名誉な事柄は最も強いものに譲るべきであるが必要な事柄は最も弱いものに譲るべきだ

ユリウス・カエサルは、古代ローマの共和政末期に政治家・軍人として指導的な役割を果たし、暗殺される前は終身独裁官として絶大な権力を得た人物です。「ガリア戦記」などの著作や、「賽(さい)は投げられた」「来た、見た、勝った」などのさまざまな名言を残した人でもあります。英語読みの「ジュリアス・シーザー」の名前で記憶している人もいるでしょう。

カエサルはあるとき、供の人たちと移動している途中で、嵐に遭いました。カエサル一行がようやく1人しか入れない狭い小屋を見つけたときに発したのが、冒頭の言葉です。カエサルは同行していた体の弱い部下に小屋を譲り、自らは軒下で他の部下たちと一緒に眠ったといいます。

カエサルは、休む場所が最も「必要」なのは体の弱い部下であり、自分が一晩、寝床を我慢しなければならないとしても、部下のためになるのであれば、それは「名誉」な行いであると考えたのでしょう。そして、小屋を譲ってもらった部下は、その後もカエサルの右腕として活躍し、カエサルの死後も後継者であるオクタビアヌス(後の初代ローマ皇帝)を支えました。

カエサルが率いる軍隊は、どんな窮地に陥っても規律を守り、勇敢に戦って勝利をつかみ、カエサルを権力者にまで押し上げました。部下の一人ひとりが人間としてのカエサルを敬愛していたからでしょう。数えきれないほどの「名誉」な行いを積み重ねることによって、カエサルは「最も強いもの」になれたということです。

カエサルの姿勢は、企業経営にも通じるところがあります。どの企業にも、事業を通して社会のために目指す夢・ビジョンがありますが、それを実現するには、企業が営利を追求し、存続しなければなりません。そして、普段は夢・ビジョンの実現と営利追求の両方を考えて事業を行いますが、経営が苦しいときなどは、往々にして足元の営利追求にばかり目が行きがちです。

大切なのは、そうした苦しいときに「必要」な事柄を最も弱いものに譲る「名誉」ある選択をできるかです。例えば、今、企業が「必要」としているのが営利であっても、それを追求するために従業員が体調を崩してしまっては意味がありません。状況を見て彼らに休息を与えることも「必要」です。また、企業の所属する地域で、何か課題があった際、助けを「必要」としている人のために、営利とは別の観点から地域社会に協力すべきときもあるでしょう。

そして、こうした誰かのための「名誉」ある行いを積み重ねていけば、さまざまなステークホルダーから敬愛される企業になり、協力してくれる人たちが増えます。それは「強さ」となり、企業の目指す夢・ビジョンの実現につながります。自分たち以外の人たちが何を必要としているのか、どうすれば彼らの力になれるのか、新年の初めに改めて考えてみてはいかがでしょうか。

出典:「プルターク英雄伝(九)」(プルターク著、河野与一訳、岩波書店、1956年5月)

以上(2023年1月)

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画像:Rawpixel.com-Adobe Stock

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