書いてあること
- 主な読者:自社の賃上げの方向性について考えている経営者
- 課題:毎年10月に最低賃金が改定されるが、会社の負担がどれだけ重くなるのか分からない
- 解決策:時給、所定労働時間、社員数など具体的な条件を設定し、賃金や社会保険料がどの程度上がるかシミュレートする
1 最低賃金の改定で会社の賃金負担はどれだけ重くなる?
最低賃金とは、最低賃金法によって会社に支払いが義務付けられている「賃金の最低額」のことで、具体的には
- 都道府県ごとに定められる「地域別最低賃金」
- 特定の産業について定められる「特定最低賃金」
の2種類を指します。政府は、国民の生活を保障しつつ経済を回していくために、継続的に最低賃金を引き上げていて、直近では、
2024年10月以降の地域別最低賃金の改定額が、全国加重平均額で1055円(過去最高の額)となり、前年の1004円より51円の引き上げ(5.1%増、過去最高の引き上げ率)
となりました。
会社と社員が合意していても最低賃金を下回ることはできず、違反の罰則もあるため、会社は最低賃金を必ず守らなければなりません。一方で、一度賃上げをすると簡単には賃金を引き下げられないので、人件費の負担などにも注意しながら金額の上げ幅を決める必要があります。
この記事では、最低賃金に注意しつつ賃上げを実施する際のポイントを4つ紹介します。
- 最低賃金のルール(適用対象者や改定時期)を押さえる
- 今、最低賃金がいくらなのかを押さえる
- 賃金や社会保険料への影響をシミュレートする
- 社員に影響を与える「6つの壁」に注意する
2 最低賃金のルール(適用対象者や改定時期)を押さえる
最低賃金は、「地域別最低賃金」「特定最低賃金」の2種類に分けられます。どちらも厚生労働省の最低賃金審議会が定めますが、適用対象者や改定時期のルールが次のように異なります。
地域別最低賃金は、原則としてパート等を含む全社員に適用され、毎年10月に必ず改定されます。一方、特定最低賃金は、特定の産業に特有のまたは主要な業務に従事する社員にしか適用されず、関係労使からの申し出などがなければ、改定されることもありません。ちなみに、
地域別最低賃金と特定(産業別)最低賃金の両方が同時に適用される社員については、いずれか高いほうの最低賃金が適用
されます。
最低賃金を下回る条件で賃金を設定していた場合、会社と社員が合意していても無効となり、最低賃金以上の額を支払う義務が発生します。なお、違反については、図表1の通り最低賃金法または労働基準法による罰則がありますが、それとは別に
労働基準監督署の臨検などによって最低賃金を守っていないことが発覚した場合、厚生労働省ウェブサイトで会社名などが公表されることがある
ので注意が必要です。
3 今、最低賃金がいくらなのかを押さえる
1)地域別最低賃金
2024年10月以降の地域別最低賃金は、全国加重平均で1055円です。全ての都道府県が951円以上となっています。
また、図表2の順位をベースに地域別最低賃金の推移(秋田県、全国加重平均、東京都)を見ると、2021年度と2022年度は前年度から30円程度の引き上げが行われていることが分かります。その後は物価上昇の影響を踏まえ、2023年度は40円程度、2024年度は50円程度と引き上げ幅がさらに大きくなっています。
2)特定最低賃金
特定最低賃金は、地域別最低賃金が実態にそぐわない場合に定められるものなので、通常は地域別最低賃金より高く設定されます。ただし、東京都や神奈川県など、地域別最低賃金が特定最低賃金より高い地域も一部あります(その場合、社員には地域別最低賃金を適用)。
また、特定最低賃金の新設や改定の申し出は、地域ごとに行われるため、同じ産業であっても都道府県によって最低賃金が異なることがあります。
内容が多岐にわたるためこの記事では割愛しますが、特定最低賃金の一覧は、下記から確認できます。
■厚生労働省「特定最低賃金の全国一覧」■
https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/seido/kijunkyoku/minimum/minimum-19.htm
4 賃金や社会保険料への影響をシミュレートする
最低賃金が改定され、万が一自社の賃金が改定後の金額を下回っている場合、これを上回るように賃上げを実施しなければなりません。その場合、賃金や社会保険料の負担はどの程度増えるのでしょうか。具体的な条件を設定して、シミュレートしてみましょう。
仮に、東京都のある会社が、2024年10月からの地域別最低賃金の改定(1113円→1163円)を受けて、賃上げを実施するとします。条件は次の通りです。
- 時給:1150円→1250円に引き上げ
- 1日の所定労働時間:8時間
- 1カ月の所定労働日数:20日(週5日×4週)
- 社員数:30人(全員40歳未満、介護保険の適用なし)
- 健康保険の保険者:全国健康保険協会(協会けんぽ)、東京支部
この場合、会社の人件費負担は次のように変動します(雇用保険料などは考慮していません)。
