スタートアップや中小企業では、人事労務に精通した人材が確保できておらず、労使間の紛争が生じてから初めて、法令に反する取扱いなどが顕在化するケースが散見されます。今回は、スタートアップや中小企業において、落とし穴となりがちな人事労務の論点について、解説します。

1 業務委託と雇用の問題について

創業初期のスタートアップなどでは、業務委託の形式でエンジニアや営業担当などの人材を登用するケースが珍しくありません。もっとも、これらの人材が、労働基準法所定の「労働者」に該当すると判断される場合、契約書の形式を問わず、労働時間の規制(法定労働時間週40時間、1日8時間)、時間外労働の割増賃金、解雇規制などの規律が適用されることとなります。業務委託の人材が「労働者」に該当する場合、それまでの取扱いが違法となる可能性が高いことはもちろんですが、後の資金調達時のDDや上場審査においてマイナス評価を受けることもあるため、重要な論点の一つとして認識しておく必要があります。

「労働者性」の判断基準は、厚生労働省が「労働基準法研究会報告」(昭和60年12月19日)において公表しており、裁判例もおおむねこれに沿った判断をしているため、非常に参考になります。

~「労働者性」の判断基準の要点~

    以下の(1)指揮監督下の労働、(2)報酬の労務対償性を中心的に検討し、判断に困難が生じる場合には、(3)判断を補強する要素も加味して、「労働者性」の判断を行う。

    (1)指揮監督下の労働

    ①仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無
    ②業務遂行上の指揮監督の有無
    業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無を重要な要素としつつ、通常予定されている業務以外の業務への従事を命じられることがある場合には、指揮命令を補強する要素として考慮する。
    ③拘束性の有無
    勤務場所及び勤務時間の指定・管理の有無を考慮する。
    ④代替制の有無
    労務提供の代替性が認められる場合には指揮監督を否定する補強的な要素として考慮する。

    (2)報酬の労務対償性

    ⑤時間給を基礎としているか否か、欠勤した場合の報酬の控除の有無等

    (3)判断を補強する要素

    ⑥事業者性の有無
    機械・器具の費用等の負担の有無、報酬の額等を考慮する。

    ⑦専属性の有無
    他社の業務に従事することの制約、時間的困難性、報酬の固定給部分の存否、程度等を考慮する。

「労働者性」については、上記のとおり、諸要素を勘案した上で個別具体的に判断するほかありませんが、紛争に至らずとも、資金調達時のDDや上場審査において論点となりやすい事項です。そのため、自社においてきちんとアセスメントを行った上で、「労働者」に該当しないといえるのであれば、その理由についてきちんと整理しておく必要があるといえます。

2 固定残業代制度について

法定時間外労働については、通常の労働時間における賃金に25%以上を乗じた割増賃金を支給しなければならないというのが、労働基準法所定の時間外労働の割増賃金に関する規律です。
しかし、実務では、(1)基本給の中にX時間分の時間外労働の割増賃金が含まれているという基本給組込型の固定残業代制度や、(2)一定の手当が時間外労働の割増賃金の趣旨で支給される定額支給型の固定残業代制度が採用されている例もあるでしょう。
このような労働基準法所定の計算方法によらない割増賃金の支給方法も、直ちに違法となるものではありませんが、適法な割増賃金の支給が認められるためには、少なくとも、

  • 固定残業代が基本給と判別できること
  • 固定残業代が時間外労働等に対する手当であることが明確であること
  • 支給された固定残業代が労働基準法所定の計算方法による割増賃金の金額を上回っていること

3つの要件を充足する必要があります。

上の1.と2.の要件を充足しない場合には、そもそも、割増賃金の支払いがなされていないことになるため、直ちに是正が必要です。また、3.の要件との関係では、固定残業代が労働基準法所定の算定方法による割増賃金を下回っている場合、当然、不足分の支払いをしなければなりません。そのため、割増賃金の計算の便宜のために固定残業代を導入しているからといって、労働時間の把握や給与計算を省くことはできず、従業員の労働時間を適切に把握し、割増賃金の支給に不足がないか、都度、検証しなければなりません。

固定残業代について、適法な割増賃金の支給が認められない場合、支給していた固定残業代を含む賃金を基礎として割増賃金が算定され、未払賃金を請求されてしまうリスクが生じるため、固定残業代制度を導入する場合、または、既にしている場合には、一度検証を行うべきです。

3 労働時間の把握について

1)労働時間と安全配慮

企業が適正に労働時間を把握し、適正な賃金を支払うべきであることはもちろんですが、昨今では、長時間労働により精神障害を発病し、労働災害の問題に発展するケースも世間の耳目を集めるところとなっており、従業員の健康への配慮という観点からも、労働時間の適正な把握は企業の重要な課題の一つとなっているといえます。
働き方改革関連法による改正労働安全衛生法は、2019年4月1日より、企業に対し、タイムカード、パソコンの使用時間の記録などの客観的な方法、その他適切な方法により、従業員(※管理監督者を含みます。)の労働時間の状況を把握する義務を課しています。

特に、長時間労働と精神障害の労働災害の問題については、厚生労働省が公表している「心理的負荷による精神障害の認定基準」(平成23年12月26日基発1226第1号、改正令和2年5月29日基発0529第1号)により、ある程度客観的な基準が設けられており、

  • 発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような、またはこれに満たない期間にこれと同程度の(例えば3週間におおむね120時間以上の)時間外労働を行った(休憩時間は少ないが手待時間が多い場合等、労働密度が特に低い場合を除く)
  • 発病直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった
  • 発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった

