1 事業承継でM&Aを活用する4つのメリット
事業承継におけるM&A(企業の合併・買収)とは、
主に第三者である他の企業や投資ファンドなどが、承継対象会社の株式や事業を取得すること
をいいます。
近年、従業員数が数名の零細企業のM&Aも頻繁に行われており、中小企業のM&Aが一般化しています。M&Aを活用して事業承継を進めると、次の4つのメリットがあります。
- 後継者問題の解決
- 株式・持分譲渡による手元資金の確保
- 従業員の雇用安定とキャリアの広がり
- 顧客・取引先の信頼維持
1)後継者問題の解決
M&Aの最大のメリットは、後継者不在の問題を解決できる点です。親族に子どもがいても、遠方や大手企業などで働いている場合、家業を継がせるために仕事を辞めて帰ってくるように頼むことは、現実的に困難ですです。M&Aを活用すれば、無理に子どもに家業を継がせる必要がなくなり、より経営効率の高い会社(第三者)に事業を委ねることができます。
2)株式・持分譲渡による手元資金の確保
第2のメリットは、株式・持分を現金化できる点です。非上場会社の株式は本来現金化が困難で、相続時には多額の税負担が発生しやすい資産です。しかし、M&Aにより株式譲渡すれば、その資産を現金化できます。また、株式譲渡時の税率は20%(有価証券の譲渡所得税としての課税)で、法人清算を選択した場合における税率50%(配当課税)よりも税負担が軽く済みます。これにより、オーナー経営者は、老後資金や次の投資資金を効率的に確保できます。
3)従業員の雇用安定とキャリアの広がり
第3のメリットは、従業員の雇用安定とキャリアの広がりが期待できる点です。M&Aで会社がより大きな企業グループに組み込まれることで、財務基盤や経営資源が強化されます。また、従業員にとってもスキルアップの機会や異動・昇進の可能性が広がり、自社単独では到達できなかった市場や分野に挑戦する機会も生まれます。
4)顧客・取引先の信頼維持
第4のメリットは、顧客や取引先の信頼維持です。後継者不在の状況では、顧客や取引先は本当に事業が継続できるのか不安を感じますが、買収企業のバックアップにより経営基盤が安定することになるので、そうした信用不安を払拭できます。特に同業種間でのM&Aであれば、業務の一貫性やノウハウの承継も期待が持てます。
2 M&Aに取り掛かり、実行する際の手続き
1)意向決定・方針策定
まずは、経営者自身がM&Aによる事業承継を選択する意思を明確にします。後継者がいない、親族内承継が難しい、あるいは従業員承継にもリスクがあるなどの状況下で、第三者承継(M&A)を選ぶ意義を整理する必要があります。
2)アドバイザーの選定
M&Aの仲介会社やFA(ファイナンシャル・アドバイザー)、弁護士、税理士といった専門家を選任します。売り手企業の適正価値を把握するための株価評価や、法的・税務的な課題の洗い出しのためには、M&Aに精通した専門家の支援が必要となります。
3)ノンネーム資料・インフォメーションメモランダム(情報開示資料)の作成
買い手候補に提示するため、会社概要や財務情報をまとめた資料を作成します。初期段階では社名を伏せたノンネーム資料を使い、興味を示した候補先に対して詳細なインフォメーションメモランダム(情報開示資料)を開示します。
4)買い手選定・条件交渉
買い手候補から意向表明書(LOI)を受け取り、価格や会社の譲渡時期、従業員処遇等の条件を交渉します。条件が合意に達すれば、基本合意書(MOU)を締結します。
5)デューディリジェンス
買い手候補による財務・法務・労務などについての調査が実施されます。その中で、買収価格を減額すべき事由がないか否かが調べられます。
6)最終契約の締結
デューディリジェンスの結果、発見された課題については、買収価格の減額調整や補償条項などを入れて、最終契約を締結することになります。
7)クロージング(決済)
最終契約に基づき、合意した日に株式名簿の書き換え、代表印や銀行預金通帳の引き渡しなどと交換に株式譲渡代金が支払われ、決済されます。
