書いてあること

  • 主な読者:体制や採用の見直しなど、今までとは違う取り組みを始めてみたい経営者
  • 課題:事業を継続し次世代にも引き継げるよう、時代に合わせて自社を進化させていきたい
  • 解決策:「守りながらも進化を続ける」ことを心がけて、柔軟に変わっていく

1 変革しながら続いてきた老舗企業の重みに学ぶ

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どのような企業も、強みを生かし、弱みを克服しなければ生き残っていくことはできません。特に「老舗」と呼ばれる長い歴史のある企業は、大小の変革を乗り越えて現在に至っていて、強みを生かし弱みを克服してきた経験に重みがあります。

今回取材した東京・浅草にある株式会社新門(しんもん)は、200年以上の歴史を持つ老舗企業です。いわゆる町鳶(まちとび)でありつつ、浅草寺(せんそうじ)で行われる各種の行事を取り仕切っている特別な存在といえます。最近は、鳶未経験の女性を採用してメディアなどでセンセーショナルに取り上げられましたが、果たして、どのような狙いがあったのでしょうか。そして、その影響はどのようなものだったのでしょうか。

新門の専務取締役・杉林 礼二郎(すぎばやし れいじろう)さんと、初の女性社員、地元・浅草出身の櫻井 晴菜(さくらい せな)さん、23歳にお話を聞きました。お話ししてくださった「意外な内容」は、老舗に限らずどの企業にとっても参考になるものでした。

2 進化し続ける老舗企業「新門」

1)浅草と共に生きる

東京都台東区、浅草。下町情緒溢れるこの街と共に、新門は今日も歴史を紡いでいます。

新門は、江戸時代末期から200年余りの歴史を持つ老舗企業。町鳶として建設現場の内外装工事を行っている企業ですが、普通の町鳶とは違います。新門は、浅草寺・浅草神社周辺で行われる行事を取り仕切る役割も持っています。

「新門の半纏を見るとハッとして、背筋が伸びる」

と、とある地元の人は語っていました。日本を代表する祭礼のひとつである三社祭や、夏の風物詩・ほおずき市など、伝統行事でキビキビと働く新門の半纏を見るたびに、浅草の人々は特別な感情を抱きます。新門は浅草寺・浅草神社の“御用出入(浅草寺・浅草神社から許され、敷地内を仕切ること)”として、浅草の文化を守り、未来へ繋げてゆく役目を背負った老舗企業なのです。

「新門」の歴史は、江戸時代末期の鳶・火消しである新門辰五郎に由来します。「を組の頭・辰五郎」の名前は、時代劇や歴史ドラマなどでも耳にしたことがある方もいるかもしれません。彼は町火消ながら上野大慈院(東叡山寛永寺)の義寛僧正に見込まれ、浅草界隈の取締を務めました。

勝海舟や徳川慶喜などとも親交を深めた辰五郎は、江戸っ子の鑑のような男気ある人物。そのいなせな人柄に惚れる人は数多く、彼の子分は3000人にも及んだと言われています。辰五郎からはじまった新門は戦争や天災を乗り越え、今も浅草に息づいています。

そんな新門に、今年(2024年)3月から新しいメンバーが加わりました。それが櫻井 晴菜さんです。

2)「現状維持は衰退のはじまり」

メディアでも、もちろん浅草界隈でも、櫻井さんの入社はちょっとしたニュースになりました。その理由は、

櫻井さんが新門200年の歴史の中で、初の女性社員

だからです。

今なお建築関係の現場で働く女性は少なく、プラスして浅草界隈で有名な老舗の町鳶とあれば、新門はとても思い切った採用をした、と思われることも多いはず。しかし、実際に取材をして見えてきたのは、櫻井さんをごく自然な流れで採用することになり、そして自然体で受け入れ、共に働く「新門ファミリー」の姿でした。

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浅草寺敷地内の事務所で出迎えてくれた杉林さんと櫻井さんは、本当の家族のように仲良さげです。

「実は採用にあたって、特別なことをしようという気持ちや覚悟などは無かったんです。男性だ女性だという意識もないし、壁を作ることもない。他の人員と何も変わることはない、一緒に働く仲間ですから」

新門の8代目である杉林さんはそう語ります。櫻井さんの採用は周りから見ればとても斬新な取り組みですが、内部では特別なことをしているつもりはなく、自然体のまま受け入れて一緒に働いているとのこと。

杉林さんが率いる新門は、老舗企業ながら、新しいことにチャレンジし続け、進化し続けている企業です。例えば、新門は「町鳶の仕事」である足場づくりだけでなく、内装の仕事も手掛けるようになっています。これは杉林さんと弟さんが会社の中心になってからはじめたもので、7代目であるお二人のお父さまも、「やりたいようにしてみればいい」と、背中を押してくれたそうです。

