皆さんもご存じの通り、私は日本の歴史、特に戦国時代が好きで、関連する書籍やテレビ番組をよく見ています。今年の大河ドラマ「どうする家康」も、毎週楽しみにしています。主人公である徳川家康は、さまざまな強敵を相手にしましたが、中でも武田家との戦いは、非常に大きな試練だったと思います。ですから、織田信長と家康の連合軍が、1575年に武田勝頼を破った「長篠(ながしの)の戦い」は、私にとって非常に興味深い戦いです。そこで今日は、この長篠の戦いについて、「常識」というテーマで話をしたいと思います。
長篠の戦いは、鉄砲が日本で初めて、本格的に戦いの場に投入された出来事として有名です。戦国最強といわれた武田軍の騎馬隊に対し、織田・徳川連合軍は3000丁の鉄砲を準備して対抗しました。当時の鉄砲は、弾を込めて撃つまでに数十秒かかるため、猛スピードで突進してくる騎馬隊には対抗できないと思われましたが、織田・徳川連合軍は、鉄砲隊を前段・中段・後段に分け、時間差で砲撃を仕掛ける「3段撃ち」という戦術によって、鉄砲の弱点を克服し、武田軍の騎馬隊を打ち破ったと伝えられています。
このエピソードは、当時の戦いの「常識」だった騎馬中心の個人戦を、鉄砲隊を中心とする集団戦に移行させた画期的な出来事だといわれています。それによって、鉄砲や火薬を入手するための経済力の重要性が高まり、城の立地や構造にも影響を与えたとされています。
長篠の戦いでは、織田・徳川連合軍の鉄砲隊の砲火を浴びた武田軍が、かたくなに騎馬隊を突撃させる戦術にこだわったために大敗しました。そして、有能な重臣を数多く失ったことで、後の武田家の滅亡につながったといわれています。勝頼は、「武田軍の騎馬隊が突撃すれば敵を蹴散らせる」という、従来の「常識」に凝り固まり、目の前の新しい現実に対応できずに、滅びていったわけです。
ここから、私たちも、「常識は、塗り替えられる」ということを教訓にすべきだと思います。私たちも日々、業界や会社の中で「当たり前」とされる、さまざまな常識の中で仕事をしていますが、仮にその常識を塗り替えるほどの革新的な考え方や技術が出てきたら、あっという間に周囲に置いていかれてしまいます。あるいは、今まで「常識だ」と信じていたことに間違いや問題点があり、非効率なことを続けているかもしれません。
常識を知らずに仕事をすることはできませんが、同時に「常識通りに行動すれば失敗しない」という、一種の思考停止に陥ることがないよう、気を付けて業務にまい進したいと思います。
ちなみに、長篠の戦いで「織田・徳川連合軍は鉄砲の3段撃ちによって、武田軍に勝利した」という「常識」も、実は裏付けとなる史料の信ぴょう性に欠け、誤っている可能性があるそうです。従来の「常識」に凝り固まって勝頼を不当に低く評価しないよう、気を付けたいと思います。
以上(2023年1月)
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画像:Mariko Mitsuda