1 日本人に愛されてきた「桜」
日本に現存する最古の歌集である万葉集にも桜を詠んだ歌が残されており、古くから人々の生活の中に桜があったことが分かります。
しかし、当時、桜より好まれていたのは、現在の中国より伝来した梅でした。
平安時代に入ると、支配者階級の儀式などで桜が好まれるようになりました。そして812年、嵯峨天皇(さがてんのう)が行幸した平安京の神泉苑において、日本で初めて天皇の観桜の宴が行われたといわれます。その後、桜をめでるという習慣は宮中から公家や武家、そして庶民へと広がり、桜は春の花の代名詞となります。
以来、日本人と桜の間には特別な関係があります。本稿では、「花見」のほか、「和歌」「絵画」など桜にまつわる文化について紹介します。
2 桜といえば、やはり「花見」
1年のうち、わずかな時間しか花を咲かせない桜。その桜を眺めながら、家族や仲間などが集まり、食事やお酒を楽しむ花見は、春のイベントの中では一番のメジャーどころかもしれません。
かつて、花見を行うのは貴族や武士など特権階級に限られていました。しかし、江戸時代になると、庶民の間にも花見を行う風習が広まります。江戸の代表的な桜の名所といえば上野でしたが、徳川家の菩提寺・寛永寺の境内であるため、酒を飲んで大騒ぎする場所としては不適切でした。そこで、8代将軍徳川吉宗は飛鳥山(現在の東京都北区にある飛鳥山公園)に千株以上の桜を植樹させ、行楽地として庶民に開放しました。
飛鳥山での花見では飲酒、仮装、唄、踊りなどが許可されたため、多くの庶民が集い、思い思いに花見を楽しんだといわれています。
3 「和歌」「絵画」「食文化」
1)和歌
古来、桜は多くの和歌に詠まれてきました。それらの中でも有名な歌としては、以下のものなどが挙げられます。なお、訳には諸説があります。
・「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
(訳:もし世の中に桜がなければ、春はどんなにのどかに過ごせるだろう(桜があれば、散ってしまうことが心配になるため))(在原業平)
・「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」
(訳:満開の桜の下、釈迦が入滅した2月15日頃に死にたいものだ) (西行)
桜の柔らかく、儚(はかな)い美しさには、日本人の美意識に強く訴えかける「もののあわれ」があります。このため、多くの歌人に好まれました。また、「潔く散る姿」には、武士の生き方の理想が表れているとされ、武士にも愛されました。
2)絵画
絵画の分野では、我が国独自の大衆美術として、江戸時代前期に浮世絵が誕生しました。当初、浮世絵は、役者を描いたものが多く見られましたが、その後、旅の様子や風景など、さまざまな光景が描かれるようになりました。
のちに大家といわれるようになった作家の作品にも、「八重桜に小鳥」(歌川広重) 、「鷽(うそ)に垂桜(しだれざくら)」(葛飾北斎) といった桜をモチーフとした作品が残されています。しかし、浮世絵と桜の結びつきはそれにとどまりません。実は、浮世絵の版木は桜の木から作られているのです。江戸時代より、浮世絵版画を制作する際の板は、通常、ヤマザクラの木が用いられています。ヤマザクラの木はとても堅いため、細い線を彫ることができ、また大量に刷っても摩耗しにくいという性質があります。このため、浮世絵の制作にはヤマザクラが欠かせないものとなっています。
3)食文化
桜は食文化とも深いつながりを持っています。桜を用いた食べ物といえば、塩漬けの桜の葉で餡(あん)入りの餅をくるんだ桜餅が有名です。また、塩漬けにした桜の花に湯を注いだ桜湯は、主に祝いの席などで飲まれます。最近では、桜を使ったアイスクリームやゼリー、ジャムなども登場しています。
多くの場合、桜に関する食べ物は、桜の持つ気品ある明るい色合いから祝いの象徴として用いられます。
以上(2023年3月)
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