目次
1 不届きな社員から退職金を取り戻す方法
退職金は長年働いてくれた社員に報いるためのものです。ですが、中にはそんな厚意を踏みにじる不届きな社員もいて、そうした場合には厳しく対応しなければなりません。例えば、
横領を隠したまま転職し、退職金だけしっかり受け取って去っていく社員
がいたらどうですか?
退職するときに、在職中の不祥事を発見できない場合に、こうした問題が生じるのですが、次の3つのポイントを押さえれば、退職した社員に、退職金の返還を適正に請求することができます。以降で詳しく見ていきましょう
- 民法の「不当利得返還義務」の仕組みを理解する
- 就業規則の「退職金の支給制限や返還の定め」を確認する
- 不祥事の重さと長年の功労を照らし合わせる
2 民法の「不当利得返還義務」の仕組みを理解する
不祥事を隠して退職した社員に対し、すでに支払ってしまった退職金の返還を請求できる法的な根拠は、民法の「不当利得返還義務」です。これは、
法律上正当な理由がないのに、他人の損失と引き換えに利益を受けた人(受益者)は、損失を受けた人(損失者)に、その利益を返還しなければならないという義務のこと
です。損失者が「受益者の受けた利益が不当利得であること」を立証して、利益の返還を求めた場合、受益者はこれを拒むことはできません。ただし、返還請求を行えるのは、「不当利得が生じた時点から10年間(損失者が不当利得に気付いた場合は、その時点から5年間)」です。
退職金の場合に当てはめると、
「不祥事を起こした社員には、退職金の全部または一部を支払わない」というルールであれば、本来であれば支給されない(または減額される)はずの退職金を満額受け取った場合、その社員は会社の損失と引き換えに利益を受けている
ことになります。
問題は、「退職金を満額受け取ることに、法律上正当な理由があるか」です。この点については、労働基準法で「退職金制度を設ける場合、退職金の支給対象者、金額の決定・計算・支払いの方法、支給時期を、就業規則で定めなければならない」とされています。つまり、
就業規則の内容が、法律上正当な理由があるかを判断する基準になるということであり、そこで、次に紹介する「退職金の支給制限や返還の定め」が重要になってくる
というわけです。
3 就業規則の「退職金の支給制限や返還の定め」を確認する
退職金の返還請求に関して、就業規則に次の2点を定める必要があります。
- 退職金の支給制限:懲戒事由に相当する背信行為をした社員には、退職金の全部または一部を支払わない
- 退職金の返還:懲戒事由に相当する背信行為をした社員に、すでに退職金を支払ってしまっている場合、当該社員に退職金の全部または一部の返還を命じる
過去に、
退職金請求権が雇用契約から生ずる社員の基本的な権利であることに鑑みると、その支払いを拒めるのは、就業規則に定められた不支給事由が存在する場合に限定されると解するべきである
と判断した裁判例(広島地裁平成2年7月27日判決)があるため、必ず定めておきましょう。
【規定例】
第○条(退職金の支給制限)
1)就業規則第○条で定める懲戒規定に基づき懲戒解雇された従業員または懲戒事由に相当する背信行為を行った従業員には、退職金を支給しない。
2)就業規則第〇条で定める懲戒規定に基づき諭旨解雇され自己都合退職した従業員には、退職金を一部支給しないことがある。
第○条(退職金の返還)
退職金支給後において、前条で定める退職金の支給制限に該当した者については、既に支給済の退職金の全額または一部の返還を命じる。この場合、返還を命じられた者は誠実にこれに応じなければならない。
上の規定例では、「退職金の支給制限」「退職金の返還」の対象となるのは、いずれも懲戒解雇または諭旨解雇に相当する不祥事を起こした社員です。
退職金の減額・不支給が有効と判断されるには、それに見合うだけの非違・背信行為が行われたことが必要
であるため、懲戒処分のうち重大なものに限るものとしています。
4 不祥事の内容と長年の功労を照らし合わせる
就業規則に退職金の支給制限や返還の定めがあっても、請求額の全額が回収できるとは限りません。
支給制限の話になりますが、過去の裁判例では、
懲戒解雇であっても、退職金を不支給とすることは、長年の功労を打ち消す重大な背信行為がなければ合理的とはいえないので、減額などにとどめるべき
と判断したもの(東京高裁平成15年12月11日判決)があります。この裁判では、痴漢行為が原因で懲戒解雇された社員の退職金を不支給とすることの可否が争われ、最終的に70%の減額が妥当と判断されました。判決文では、
- 退職金全額を不支給とするには、当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である
- 業務上の横領や背任など、会社に対する直接の背信行為とはいえない職務外の非違行為がある場合、会社の名誉信用を著しく害し、会社に無視し得ないような現実的損害を生じさせるなど、横領や背任に匹敵するような強度な背信性を有することが必要である
という旨が示されています。
退職金の返還請求についても同様です。どの程度の額の返還が認められるかは、社員の不祥事の内容と長年の功労を照らし合わせた上で判断されます。
なお、社員の不祥事によって会社が損害を受けた場合、退職金の返還請求とは別に、受けた損害に関する損害賠償請求が認められる可能性があるので、必要に応じて検討しましょう。
5 (参考)同業他社に転職した社員の退職金は?
参考として、社員が退職後、就業規則の競業避止義務に違反して、同業他社に転職した場合の退職金の返還請求について説明します。
競業避止義務違反を理由に退職金の返還請求が認められるかについては、退職した社員側の職業選択の自由の問題などもあって判断が難しいですが、「同業他社に転職した場合、退職金の半額を返還させる」という就業規則の規定の有効性等が争われた過去の裁判例では、
就業規則の競業避止義務に違反することで、勤務中の功労に対する評価が減殺される
として、退職金の一部の返還請求を認めたもの(最高裁第二小法廷昭和52年8月9日判決)があります。
ただ、一般的に、競業避止義務違反は横領や背任等の不祥事よりも悪質性が低いといえるため、仮に返還請求が認められたとしても、回収できる額は退職金の一部にとどまる場合が多いと考えられます。なお、就業規則に競業禁止に関する定めがあっても、これに違反した場合に退職金の返還を命じる旨の定めがなければ、退職金の返還請求は原則として認められません。
以上(2025年11月更新)
(監修 有村総合法律事務所 弁護士 小出雄輝)
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