のいずれかに該当する場合には、業務による強い心理的負荷が認められるものとして、精神障害が業務上のものであると認められる可能性が高くなるため、労働災害の発生を未然に防ぐという意味でも、労働時間の適正な把握は極めて重要な意味があるといえます。

2)労働時間の適正な把握

2021年2月19日付の東京都新型コロナウイルス感染症対策本部の報道発表資料によると、都内企業(従業員30人以上)のテレワーク導入率は64.8%に上っており、新型コロナウイルスの感染拡大防止の動きも相まって、テレワークが普及しているところですが、テレワークを導入している場合であっても、労働時間の適正な把握は必要です。

労働時間の把握については、厚生労働省が「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(平成29年1月20日策定)において、その方法論を公表しています。同ガイドラインは、テレワークの場合においても通用するとされていることから(厚生労働省「情報通信技術を利用した事業場外勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン」(平成30年2月22日策定))、これに従い、労働時間の把握を行うことが望ましいといえます。

ガイドライン上には、タイムカードやパソコンの使用時間の記録等の客観的な記録を基礎として確認し、適正に記録することが、原則的な労働時間の把握方法として挙げられています。しかし、テレワークの場合には、フレックスタイム制の併用などにより、いわゆる中抜け時間などが発生し、客観的な記録のみから労働時間を把握することが困難となりがちであることから、自己申告制を採用するか、これを併用する必要が生じると思われます。

自己申告制を用いる場合には、従業員・管理職いずれに対しても、適正な自己申告が行われるように制度の趣旨・内容を十分に説明し、必要に応じて自己申告の内容と実態に食い違いがないか調査を行うなど、自己申告制度の適正な運用を担保しつつ、適正な自己申告を阻害する要因が生じないよう配慮していくことが望ましいといえます。自己申告制を採用する際の留意点の詳細については、ガイドライン4項(3)「自己申告制により始業・終業時刻の確認及び記録を行う場合の措置」に記載があるので、是非こちらをご参考にしてください。

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4 解雇に関する規制

少々昔の調査ですが、独立行政法人労働政策研究・研修機構が2012年10月に実施した「従業員の採用と退職に関する実態調査」によると、過去5年間に解雇を実施した企業が挙げた解雇理由としては、「仕事に必要な能力の欠如」が28%と、最も多い「本人の非行」30.8%に次いで2番目に多いものとなっています。特にリソースが限られ、少人数で急速に事業を成長させなければならない初期のスタートアップにおいては、採用した人員のパフォーマンス不足を理由に、解雇が検討されるケースが少なからずあるのではないかと思います。

しかし、企業は、従業員を自由に解雇することはできず、労働契約法に従い、当該解雇について、

  • 客観的合理的理由があること
  • 社会的相当性が認められること

の2つの要件を充足しなければ、仮に解雇を行ったとしても、無効となってしまいます。

能力不足や成績不良などを理由とする解雇の有効性に関する裁判例は多数存在しており、有効・無効いずれの判断がなされた事例も複数存在しています。もっとも、一般的に、裁判例は、a)能力不足や成績不良の程度が重大なものであるか、b)能力不足や成績不良について改善の機会を与えてもなおその見込みがなかったのか等の事情を慎重に検討する傾向にあるため、少なくともこれら2つの事項については、仮に裁判に至った場合であっても裁判所を説得できるだけの根拠を予め準備しておく必要があります。
上記a)との関係でいえば、そもそもの前提として能力不足や成績不良の事実が客観的に存在することが必要となり、経営者や管理職が主観的に能力不足や成績不良を感じているというだけでは解雇の有効性を基礎づける事情としては足りないものといえます。
また、上記b)との関係でいえば、スタートアップの事業スピードを前提とすると、即時に人材の適否を判断したいというニーズがあることも理解できますが、一般論としては、能力不足や成績不良があるからといって直ちに解雇に踏み切ることは難しく、継続的な指導や教育を行った上で、最終的な判断に踏み切る必要があるということもいえるでしょう。

解雇の有効性については、当事者間で折り合いが付かない限り、最終的には裁判所の判断に委ねざるを得ません。解雇が無効と判断される場合、従業員としての地位が継続していることとなるため、原則として、解雇日から現在に至るまでの賃金を利息付きで全て支払わなければならないこととなります。裁判では、判決に至るまでに1年以上の期間を有することも珍しくないため、仮に解雇の無効が判断されれば、原則として1年分以上の給与を利息付きで支払わなければならなくなります。
このように解雇を行うに際しては、非常に大きなリスクを伴うため、解雇を検討する段階において、まず、労働紛争の経験を有する弁護士への相談を行うことを強くお勧めします。

なお、懲戒解雇と普通解雇が混用されることがありますが、懲戒解雇は、単に労働契約を終了させるだけではなく、懲戒処分の中でも最も重いものなので、普通解雇に比してより厳格にその有効性が審査されます。就業規則に定められた懲戒事由に形式的に当てはまるというだけでは、懲戒解雇を有効とする事情としては不足している可能性があるので、より慎重な検討と判断が求められることに留意しましょう。

5 まとめ

今回取り上げた論点は、あくまでスタートアップや中小企業において落とし穴となりがちな代表的な論点に過ぎません。人事労務に関する論点は、これら以外にも無数に存在しており、既存の論点に加えて、働き方改革関連法など、法改正にも対応していかなければならない分野です。リソースが限られている企業では、人事労務を完全に内製化することが難しいところもあるかと思いますが、本稿を一助として危機意識を持っていただき、必要に応じて外部の専門家からの協力も得ながら、リスクコントロールを図っていただけますと幸いです。

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2021年3月8日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

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