「四海兄弟(しかいけいてい)」

二代 鈴木三郎助(すずきさぶろうすけ)氏は、味の素の創業者です。同社からは代表商品「味の素」の他、ほんだし、コンソメなど、食卓に欠かせない調味料や食品が数多く発売されています。

冒頭の言葉は、鈴木氏が大切にし、書にもしたためたもの。「人に対して敬う気持ちを持って礼を忘れず接すれば、世界中の人と兄弟になれる」という、『論語』からの引用です。鈴木氏は、「涙もろくて、人間が大好き。商売に向いていない」と評された人物で、ビジネスで交渉をする際も、常に相手を立てることを忘れませんでした。一方で、絶対に自社が不利にならず損をしない条件を取り付けるという、したたかな一面もありました。

例えば、鈴木氏は若い頃、海岸に打ち上げられるカジメ(海藻の一種)を加工し、ヨードの原料として販売していました。しかし、房総半島に工場を建ててまもなく、ライバル会社の営業部長で、のちに昭和電工の総帥となる森矗昶(もりのぶてる)氏が、高値でカジメを買い集め、「房総戦争」と呼ばれる騒ぎに発展してしまいます。

ですが、鈴木氏は「日本人同士でケンカをするなんてつまらない」と、縄張り争いをするどころか、自社の工場を相手会社に売却します。ただし、その代わりに「工場相当額の株券譲渡」と「相手会社の重役への自社社員の派遣」という条件を取り付けました。森氏に花を持たせつつ、相手会社と協力して業界シェアを獲得する道を探ったわけです。

また、味の素の原料となる「グルタミン酸ナトリウム」の特許を巡る交渉でも、鈴木氏はその才覚を発揮しました。当時、池田菊苗(いけだきくなえ)博士によって発見されたばかりのグルタミン酸ナトリウムには、当時最大の財閥・三井物産が目をつけていました。

そこで、鈴木氏は博士に「特許を買い取るのではなく、共同経営をやりたい。売上の3%を差し上げる」と伝えました。売れるかどうかも分からない状況で、これは破格の条件であり、結果、鈴木氏は三井物産に先んじて博士を口説き落とすことに成功したのです。

交渉の場において、「一人勝ちをしないこと」は現代においても大切なポイントです。自社の利益を考えるのは経営者なら当然ですが、相手にこちらの条件を一方的にのませるだけでは、その後良い関係を築くことは望めません。鈴木氏がさまざまな交渉相手とWin-Winの関係を実現できたのは、冒頭の言葉の通り、彼が交渉相手に対する敬意を払うことを忘れなかったからでしょう。その上で両者にとって利益のある道を本気で探ろうとする人物だからこそ、さまざまな人が鈴木氏を好きになり、その話に耳を傾けたのです。

実際、「房総戦争」の交渉相手である森氏と鈴木氏は、生涯の友人であり続けたそうです。鈴木氏にとって「四海兄弟」はただの理想ではなく、彼自身の生きざまだったのかもしれません。

出典:「レット・ミ―・イントロデュース・マイセルフ!」(味の素株式会社Webサイト)

以上(2025年5月作成)

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