1 話すよりも書くほうが大変?

わたしたちはメールなどで毎日何かしらの文章を書いています。普段のメモやメールであればほとんどストレスなしに書けますが、普段と少し違う内容になったとたん、予定した時間の何倍もかかってしまうことがあります。

話すよりも書くほうが大変?

例えば、メールで人に何かを催促しなければならないとき、何と書きますか。対面や電話であれば、声のトーンなどで気遣っている気持ちを表現できますが、メールではそれができません。伝えたい内容はそれほど複雑でなくても、自分の意図を相手に正しく伝えるにはよく考えて文章を作る必要があります。

例えば、取引先に約束していた資料を催促する場合、こういうメールになるでしょうか。

先日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

その際にご依頼した資料の件でご連絡致しました。
わたしがメールを紛失してしまったのかもしれませんが、ご依頼した資料に関するメールが確認できない状態でございます。
大変お手数をおかけしますが、メールを再送していただけないでしょうか。

いただいたメールを基に、明日、社内で会議を開くことになっています。
お忙しい中大変恐縮ですが、ご対応のほど、何卒よろしくお願い致します。

このメールは、敬語をしっかり使い、丁寧な印象になるよう工夫しています。また、「明日社内の会議で使う」という理由も添えたのは、相手に納得して対処してもらうためです。

普段は当たり前にできているからこそ、意識的に相手に伝わる文章を書こうとすると、どうしてよいか分からなくなってしまいます。書きやすい手順、注意すべきポイントを押さえて自分のやり方を見直してみてはいかがでしょうか。

2 意外に違う“話し言葉”と“書き言葉”

映像や音楽の迫力を伝えるとき、話して説明するのと書くのでは、どちらが伝えやすいですか? 口では説明できるのに、文字ではなかなか表現しにくいことがあります。

話し言葉と書き言葉、両方とも言葉を使うことは同じですが、話すときの言葉は音声、書くときの言葉は文字で表されるのが大きな違いです。話し言葉は音声なので、声のトーン、大きさで情感を込められます。また、身ぶり、視線、表情などで情報をさらに付与できます。

一方、書き言葉は、音声や身ぶりなどで表現される話し言葉の非言語的な情報を、主に「論理(ロジック)」で補っているといわれています。文章を読むとき、話し言葉なら気にならない細かな矛盾が気になってしまうのは、書き言葉にとって論理がとても重要だからです。

また、普段はあまり意識されていませんが、話し言葉と書き言葉の言い回しの違いも文章を書くときの悩みのタネになるでしょう。文章を一旦話し言葉で書いてから書き言葉に直してみると、直す箇所の多さに驚くはずです。例えば、ビジネス文書などでは、語尾が「●●なんです」となっていると、基本的に「●●なのです」「●●となっています」などに修正しなければなりません。

3 論理(ロジック)とは何か

前述した、話し言葉と書き言葉の大きな違いである論理(ロジック)とは、どんなものなのでしょうか。ビジネス書で多くのベストセラーを生み出したライターの古賀史健氏は、『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』で、「言葉における論理は、絵画における遠近法」 というような表現をしています。

絵画は三次元の現実を二次元の世界で表現するため、遠近法で空間的関係性を損なわないようにしています。

言葉の論理は、“結論(主張)” “前提(事実)” “推論(理由)”の3つで成り立っています。わたしたちが頭の中だけで考えているとき、自分ではその考えにはそれなりに理由があると思っていますが、それはただの主観にすぎません。他人から見れば、ほとんど理由になっていない場合があります。

例えば、ある人が映画を見てとても感動し、思わず「この映画は世界一だ」と言ったとします。本人にとっては自分が感動したことほど、映画を称賛する根拠は必要ありませんが、「わたしが感動したから、この映画は世界一だ」という文章は、論理的に正しく、多くの人を納得させるとは言い難いでしょう。文章を書く際の論理とは、自分の考えを客観によって裏打ちするための技術のようなものです。

では、論理の組み立て方について、哲学の分野などで使われるクリティカルシンキングの手法を使って考えてみましょう。

そもそもクリティカルシンキングとは、ある意見をうのみにせずに吟味する、批判的思考のことです。クリティカルシンキングはある意見を検証するとき、結論、推論、前提の3つの要素にわけて考えます。先ほどの例を分解すると、次のようになります。

  • 結論:この映画は世界一の作品だ
  • 前提:わたしはこの映画に感動した
  • 推論:わたしを感動させた映画が世界一の作品である

わたしたちが「論理的に妥当だと認めてもいい」と思うのは、前提と推論が共に妥当だったときです。

この例の場合、「わたしは感動した」という前提には嘘はないでしょう。しかし、その前提から「この映画を世界一だ」とする推論は明らかに間違っています。他人に正しい推論と納得してもらうには、世界一の映画作品を評価する方法を明らかにして、それを満たしているという前提がなければ難しいのです。

このように論理的な正しさは結論、前提、推論の関係の中で判断され、文章を書くときはそうした論理的な正しさに留意しなければなりません。

ただし、一口に文章といっても、私的な手紙、メール、ビジネス文書、エッセイ、論文、公文書など、その形式によって、求められる論理の厳密さは変化します。先ほどの文章を書いた「わたし」が、カンヌ映画祭の審査員を務めるような人物で、その記事がエッセイとして美容雑誌などに載っていたら、多くの読者は違和感なく読み進めるでしょう。

文章を書くときには、そうした臨機応変さも含めて、論理をうまく使いこなすことが必要なのです。

【参考文献】

  • 『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』(山田ズーニー、PHP新書、2001年10月)
  • 『哲学思考トレーニング』(伊勢田哲治、ちくま新書、2005年7月)
  • 『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング できるビジネスシリーズ』(唐木元、インプレス、2015年8月)
  • 『【新版】日本語の作文技術』(本多勝一、朝日文庫、2015年12月)
  • 『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』(古賀史健、ダイヤモンド社、2021年4月)

以上(2023年7月更新)

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画像:garage38-Adobe Stock
画像:pixabay

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