【ポイント】
- 花火は時代とともに華やかな形へと進化したが、花火職人は常に危険にさらされてきた
- それでも、花火職人は「今よりも良いものを作りたい!」と花火作りに情熱を注いだ
- リスクはゼロにはならない。リスクを取ってでも良いものを作るという意気込みが大切
皆さん、おはようございます! 夏真っ盛りで暑い日が続きますが、一方で楽しいイベントもありますね。例えば、花火大会がそうです! 夜空を彩る花火の数々は何歳になっても良いものですよね。今日は、そんな花火の歴史をひもときながら、話をしたいと思います。
日本で最初に花火を見たのは、諸説ありますが、江戸幕府の初代将軍・徳川家康だといわれています。イギリス国王の使節が献上した花火を見た家康が、それに魅せられ、三河の砲術隊に命じて、観賞用の花火を作らせるようになったそうです。やがて、8代将軍・吉宗の時代に、飢饉で亡くなった人たちの慰霊と悪疫退散を祈って水神祭を行うために花火が打ち上げられるようになり、これが花火大会の由来になったといわれています。江戸時代の花火は赤一色だったそうですが、明治時代に入り、さまざまな金属が西洋から輸入されるようになると、鮮やかな色を出せるようになり、今の華やかな形へとつながっていったわけです。
とはいえ、花火は火薬を扱うため、打ち上げには常に危険がついてまわります。実際、今ほど安全対策が徹底されていなかった大正や昭和の時代には、花火によって多くの死者が出たという記録も残っています。ですが、過去の花火師たちはそんな死と隣り合わせの状況にありながらも、火薬の配合、筒の強度、打ち上げのタイミングなど、あらゆる工程で試行錯誤を繰り返し、いかに安全に、そしていかに美しく花火を打ち上げるかに情熱を注いできました。それは、「リスクを取ってでも、今より良いものを作りたい!」という情熱があったからでしょう。彼らの努力によって、花火は危険なものから、人々を魅了する芸術へと昇華していったのです。
わが社のビジネスでは、花火師のような物理的な危険にさらされることは少ないですが、とはいえどんな仕事にも、「何か失敗をすれば、何かを失うリスク」は大なり小なりあります。誰だってできればリスクは取りたくないものですし、失敗する可能性を減らすための努力は必要不可欠ですが、どんなに頑張ってもリスクが完全にゼロになることはありません。だったら、たとえリスクがあったとしても、今より良いものを作る! 皆さんにはそんな情熱を常に持っていてほしいと思います。花火を芸術に昇華させた花火師のような、熱いチャレンジを私は心より応援します。
以上(2025年8月作成)
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画像:Mariko Mitsuda