書いてあること
- 主な読者:まもなく定年を迎える社員を嘱託などとして再雇用する予定の経営者
- 課題:再雇用後の賃金設計で社員とトラブルにならないか不安
- 解決策:「いくらまでなら減額してよい?」ではなく「この人の仕事の価値はいくら?」という視点を持つ
1 「この人の仕事の価値はいくら?」という視点が大切
日本の会社では、社員の定年退職時に退職金を支払った後、「嘱託」などとして再雇用する「定年再雇用」が広く浸透しています。ただ、定年再雇用は再雇用時に労働契約を締結し直す働き方なので、定年後の労働条件をめぐって会社と社員の間でトラブルが起きるケースが少なくありません。
トラブルになりがちなのは「賃金」です。直近では2023年7月に、定年再雇用で嘱託になった職員の基本給を、正職員の頃の60%未満まで引き下げたことでトラブルが起き、最高裁判決までもつれこんだ事案がありました。詳細は後述しますが、その際、
高裁が「60%を下回るのは違法」と判断したのに対し、最高裁が「単純な額の問題ではなく、基本給の性質や支給目的を精査すべき」として、高裁に判決を差し戻した
ことが話題になりました(最高裁第一小法廷令和5年7月20日判決)。
この判決はいわゆる「同一労働同一賃金」、簡単に言うと「同じ働き方をしている人には、同じ賃金を支払いなさい」というルールを、最高裁が改めて明確に示したものです。「生涯現役社会」ともいわれる時代、定年再雇用はもはや当たり前の働き方になりつつありますが、
会社が再雇用後の賃金を決める際は、「いくらまでなら減額してよい?」ではなく「この人の仕事の価値はいくら?」という視点を持つ
ようにしないとトラブルになりかねません。
そこで、この記事では最高裁判決の内容に触れつつ同一労働同一賃金の基本をおさらいした後に、社員の働き方に応じた再雇用後の賃金設定のシミュレーション(社会保険労務士監修)を紹介します。
「同一労働同一賃金については大体分かっているから大丈夫」という人は、先に第3章(定年前後の働き方と賃金をシミュレートしてみよう)をご確認ください。
2 同一労働同一賃金の視点で、最高裁判決をひもといてみよう
同一労働同一賃金は、パートタイム・有期雇用労働法などを根拠とするルールで、その根幹にあるのは「均等待遇」「均衡待遇」という考え方です。
- 仕事の内容などが同じなのに、非正規雇用であるという理由だけで正社員よりも低い労働条件にすることはできない(均等待遇)
- ただし、能力や成果に基づく待遇格差は、合理的なものであれば問題ない(均衡待遇)
具体的には、図表1の3つの考慮要素をもとに判断します。「1.職務の内容」「2.職務の内容・配置の変更範囲」が同じなのに待遇格差を設けることはできません。ですが、「3.その他の事情」に該当する、個人の能力や成果に基づく格差は、合理的なものであれば認められます。
さて、前述した最高裁判決の事案は、嘱託として再雇用された自動車学校の教習指導員2名が、
定年前後で「1.職務の内容」「2.職務の内容・配置の変更範囲」が同じなのに、再雇用後の基本給が定年前の40%台(月額7~8万円台)まで引き下げられたのは不合理だ
と訴え、これが同一労働同一賃金に違反しないか争われたものです。高裁と最高裁は、それぞれ図表2のように判断しました(基本給以外にも争点はありましたが、ここでは割愛します)。
同一労働同一賃金の考え方に照らせば、本来「1.職務の内容」「2.職務の内容・配置の変更範囲」が同じなのに基本給を引き下げるのは不合理といえますが、最高裁の判断に基づくと、
能力や貢献度、健康状態、将来的なポテンシャルなどを考慮して、あえて定年前後で支給基準を変えているのなら、「3.その他の事情」に照らして必ずしも不合理とはいえない
と考えることができます。
以上、最高裁判決の内容に触れつつ同一労働同一賃金の基本をおさらいしましたが、そうは言っても、いざ再雇用後の賃金を決めるとなると、「本当にこの賃金設計で大丈夫か?」と不安になってしまう経営者もいるはずです。次章からは、社員の働き方に応じた定年再雇用の賃金設定のシミュレーションを紹介します。
3 定年前後の働き方と賃金をシミュレートしてみよう
冒頭で「この人の仕事の価値はいくら?」という視点で賃金設計をすることが大切とお話ししましたが、当然ながら「何となくこのぐらいの額」というような曖昧な決め方ではトラブルになるので、次のようなことを考慮しながら明確な基準に基づいて額を定める必要があります。
- 仕事内容や役職は定年前から変わるか
- 労働時間や、社会保険・雇用保険の適用(労働時間に応じる)は変わるか
- 責任はどうなるか(仕事のノルマはあるか) など
図表3は、正社員(役職者、転勤あり、1日8時間×週5日勤務、社会保険あり、雇用保険あり、仕事のノルマあり、賞与支給あり)が定年後に再雇用される場合の働き方を、A~Dの4種類にパターン分けしたものです。赤字は、正社員時と働き方が変わる部分です。
