書いてあること
- 主な読者:「漬物」の製造販売を行うためには、HACCPに沿った衛生管理を行い、営業許可を得ることが必要になったことを知らない人
- 課題:ユネスコ無形文化遺産「和食;日本人の伝統的な食文化」を支えてきた「漬物」をいかに継承していくか
- 解決策:伝統的な「漬物づくり」を巡る状況、現在に至る背景を押さえる。塩分に気をつけながら、野菜の摂取量を増やす一策として漬物を上手に取り入れる
1 あの「漬物」が二度と食べられなくなる!?
「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に選定されてから10年余り。世界的にも関心を集める和食の基本は「一汁三菜」と呼ばれ、「ご飯」と「汁」「香の物(漬物)」に、いくつかの「菜(おかず)」を添えたものです。そんな日本の食文化を支えてきた「漬物」が、いま危機を迎えているのをご存じでしょうか?
その大きな要因は2018年6月の食品衛生法改正です(施行は2021年6月)。それまで、多くの都道府県では、条例に従って届け出をすれば漬物を販売することができました。しかし、改正法施行後、漬物の製造販売を行うには、加工所などの施設を整備し、食品衛生管理の国際基準「HACCP(ハサップ)」に沿った衛生管理を行い、営業許可を得なければならなくなりました(経過措置が終わる2024年5月末までに、新たに許可申請が必要)。
野菜漬物製造業は2022年6月時点で全国に931事業所ありますが、うち607事業所(65.2%)が従業者規模20人未満の小規模・零細事業所です(総務省・経済産業省「2022年経済構造実態調査(製造業事業所調査)」)。また、この統計調査では、個人経営の事業所は対象外です。
収穫した野菜を自宅の台所や作業場で漬物にして、道の駅などの直売所で販売してきたような家族経営の農家も少なくありません。そうしたケースでも、新たにHACCP(ハサップ)に沿った衛生管理が求められます。漬物づくりの担い手の高齢化、後継者不足もさることながら、加工所などの施設の整備や衛生管理に掛かる費用がネックとなり、世代を超えて受け継がれてきた伝統的な「漬物」が姿を消してしまうかもしれないのです。
2 漬物製造を巡る特徴的な動き
1)秋田名産「いぶりがっこ」の生産者の約3割が事業継続を諦める意向
食品衛生法の改正の影響が大きく報じられたのが、たくあん漬けの一種「いぶりがっこ」の発祥地、秋田県です。いぶりがっこは、大根を干して水分を抜きながら燻煙(くんえん)し、強力な殺菌・抗菌効果のある成分でコーティングした後に漬けるという伝統的な工程を経てつくられます。後述する浅漬とは製造工程からして根本的に異なる食品です。
もともと秋田県内では漬物による食中毒の発生はなく、漬物製造業は許可や届出の対象ではありませんでした。しかし、食品衛生法が改正されたことに伴い、従前から漬物を製造販売している場合でも、経過措置期限である2024年5月末までに、
- 製品の製造場所や保管場所を仕切りなどで物理的に区画する
- 手洗い設備は手指が蛇口に触れないセンサー式などの構造にする
- 原材料の洗浄設備(シンク)と器具等の洗浄設備をそれぞれ有する(計2槽)
などの基準を満たした施設を整備し、営業許可を得る必要が生じました。規模によって異なりますが、こうした施設を整備するには数百万円の費用が掛かります。
2021年7~8月、県内の直売所で漬物を販売する636人を対象に秋田県が行ったアンケートでは、回答者306人のうち175人が営業許可を取得する意向を示した一方で、108人が高齢化や資金不足などを理由に営業許可を取得しないと答えました。この結果を受け、秋田県は2022年度から漬物製造に必要な機械・施設の導入に要する経費を助成する事業を実施しています。
また、県内でも「いぶりがっこ」づくりが盛んな横手市では、県の助成事業に独自の追加補助を行うとともに、2023年度には、よこて農業創生大学校の農業技術研修に、原料となる大根の畑づくりから、いぶりがっこの製造までの過程を2年間で学ぶことができる「いぶりがっこコース」を新設し、就農者を募集しています。
2)クラウドファンディングで漬物加工所の整備資金を調達
クラウドファンディングを活用し、漬物の加工所を地域の生産農家が共同で整備するプロジェクトも見られます。
秋田県北秋田市の大阿仁地域の住民らでつくる「大阿仁ワーキング」が募集した「【消滅の危機?】里山秘伝の漬物を未来に残したい」では、2023年9月25日に募集を開始し、324人の支援により312万9750円の資金を集め、同年10月31日に募集を終了しました。
大阿仁ワーキングでは、食品衛生法の改正が成立した2018年から検討を始め、秋田内陸縦貫鉄道(秋田内陸線)比立内駅の空きスペースを、県や北秋田市の補助を得て加工・販売施設に全面改修。広さ約120平方メートルに食品加工や加工品保管、交流の各スペースを備えた「がっこステーション」として再生させました。改修費の自己負担分や設備費などに充てるため、クラウドファンディングで資金を募り、目標額の300万円を上回る資金調達に成功したといいます。
3)「冬は農業、夏はライフセイバー」で雇用を創出
後継者不足を、地域の特色を活かして解決しようとする動きもあります。
野崎漬物(宮崎県宮崎市)は、地元の「やぐら干し大根」を使った、たくあん漬け「千本漬」を中心に浅漬やキムチなどの製造販売を行っています。宮崎県田野・清武地域に見られる伝統的な「やぐら干し大根」は、「日本一の干し大根と大根やぐら」として2020年度のグッドデザイン賞を受賞、2021年度には日本農業遺産にも認定されました。一方、大根の生産者の高齢化、これを受け継ぐ後継者不足が課題となっています。
同社は、冬場にピークを迎え、夏場には作業がほとんどない農業(干し大根の生産)の現状と、サーフィン愛好家(サーファー)が宮崎県に移住するケースが少なくないことに着目し、うまくマッチングさせることで雇用創出を図ることを構想。海の家やプールの運営会社と提携し、「ファーム&マリン」という働き方を提唱する農業法人野崎ファームを2021年に設立しました。
「ファーム&マリン」は、3年間の有期雇用契約で、9月から4月は農業、5月は漬物製造に従事し、6月から8月はライフセイバーやプールの監視員として勤務するというもので、契約期間終了後は、独立就農/正社員登用/再契約(2期目)が選択できます(独立就農の場合、祝い金60万円を支給)。
サーファーは、もともと土や砂、日焼けを苦にせず、そうした意味で農作業にもあまり抵抗感がないといいます。本社から車で20分ほどの距離にはワールドサーフィンゲームスの会場となった「木崎浜」があるなど、サーフィンができる環境が整っており、契約期間終了時にハワイ旅行がプレゼントされ、憧れのノースショアでサーフィンができる点も魅力となっています。
3 減塩志向が規制強化に影響?
