや大手電機メーカーの営業部隊で各企業の海外現地法人を包含した保険プログラム構築を担当。
また約10年間の海外勤務では海外現地法人の経営にも携わる。現在、保険代理店を対象にした研修講師を担当。
2021年社会保険労務士試験合格 2022年社会保険労務士事務所を開設し、社会保険労務士としての業務も同時に行う。

sj09057
画像:photo-ac

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です