パターンA
能力も意欲も十分で、定年後も会社の戦力となる社員を想定しています。仕事の内容や労働時間に変更はありませんが、定年後なので今まで以上にプライベートも大事にしてほしいという意図から、役職、転勤、残業、ノルマはなしとしています。一方、仕事へのモチベーションはある程度維持したいので、「嘱託用評価制度」により正社員時の最大50%の賞与を支給します。
パターンB
パターンAと同じく能力も意欲も十分ではあるものの、自身の体調や家族の介護などの関係で、フルタイムでの勤務は難しい社員を想定しています。基本的な労働条件はパターンAと同じですが、労働時間(労働日数)を減らしています。
パターンC
能力はそれなりですが、意欲については「定年後なのでゆったり働きたい」というレベルの社員を想定しています。労働時間は1日6時間×週5日、社会保険と雇用保険の適用はありますが、仕事内容は正社員時よりも簡易な業務に変え、賞与の支給はなしとしています。
パターンD
副業や起業など新しいキャリアを模索しており、他の人ほど長く働けない社員を想定しています。労働時間は1日6時間×週4日、雇用保険の適用はありますが、社会保険の適用はなくなります。仕事内容は正社員時よりも簡易な業務に変え、賞与の支給はなしとしています。
これをベースに、パターンA~Dの月例賃金の賃金設計をシミュレートしたものが図表4です。
図表4の中で押さえておきたい主なポイントは次の通りです。
1.正社員時を100%とした場合の総支給額の比率
パターンB~Dは、賃金の総支給額が正社員時の60%を下回っています。この「60%」というのは前述した最高裁判決の事案で、高裁が「生活保障の観点から看過し難い水準」と判断したパーセンテージでした。ただ、最高裁が判断している通り、賃金は「その性質や支給目的に照らして合理的といえるか」が重要なので、2.以降で紹介するように、まずは再雇用後の賃金支給について、明確な基準があるかどうかを確認しましょう。
なお、賃金が60歳到達時の75%未満に低下する社員については、一定の要件を満たすことで、雇用保険から「高年齢雇用継続給付」が支給されるので、制度を利用できる場合はその旨を社員に伝えておくとよいでしょう(ただし、2025年4月1日から最大支給率が15%から10%に引き下げられるので注意が必要です)。
2.基本給
基本給は、パターンA~Dの労働時間(図表3を参照)をベースにした額になっています。定年前(正社員時)に比べて労働時間が減った分だけ、支給額も減っているので、ある程度合理的な賃金設計といえるでしょう。なお、実際は職務の内容、職務の内容・配置の変更範囲など(図表1を参照)や会社の財務状況など、複数の要因を考慮して決定する必要があります。
3.諸手当
図表4に記載している諸手当の概要は次の通りです。
- 役職手当:正社員の中から指定された役職者に対して支給
- 資格手当:職務遂行に特定の資格が必要で、その資格を有している場合に支給
- 精皆勤手当:欠勤せずに出勤することの奨励として支給
- 交代勤務手当:交代制勤務がある場合に支給
- 住宅手当:住宅費の負担を補助するために支給
- 通勤手当:通勤費の負担を補助するために支給
今回、パターンA~Dの全てのケースで支給しているのは、精皆勤手当と通勤手当です。通勤したり、欠勤せずに出勤したりすることは、働き方の違いには直接関係がないので、再雇用後の社員にも支給すべきものです。
その他の手当については、支給対象としませんでした。役職手当などは役職者にのみ支給するものですし、その他の手当も、再雇用後の働き方が手当の支給要件にマッチしないのであれば支給は不要です。
やや判断が難しいのが住宅手当ですが、今回は「正社員は転勤があるのに対し、再雇用後は転勤がなく、正社員に比べ住宅費の負担が抑えられる」という理由から、支給しない設計にしてみました。
4.賞与
パターンAとBの社員には、前述した通り、賞与が支給されます。これはモチベーション維持のためでもありますし、同一労働同一賃金のルールに照らした際、「仕事内容が正社員時と変わらないのに、賞与は支給しないのは不合理」という考え方ができるためです。
一方、額については前述した通り、正社員時の最大50%としています。これは、パターンAとBがともに、仕事の責任が正社員よりも軽い(ノルマがない)ことを考慮したものです。50%は上限ですので、実際は評価制度に基づき、社員の成果と貢献を公正に評価して支給額を決めることになります。
以上(2024年6月作成)
(監修 ひらの社会保険労務士事務所)
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