1 立つ鳥跡を濁す……退職時に会社を脅かす社員
社員が退職する際に、会社の備品や重要情報を持ち逃げされた……。退職後にSNSで誹謗(ひぼう)中傷や悪評を拡散された……。こうした、
会社に対して何かしらの不満を持っている社員が、その不満を晴らすために、退職時に意図的に損害を与える「リベンジ退職」
が深刻なリスクとして浮上しています。
会社としては、「そんな悪意ある行動は許せない! 損害賠償を請求したい」と考えるかもしれませんが、これは簡単ではありません。労働基準法第16条には、
使用者(会社)は、労働契約の不履行について違約金を定め、または損害賠償額を予定する契約をしてはならない(賠償予定の禁止)
というルールがありますし、民法第627条でも、
「労働者は、一定の期間を置きさえすれば、いつでも自由に労働契約を解消できる」旨などが定められていて、実害に基づく損害賠償請求であっても認められる範囲は限定的
なのです。
また、そもそも社員が会社への不満を内に秘めながら、自分が辞めることで会社を困らせようとして退職するのは、会社と社員の信頼関係が失われているということです。そのため、社員がリベンジ退職をした場合の対応だけでなく、それらを未然に防ぐための手立ても考えなければいけません。
そこで、この記事では、
- リベンジ退職のケースごとに見る、損害賠償請求の可否
- 会社が社員のリベンジ退職を未然に防ぐための手立て
について解説していきます。
2 このリベンジ退職、損害賠償請求できる?
1)重要情報の持ち出し・消去
社員が退職時に顧客情報などの会社の重要情報を持ち出したり、消去したりするケースがあります。例えば、退職した社員が顧客情報を持ち出した上で、同業他社に転職し、その後、転職先で顧客情報を利用していることが判明したため、会社が退職者に対して内容証明郵便で警告し、最終的に情報の返却・破棄に至った裁判例があります(大阪地裁平成25年4月11日判決)。
重要情報の持ち出しに対しては、まず、
不正に持ち出された情報が使われてしまうことを止めるのが第一で、その際は内容証明郵便で警告するのが効果的
です。
損害賠償請求については、重要情報の持ち出しだけでなく、社員が退職時に重要な業務データを消去・復旧できなくしたことで、データの再開発やそのための新たな人件費が必要となり、
退職者の故意に基づく、会社側に過失のない不法行為である
として、退職者に対する損害賠償請求が認められた裁判例があります(徳島地裁令和7年1月16日判決)。データ消去の場合は、退職者がデータ消去を故意に行ったという事実関係の証明や、消去されたデータが会社にとってどの程度重要なものであったかを明らかにすることが大切です。
2)会社備品の持ち出し
会社の貸与品であるPCや携帯電話、書類などを退職時に返却しない場合、まずは所有権に基づく返却請求を検討します。それでも返却されなければ、社員の不法行為(退職したのに備品を返却しない)に対する損害賠償として、備品代を請求することを考えます。
ただし、本人の同意なく、賃金や退職金から一方的に備品代を控除することは、労働基準法違反になる恐れがあるため注意が必要です。判例で、
会社の持つ債権(この場合は損害賠償請求権)と賃金を一方的に相殺することはできない
とされているからです。労使協定の控除項目に、「備品代(退職時に備品を返却しない場合)」などと定めていたとしても同様です。
もっとも、損害賠償請求については、過去に最高裁が、
客観的に見て「社員の自由意思に基づいて同意がなされた」ものといえる合理的な理由がある場合、賃金から控除しても賃金全額払いの原則(労働基準法第24条)には反しない
と判断した裁判例があります(最高裁平成2年11月26日判決)。つまり、賃金や退職金から備品代を控除したいのであれば、まずは本人の同意を得る必要があるわけです。
3)繁忙期を狙った突然の退職・引き継ぎ拒否
会社の繁忙期や年度末など、人員が抜けると困るタイミングをあえて狙って退職したり、他の社員に業務を引き継いだりしないことで、現場を混乱させる行為は、リベンジ退職の典型的なパターンとされています。
管理職など幅広い業務を担当している社員や、特定の業務に対して専門的な知識を持った社員が引き継ぎなしに突然退職してしまうと、業務の継続性に深刻な影響を与えるだけでなく、他の社員の負担が急増するリスクがあります。
損害賠償請求については、インテリアデザインの企画設計等を行う会社が工事を受注したものの、本件工事に対応するはずだった社員が退職し、工事ができなくなったとして、200万円の損害賠償を請求した裁判例があります(東京地裁平成4年9月30日判決)。しかし、裁判所は民法第627条の退職の自由に関する規定などに照らして、
