皆さん、おはようございます。今朝は「こだわって『こだわり』を捨てる」ことについてお話しします。

こだわりを持つことは、好意的に受け止められることが多いです。例えば、私たちはライターの仕事に誇りを持っています。ですから、文章の構成や使う言葉にとことんこだわるわけです。このことを他業種の人に話すと、「プロですね!」と称賛もされます。こういうことはプライベートでも同じです。私の知人にお塩にこだわる人がいて、とても貴重な岩塩を使っています。正直、私には味の違いが分かりませんが、岩塩のうんちくを聞くのは苦ではありません。

ということで、こだわりを持つことは大切なのですが、「こだわりは、柔軟性とトレードオフの関係にある」ことは認識しておくべきです。

以前、仕事の進め方に強いこだわりを持つ部下がいました。面倒なことでも率先して取り組むところは素晴らしかったのですが、他人の意見を全く受け付けないところが問題でした。こちらの提案を吟味せず、自分のこだわりを貫きます。結果的にその部下の進め方が間違っていても、それを改善する思考の柔軟性はありませんでした。

もちろん、こだわるからには、それなりの理由があるはずなので、簡単には捨てられないでしょう。しかし、あえて皆さんに提案します。それは、「こだわって『こだわり』を捨てる」ということです。

例えるなら、文章の編集に似ています。私は、3500文字の原稿を編集するとき、3000文字以下にすることを目指します。くどい言い回しや不要な装飾を修正することもしますが、それ以上にこだわるのは、「読者には理解されないであろう筆者のこだわり」を見つけ、丁寧に圧縮することです。引き算をしながら、本当に大切なことを際立たせていくイメージです。

当然、文書をカットされた筆者は面白くないでしょう。しかし、私は編集者として筆者に信頼されているので、議論をすることはありますが、取り返しのつかない衝突をすることはありません。このことから、こだわりをぶつけ合うには、お互いの信頼関係や相手へのリスペクトが前提になることが分かるでしょう。

一方、私と筆者のようにはいかず、こだわりとこだわりが衝突して、一方が去っていくケースもあります。これが、単なる感覚的な好き嫌いの押し付けではなく、プロとプロとの譲れない意見の衝突であるならば、仕方のないことでしょう。

さて、皆さんにもたくさんのこだわりがありますね。そのこだわりは、皆さんの活動のよりどころであり、達成感の源泉でもあるはずですが、いま一度、考えてほしいのです。そのこだわりは、本当に必要ですか。単なる好みの押し付けになってはいませんか。ぜひ、こだわって「こだわり」を捨ててみてください。今よりも身軽になって洗練され、プロとして成長できるはずです。

以上(2024年4月作成)

pj17176
画像:Mariko Mitsuda

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