1 単なる健康問題では済まない経営者の認知症リスク
日々精力的に活動している経営者の中には、「自分は認知症にならない」と考えがちな人が少なくありません。しかし、認知症は誰にでも起こり得るもので、決して他人事ではありません。しかも、いつ発症するかの予測はできませんから、何も対策をしていないと、会社は思わぬリスクに直面することになります。そうです、経営者の病は、経営者個人の健康問題にとどまらず、会社経営全般に関わる問題としての認識が必要なのです。
具体的に想定されるリスクは次の4つで、以降で順番に解説していきます。
- 契約が無効になるリスク
- 資金繰り悪化のリスク
- 事業承継が進まないリスク
- 経営者個人の資産管理トラブルが起こるリスク
なお、具体的な認知症対策については、次のコンテンツをご参照ください。
2 契約が無効になるリスク
中小企業やオーナー企業では、多くの場合、経営者自身が会社の重要な意思決定や契約を行っています。これらの契約が有効とされるためには、契約者自身が自分の行動の動機やその結果を正しく判断できる「意思能力」が必要です。
しかし、認知症が進み、正しい判断ができない(意思能力がない)となると、
契約や株式の売買、贈与、融資の契約などが法的に無効になる
ことがあります。例えば、「取引先との新規契約を結んだが、後に経営者の意思能力が問題となり、契約自体が無効と判断される」「金融機関との融資契約や保証契約を結んだが、経営者に意思能力がなかったとして、契約自体が無効と判断される」といった具合です。
さらに、経営者が会社の株式の過半数を持っている場合、判断力の低下は株主総会での議決権行使にも影響します。
決算承認や役員変更、会社のルール(定款)の変更など、会社経営に不可欠な決議ができなくなり、会社の経営機能が事実上ストップ
してしまいます。
こうした事態は、金融機関や取引先に信用不安を与えるだけでなく、会社の評判や新規取引のチャンスにも影響します。認知症による判断力低下は、単なる健康の問題ではなく、会社の法律行為や事業継続に直結する重大なリスクになります。
3 資金繰り悪化のリスク
もし、経営者が認知症などで判断力が低下すると、会社の資金繰りに大きな悪影響が出ます。
まず、経営者名義の預金口座についてです。金融機関は本人の判断力が不十分だとみなした場合、本人の財産をトラブルなどから守るために口座を凍結することがあります。これにより、生活費だけでなく、会社への貸付金や運転資金の入出金にも影響が出ます。特に、経営者個人の資金が会社の緊急資金や保証資金として使われている場合、
口座が凍結されると、会社への貸し付けや個人保証の実行ができず、資金ショートの発生リスクが高まる
ので注意が必要です。
さらに、経営者が保有する不動産や株式などの個人資産も、判断力が低下すると売却や担保設定ができなくなります。
個人資産が会社の資金繰りや融資の担保に使われている場合、資金調達が滞る
ことになり、会社の存続に影響します。
4 事業承継が進まないリスク
事業承継手続きの中心となる自社株式の譲渡や贈与は、経営者本人の意思に基づいて行う法律上の行為です。つまり、「自分が何を、なぜ、どんな目的で行っているのか」を正しく判断できる意思能力が必要になります。
しかし、もし経営者が認知症を発症すると、意思能力が失われ、
自社株式の譲渡や贈与といった行為は法的に無効になります。その結果、後継者に自社株式を移すことができず、事業承継そのものがストップ
してしまうのです。
さらに、自社株式を誰に承継するかを決めないまま経営者が亡くなってしまった場合、自社株式は相続財産となり、経営者の相続人間の遺産分割協議に委ねられます。場合によっては、会社経営に関与したことのない相続人や、複数の相続人が自社株式を相続し、一定数以上の議決権を保有するケースも考えられます。
会社の重要な決定を行うたびに、自社株式を相続した相続人全員の合意が必要となり、経営判断のスピード感が損なわれたり、なかには現場の感覚とずれた決議が行われたりする
こともあり得ます。
5 経営者個人の資産管理トラブルが起こるリスク
認知症が進むと、経営者自身が自分の財産を正確に把握することが難しくなります。例えば、どこの銀行にいくら預金があるのか、不動産の権利証や生命保険の書類がどこに保管されているのか、上場株式をどの証券会社で管理しているのかなどです。家族が本人に代わって管理しようとしても、全体像をつかむのに時間や手間がかかるケースが多いのです。
そして、見逃せないのが、重要書類や印鑑の管理が曖昧になるリスクです。
個人の銀行印や会社の実印が適切に管理されていないと、不正に使われたり、資産を勝手に引き出されたりする
ことがあります。なかには、家族や親族、さらには信頼していた社員が、経営者の判断力の低下に乗じて資産を流用してしまうトラブルも起こり得ます。こうした事態を防ぐには、早めに資産管理体制を整えることが欠かせません。
経営者の個人資産の管理が難しくなることは、一見すると家庭の問題のように見えます。しかし、中小企業では経営者個人の資産と会社の資金が密接に結びついているケースが多く、これは会社の資金繰りなどにも直結する経営課題です。さらに、財産の把握や管理をめぐって家族間で意見が割れると、相続トラブルや家族内の対立に発展し、結果的に会社の経営判断にも悪影響を及ぼします。
以上(2025年11月作成)
(監修 有村総合法律事務所 弁護士 平田圭)
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