3 事業承継でM&Aを活用する際のポイント・留意点
1)情報管理
M&Aを実行するにあたって重要となるのが、情報管理です。M&Aをすること自体が、従業員や取引先にとって非常に重要な情報であるため、この情報が洩れないよう配慮しなければなりません。そのためには、インフォメーションメモランダム情報を開示する買収候補先を極力減らすことが重要です。また、役員や従業員にいつ情報を共有するかの、タイミングを見極めることも大切です。
2)価格以外の買収条件
M&Aは株式譲渡の額(詳細は後述)も重要ですが、それだけでなく、従業員の雇用維持、取引先との関係維持、経営理念の親和性など非財務的な要素も非常に大切になります。特に地域密着型の中小企業では、企業文化の親和性なども、買い手選定の大きな判断基準となります。
3)従業員の離職リスク
M&Aをきっかけに、多数の従業員が離職する事態が起こることもあります。M&Aによって従業員の就業関係の変化に対応できるような環境整備を行い、買収した会社と買収された会社とが、うまく融合するような配慮が求められます。
中小企業にとってM&Aは、「撤退」ではなく「承継」のための前向きな経営戦略となっています。時間を味方につけ、信頼できる専門家と連携しながら準備を進めることで、経営者、従業員、顧客全てが納得のいく形でバトンを渡すことができます。M&Aの活用は、地域経済の持続的な発展にも資するものであり、今後ますますその重要性は高まっていくと考えられます。
4 M&A価格の決定方法
M&Aを通じて株式や事業を譲渡する際、その対価がどのように決まるかは、売り手・買い手双方にとって重要な論点になります。価格の妥当性をめぐる認識の齟齬(そご)は、交渉決裂の大きな要因にもなり得るため、客観的な基準と交渉の実務を正しく理解する必要があります。
M&Aにおける企業価値の評価方法は、次のように大別できます。
- 時価純資産法(Net Asset Approach)
- 類似業種比準法(Market Approach)
- 収益還元法(DCF法など)
- 上記1.~3.を踏まえて、中小企業のM&Aの実務上で使われる年買法
1)時価純資産法(Net Asset Approach)
時価純資産法とは、
企業の資産と負債を時価で再評価し、その差額である純資産価額を基に評価する方法
です。資産価値の大きい不動産業や清算価値を重視する場合に適しています。シンプルで理解しやすいですが、将来の収益力を反映しないため、成長企業の評価には採用しにくい面があります。
2)類似業種比準法(Market Approach)
類似業種比準法とは、
上場企業や同業他社の株価や財務指標(PER、PBR・EBITDA倍率等)を参考に、自社の売上や利益水準に倍率を乗じて評価する方法
です。中小企業では上場類似企業との乖離(かいり)が大きい場合もあるため、適切な調整(会社の規模に応じて時価純資産法と組み合わせたり、従業員数に応じて一定の調整をしたりするなど)が必要となります。
3)収益還元法(DCF法など)
収益還元法とは、
将来生み出すであろうキャッシュフローを割引現在価値(一定の割引率を乗じて算出)に換算し、企業価値を算定する方法
です。将来の成長性や収益性を反映することができますが、前提とする収益予測や割引率に主観が入りやすく、算定結果の幅が大きく出やすいところがあります。
4)上記1)~3)を踏まえて、中小企業のM&Aの実務上で使われる年買法
M&Aの実務では、これらの複数の手法を併用して評価レンジ(金額の幅)を算出し、最終的には交渉による価格調整がなされます。特に中小企業のM&Aでは、
時価純資産法+営業利益の3年分から5年分を目安とする「年買法」による評価
が使われることが多いです。
以上(2025年8月作成)
(執筆 日比谷タックス&ロー弁護士法人 弁護士 福崎剛志)
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画像:Mariko Mitsuda