櫻井さんを採用したきっかけも、「内装の仕事を進めるにあたり、現場管理をする人員が必要になり自然な流れで」とのこと。加えて、鳶職といえば力仕事、というイメージがあったのも、今は昔の話。金具ひとつ締めるのにも力が必要だった昔とは違い、いまは女性の力でも仕事が出来るようになったこともあり、最初から採用に対する壁は無かったと言います。

櫻井さんはいま、現場に入りながら、日々新門の先輩方の背中を追い、仕事のいろはを学んでいます。

「新卒で入社した前の会社と(仕事の相性が)合わなくてずっと燻っていたけれど、今はたくさんの人と関わって体を動かす仕事で、働いていてとても楽しい。少しずつ重いものも運べるようになってきて、もっと新しいことにチャレンジしたいし、ひとつでも出来ることを増やしたい。皆さんの背中を追いたい。大好きな地元のために働けることもとても嬉しくて、友達に自分の仕事を自慢しているんです」

活き活きとした瞳で語ってくれた櫻井さんは、地元で育ち、毎年三社祭のお神輿を担いできた生粋の“浅草っ子”です。素直で人懐っこい櫻井さんが入社してからは、新門全体の雰囲気も明るくなったと杉林さんも語ります。

「『去年』と『今年』で、何か変えていきたい。もちろん『今年』と『来年』も。何事もやってみなければわからないし、現状維持は衰退のはじまりですから」

「プライドじゃあ、飯は食えませんからね。いい意味でプライドを持ちながらも、僕たちは変わっていかないと。変わっていきたいんです」

時代に対応し、また、ニーズに合わせて柔軟に変わっていく、変えていく。「老舗企業」という文字列には頑固一徹のイメージがありますが、

200年もの間「新門」が続いているのは、紛れもなく、「新門が変わってきたから」

なのです。

3)守りながら、進化してゆく

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杉林さんは、これからの新門の「あるべき姿」について、こう語ります。

「新門の看板や先人が繋いできた歴史はしっかりと守っていきたい。ただ、守りながらも進化していきたいんです。そして少しでも上向きにして、次世代に渡していきたい」

「うちは特別なことをしているつもりはないけれど、いま迷っている人たちが、一歩を踏み出すきっかけになればいいですね」

変化を受け入れ、新しいことをしてゆく。新門は常に未来を見ています。櫻井さんを採用したのも、その変化の流れの中で「自然と必要だった」ことなのかもしれません。しかし、新門のこうした姿勢は、すべての老舗が当たり前に真似出来ることではないとも感じます。

未来を語る杉林さんを見つめる櫻井さんの瞳には、確かなリスペクトが宿っていました。江戸中にその名を響かせた新門辰五郎の心意気は、今も確かに浅草で生き続けているのです。

3 100年先、自社が「老舗」と呼ばれるために

取材陣が新門を訪れたとき、事務所には今年から新設したという更衣室が設えられていました。現状、男女別の更衣室については法律的な決まりはありませんが、女性を雇用するにあたっては必要な配慮です。「自然に受け入れる」という気持ちだけではなく、そのための環境を整備するのを忘れないところにも、新門の思いやりと心意気を感じます。

新門は採用に限らず、進化を続けている老舗企業でしたが、自社の体制を見直すにあたって、まずは現在の採用の広告を見直したり、人材の幅を広げてみたりするのもひとつの手です。

しかし新しい人材を採るにあたり、守らなければいけないルールもありますので、今一度確認してみるのも良いでしょう。例えば女性を雇用する際には、以下のような法律上の決まりがあります。

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帝国データバンクの調査によると、2023年時点で創業100周年以上の「老舗企業」は、日本に4万3631社存在します。全世界の「老舗企業」の総数は約7万5000社と言われているので、そのうちの60%弱が日本にあるという計算になります。日本は世界でも有数の「老舗企業大国」といえるでしょう。

その一方で2024年上半期の老舗企業の倒産件数は、年上半期として過去最多の74件でした。経営環境の変化に適応し、自然災害などを乗り越え、自社を守り抜くのは並大抵のことではありません。今回取材した新門は、100年先の未来でも自社が「老舗企業」として活躍できるよう、一歩ずつ進化してゆくことの大切さを教えてくれました。

すでに「老舗企業」と呼ばれている会社も、これから「老舗企業」を目指していく会社も、一歩を踏み出すときは今なのかもしれません。

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以上(2024年9月作成)

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画像:株式会社新門

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