信義則を適用し、原告の請求することのできる賠償額を限定することが相当である
として、200万円のうち70万円までの損害賠償請求しか認めませんでした。退職による損害賠償請求は、実際に発生した損害の具体的な立証が不可欠です。特に、繁忙期の退職や引き継ぎ不足による「逸失利益」の算定は極めて困難とされており、判例でも限定的にしか認めない傾向があります。
4)退職後のSNSでの誹謗中傷・悪評拡散
職場の人間関係に不満を抱いていた社員が、退職後にSNSで会社を特定できる形で「人間関係が破綻している」「ブラック企業だ」などと、誹謗中傷や悪評を拡散するケースがあります。このような行為は会社のイメージを著しく損ない、人材採用や取引先との関係に悪影響を及ぼす恐れがあります。
損害賠償請求については、退職した契約社員が常務取締役や総務部部長を誹謗中傷するメールを複数回にわたって送信し、メールのCCに他の社員をはじめ、取引先や関係者も含めて拡散したことについて、
本人への名誉毀損だけでなく、第三者からの常務取締役や総務部部長の社会的評価を低下させた
として、損害賠償請求が認められた裁判例があります(東京地裁令和4年5月13日判決)。
3 リベンジ退職を未然に防ぐための手立ては?
1)就業規則の見直し
就業規則において、退職手続きを明確に定めることが重要です。民法第627条では原則として、社員が退職の2週間前までに申し出れば、退職が認められます(無期雇用の場合)。ただし、業務の引き継ぎを円滑に行うためには、退職の1カ月前などに申し出るよう、就業規則に明記することが望ましいでしょう。
退職届の提出方法(書面での提出推奨)や、業務引き継ぎ、貸与品返却などの必要な手続きを具体的に定めることも重要です。
また、就業規則に退職手続きや引き継ぎ義務を明記するだけでは不十分です。定期的な社員への説明会や、デジタルツールでのアクセス容易化などで周知徹底を図っていきましょう。
2)秘密保持誓約書・競業避止義務契約の締結と運用
退職後の秘密保持義務は、就業規則や誓約書で取り決めることで有効になります。秘密保持誓約書には、秘密情報の範囲や期間を明確に記載することが重要です。S
競業避止義務についても、期間や地理的範囲、対象業務範囲を合理的に設定し、代償措置(退職金の加算など)を設けることで有効性が高まります。
3)情報セキュリティー管理の徹底と経済産業省「営業秘密管理指針」の活用
機密情報の明確な定義と一覧化、退職前の情報持ち出しチェック、退職時にシステムアクセス権限を削除することなどは、情報漏洩を防ぐ上で非常に重要です。また、業務中でも会社のデータは、会社のサーバーやクラウドに一元管理するなどの方法で、退職した社員が引き継ぎをせずに退職した場合でも、データや資料が所在不明になるといった事態を避けることができます。
経済産業省の「営業秘密管理指針」では、営業秘密として法的保護を受けるための「秘密管理性」の要件が示されており、情報に接する社員が秘密だと分かる程度の措置(「マル秘」表示、アクセス制限、教育プログラムなど)を講じることが推奨されていますので、参考にするとよいでしょう。
■経済産業省「営業秘密管理指針」
https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/guideline/r7ts.pdf
4)組織風土・コミュニケーション改善による予防
法的な対策だけでなく、社員が不満を抱えにくい組織風土を醸成し、良好なコミュニケーションを維持することが、リベンジ退職の根本的な予防につながります。
例えば、次のような対策が考えられます。
1.1on1ミーティングの活用
定期的な1on1ミーティングを通じて、部下の悩みや不安を傾聴し、キャリアプランを一緒に考えることは、不満の解消やモチベーション向上につながります。
2.適切な人事評価とキャリアパスの明確化
社員の成果を正当に評価し、昇給・昇進の機会を明確にすることで、社員のモチベーションや企業への愛着心(エンゲージメント)が向上します。
3.職場環境の改善とメンタルヘルスケア
長時間労働の削減、ハラスメント対策、柔軟な働き方の導入は、社員の不満を減らし、離職防止につながります。ストレスチェックの活用、産業医や外部専門家(EAPサービスなど)との連携は、社員のメンタルヘルス不調の早期発見・早期対応体制を構築する上で非常に有効です。
以上(2025年9月作成)
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