今どきはさまざまな分野のテクノロジーが、めまぐるしい勢いで進化しています。例えば、自動車の分野では、二酸化炭素を出さない電気自動車の開発や、交通事故を防ぐための自動運転技術の研究が進んでいます。

こうしたテクノロジーの進化は、社会に必要不可欠で歓迎すべきものですが、一方でこうした話につきものなのが「新しいものが出てきたら、古いものの価値はなくなってしまうのか」という問題です。最近、これについて考えさせられた出来事があったのでお話しします。

先週の休日、私は人生で初めて人力車に乗りました。客が乗るための台座に2つの大きな車輪がついていて、台座とつながれた柄を俥夫(しゃふ)というドライバーが引いて進む、あの人力車です。

ちょうど観光地にいたため、試しに乗ってみたのですが、これがとても乗り心地がいい! 台座の座席はフカフカですし、人が引いて走るがゆえに、ちょうど心地よい速さの風を浴びることができます。台座から観光地の景色を眺めながら、俥夫の人が観光名所のガイドをしてくれますし、名所に着いたら人力車に乗った状態で写真まで撮ってくれました。

俥夫の人が言うには、最近は新型コロナに対する規制が解除されてインバウンドも増えた影響で、人力車の客足が大きく伸びていて、海外から来た人にも慣れない英語を使いながら、観光を楽しんでもらっているそうです。

人力車が発明されたのは、明治時代。江戸時代に用いられた籠(かご)よりも速く、一方で馬車よりもコストを抑えられる乗り物として注目を集めました。鉄道や自動車が普及するにつれて、その活躍の場は狭まっていきましたが、明治時代に登場してから150年以上が経過しているのに、今なお人力車は世に残り続けています。なぜでしょうか。それは、人力車の提供する価値が「速さ」から「楽しさ」に変わったからだと思います。

さっきもお伝えした通り、人力車ではドライバーさんが客である自分だけのために車を引き、観光名所のガイドや写真撮影をしてくれます。今回、私は利用しませんでしたが、最近ではアイドルを特別な俥夫として招き、そのアイドルのファンを客として乗せるサービスもあるそうです。人力車に乗るのは数十分から長くて数時間程度ですが、その短い時間の中で味わえる「特別感」により、人力車は今も愛され続けているのです。

私たちは、新しいものを吸収する傍ら、古いものを「悪いこと」のように見る傾向があります。もちろん、古いものに固執するのは良くありませんが、1つの価値尺度だけで古いものを断罪してしまうのも、それはそれで視野が狭すぎます。私たちの提供する商品・サービス、あるいは仕事を進めるためのツールなどの中にも、今はあまり使われていなくても、戦うフィールドを変えれば新たな価値を見いだせるものが、まだまだたくさん眠っているはずです。

以上(2024年2月作成)

pj17171
画像:Mariko Mitsuda

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