1)保存食のはずの漬物に規制強化のわけ
そもそも、なぜ古くから保存食として受け継がれてきた漬物に対して、規制強化が図られることになったのでしょうか。
そのきっかけは、2012年8月に北海道札幌市などで発生した集団食中毒事件です。この事件は、岩井食品(同年10月廃業)が製造した浅漬(白菜きりづけ)により、高齢者施設の入所者などを中心に169人が腸管出血性大腸菌O157に感染、うち8人が死亡する痛ましいものでした。
厚生労働省は、同様の食中毒の再発防止に向け、同年12月、浅漬の衛生管理強化のために「漬物の衛生規範(通知)」を改正し、一度に大量の野菜を取り扱うような工場や大きな調理施設では、原材料を水で洗うだけでなく、殺菌することが決められました。
その後、食を取り巻く環境変化や国際化等に対応するために食品衛生法の改正が行われ、政府は、
製造工程が長期間になるほど、製造中の食品に含まれる細菌等が繁殖するおそれがあり、食中毒のリスクが高くなること等を踏まえ、許可営業に漬物製造業を追加し、漬物の製造に係る食品衛生の確保を図ることとした
のです。
主に浅漬の製造を念頭に置いた衛生管理のルールであった「漬物の衛生規範(通知)」は廃止され、浅漬も伝統的な漬物も一律に「HACCPに沿った衛生管理」が求められるようになりました。
2)実は漬物による食中毒の発生は「浅漬」か「キムチ」のみ
漬物は製造法の違いによって、「新漬(浅漬)」「調味漬」「発酵漬物」に分けられます。
- 新漬(浅漬):塩分濃度1~3%で漬けたもの。白菜やキュウリの浅漬など
- 調味漬:15%前後の食塩で原料野菜を漬け込み、必要なときに脱塩、圧搾し、調味液に漬けて製造するもの。福神漬など
- 発酵漬物:塩分濃度3~10%で漬け込み、主に乳酸菌による発酵を促したもの。すぐき漬、しば漬、赤かぶ漬、高菜漬など
厚生労働省「食中毒統計資料」では、2000年以降に発生が報告された各都道府県の食中毒事件の発生場所や原因食品などが確認できます。植物性の自然毒による食中毒を除くと、野菜の漬物が原因食品となっているのは「浅漬」か「キムチ」に限られます。
調味漬や発酵漬物は、比較的濃い塩分や乳酸菌等による発酵の関係で腐敗が抑えられ、食中毒は起きにくいようです。一方、「浅漬」や「キムチ」は、非加熱殺菌で低塩であるため、原料野菜の洗浄や保存状態によって大きく影響を受け、短期間のうちに品質低下を招く恐れがあります。
塩分の過剰摂取は高血圧や脳疾患、腎臓疾患などの原因になるとされ、健康を意識した減塩志向により、漬物も、塩分の少ない浅漬が好まれるようになっています。一方、皮肉なことにそれがかえって食中毒の原因となり、ひいては規制強化につながったともいえます。
伝統的な漬物づくりに「HACCPに沿った衛生管理」を求めるのは酷だという意見もありますが、漬物製造の方法は漬物の種類により非常に多岐にわたるため、線引き・切り分けが難しいのが実状です。
4 参考:農林水産省が呼びかける「漬物で野菜を食べよう!」
成人1人1日当たりの野菜摂取量の目標は、カリウム、食物繊維、抗酸化ビタミン等の適量摂取が期待される量として350グラムとされています(厚生労働省「健康日本21(第二次)」の目標値)。しかし、現状は平均280グラム程度と約7割の人が目標量に達していません(厚生労働省「国民健康・栄養調査」)。
農林水産省は、1日当たりの野菜摂取量を350グラムに近づけるために「野菜を食べようプロジェクト」を推進しています。2023年には、その一環として、「漬物で野菜を食べよう!」という取り組みを進めました。
野菜の摂取量を増やすのに果たして漬物が良いのか、塩分摂取量の増加につながるのではないかという議論もありますが、現在の漬物製造では減塩化が進んでおり、上手に取り入れることが大切と考えられています。
日本高血圧学会の減塩・栄養委員会では、2013年以降「JSH減塩食品リスト」を公表し、食塩含有量の少ない食品の紹介を行っています。同リストには、さまざまな漬物も掲載されています。
なお、ここ数年、漬物の生産量は、コロナ禍の巣ごもり需要などもあり、増加しています。
以上(2024年2月)
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画像:norikko-Adobe Stock