【ポイント】

  • 「目黒のさんま」には、主君を気遣いさんまの塩気や油気を抜いてしまう家臣が登場する
  • 「手間をかけて作ったもの」に価値があるとは限らない。相手のニーズをよく考える
  • 相手への思いやりから、あえてニーズに沿わない決断をすることが必要なケースもある

今日は、古典落語の「目黒のさんま」を紹介します。細かい部分は噺家(はなしか)ごとに異なりますが、私の知っている内容でお話しします。

江戸時代、「雲州公」という殿様が目黒に行ったときのこと。小腹が空いた雲州公は、近所の農家が焼いていたさんまを食べることになります。さんまは庶民の食べ物で、雲州公が口にするのは初めてでしたが、彼はその味を気に入りました。

その後、雲州公は、「黒田公」という殿様に「領地を治めるなら、庶民の生活をよく知るべきだ」と、さんまを勧めます。黒田公はその言葉に従い、家臣に命じて房州(ぼうしゅう)という地域の網元から新鮮なさんまを仕入れさせますが、家臣は「焼いたさんまをそのまま出すのは、殿の体に悪い」と考え、塩気や油気を抜いてしまいます。

この味が黒田公には不評でした。黒田公は後日、雲州公に「房州からさんまを取り寄せたが、まずかったぞ」と不満を漏らします。すると、雲州公はこう答えました。「それは房州のさんまだからだ。さんまは目黒に限る」と。

さんまを焼いていた農家に偶然出会っただけなのに、さんまが目黒の特産物だと勘違いしている雲州公が滑稽ですね。ただ、私が注目してほしいのは、房州からさんまを取り寄せて調理した黒田公の家臣です。注目してほしい点は2つ。

1つは、黒田公の家臣が網元から新鮮なさんまを仕入れた上に、塩気や油気を抜いて丁寧に調理をしていること。相当手間をかけたのに、なぜ黒田公には不評だったのか。それは、さんまを初めて食べる黒田公にとって、大切なのは「新鮮さ」や「ヘルシーさ」ではなく、「味」だったからです。私たちは、「手間をかけて作ったもの」に価値があると思いがちですが、実際のビジネスでは、それが本当に相手(顧客など)のニーズを満たしているかを、よく考える必要があります。

もう1つは、黒田公の家臣の対応も、場合によっては正解になり得るということ。仮に黒田公が体調面に問題を抱えていたなら、主君の体を気遣って塩気や油気を抜くのは当然です。相手のニーズを理解した上で、あえてニーズに沿わない決断をすることが必要なケースもあるのです。

以上(2024年11月作成)

pj17197
画像:Mariko Mitsuda

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