人件費負担は、社員1人当たりで年間22万5936円、会社全体(30人)で年間677万8080円増えることになります。なお、図表4は通常の賃金だけを基に計算していますが、会社が基本給などをベースに賞与や退職金を計算している場合、それらの人件費負担も増える可能性があります。
5 社員に影響を与える「6つの壁」に注意する
1)社員に影響を与える6つの壁
1.100万円の壁(税制上の壁)
年収が100万円を超えると、住民税が課税されます。住民税は、都道府県民税と市町村民税に分かれ、それぞれ「均等割(均等に一定額が課される)」と「所得割(その人の所得を基に課される)」によって計算されます(東京23区内の法人都民税は、法人市町村民税分を分けず、合わせて計算されます)。
標準税率(地方税法で定められた税率)は、
- 均等割:都道府県民税が1000円、市区町村民税が3000円、森林環境税が1000円の合計5000円(森林環境税は2024年度より課税が開始)
- 所得割:都道府県民税が4%、市町村民税が6%の合計10%
です。ただし、各自治体は一定の範囲内で標準税率と異なる税率(制限税率)を定めることができるため、実際は自治体によって税率が異なる場合があります。
2.103万円の壁(税制上の壁)
年収が103万円を超えると、所得税が課税されます。実際は、月収が8万8000円を超えると課税されますが、特定の月にたまたま8万8000円を超えた場合については還付が受けられます。
所得税の税率は所得額に応じて異なり、所得額(年収から控除額を控除した金額)の区分別に5~45%で、所得額が高くなるにつれて税率が上がります。最小の税率(5%)は、所得1000円~194万9000円までの区分に適用されます。103万円という金額は給与を支給される人(一定の人を除く)が受けられる控除である、
- 基礎控除の48万円
- 給与所得控除の55万円(給与収入が162万5000円以下の場合に受けられる控除の最低額)
の2つの控除の合計額(103万円=48万円+55万円)です。
3.106万円の壁(社会保険制度上の壁)
本来、パート等(1週の所定労働時間または1カ月の所定労働日数が、正社員の4分の3未満の社員)は社会保険の適用対象外ですが、次のように賃金などについて一定の要件を満たすと、社会保険に加入します。なお、2024年10月1日からは、いわゆる「社会保険の適用拡大」により対象となるパート等の範囲が拡大されているので注意が必要です。
ちなみに、「106万円の壁」と呼ばれるのは、図表5の賃金の要件「所定内賃金が月額8万8000円」を年額換算すると105万6000円(8万8000円×12カ月)になるからですが、実際は年額106万円に至らなくても、年の途中で図表5の要件を満たすようになった月から加入義務が課せられることになります。
4.130万円の壁(社会保険制度上の壁)
配偶者などの扶養に入っている(被扶養者である)パート等の場合、年収が130万円以上(ただし、60歳以上の場合または障害厚生年金を受給できる程度の障害者の場合は180万円以上)になると、社会保険の扶養から外れてしまいます。その場合、パート等が自ら社会保険や国民健康保険・国民年金に加入して保険料を納めなければなりません。
なお、実際は年額130万円に至らなくとも、年の途中で、年間の見込み収入額が130万円(月額10万8333円)以上を満たすようになった時点で扶養を外れることになります。
5.150万円の壁、201万6000円の壁(税制上の壁)
パート等に配偶者(年間の合計所得金額が1000万円以下)がいる場合、パート等の給与収入(賃金など)が増えることで、その配偶者が所得税の配偶者特別控除を受けられなくなるケースがあります。配偶者特別控除の控除額は満額38万円ですが、
- パート等の給与収入が年額150万円を超えると、控除額は38万円から徐々に減額される
- パート等の給与収入が年額201万6000円以上になると、控除額は0円になる
という仕組みになっています。
2)賃金と所定労働時間と6つの壁の関係
社員が6つの壁に抵触するか否かは、賃金と所定労働時間の設定によって変わります。週の所定労働時間のパターンごとに、6つの壁に抵触する時給額を試算すると次のようになります。グレーの部分は、時給額が東京都の2024年10月以降の地域別最低賃金(1163円)を下回っている(一部または全ての都道府県において設定できない金額である)ことを表しています。
なお、「103万円の壁」については前述した通り、実際は月収8万8000円を超えると所得税が課税されるため、壁に抵触する時給額は実質的には「106万円の壁」と同じになります。
また、「130万円の壁」は他と違い、報酬の計算に「通勤手当」を含めて算出する必要があるため、実際に時給換算する際は注意が必要です。
以上(2024年10月更新)
(監修 人事労務すず木オフィス 特定社会保険労務士 鈴木快昌)
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