先日、知り合いの社長と食事に行ったときの話です。私たちのテーブルから2つ離れたテーブルでは男女2人ずつの4人グループが食事をしていました。ほどなくして、私たちとその4人グループの間のテーブルに家族連れが案内されました。
家族連れは、4人グループのテーブルのそばを通ってそのテーブルに着こうとしました。そのとき、4人グループの1人が通路に放っていたリュックを子供が踏んでしまいました。「ごめんなさい」と子供が謝ると、4人グループの1人は、「気にしなくていい」といったそぶりで無言のまま片手を上げました。恐らく、自分の寛大さを仲間やその家族連れにアピールして、格好をつけたつもりなのでしょう。しかし、私も知り合いの社長も強い違和感を覚えました。
考えてみてください。子供はリュックが通路にはみ出していたから踏んでしまったのです。つまり、そこに放っておいたその人がよくないのです。また、これは「ヒヤリハット」です。この後子供がトイレに行くときに、今度はリュックにつまずいてテーブルの角に顔でもぶつけてしまったら、大きな事故になる恐れがあります。これくらいのことがイメージできないのは短慮です。加えて、子供が謝罪しているのに、大人が声も出さずに片手を上げて応えるだけとは常識がありません。
この場合の格好いい対応とは、「子供のほうを向いてしっかりと謝罪し、速やかにリュックを引っ込めること」なのです。
誰でも格好よくありたいと思っています。しかし、格好いいの基準は人それぞれですし、TPOもあるので、普遍的ではありません。
ただし、1つ言えるのは、「自分をよく見せよう」としてうわべだけをとりつくろったりするのは、とても「格好悪い」ということです。
ビジネスでは、「トラブルなく仕事をして自分をよく見せたい」という思いから周囲との衝突を避け、当たり障りのない意見ばかりを言う人がいます。本人は格好よくスマートに立ち回っているつもりかもしれませんが、私から見れば、自分の得点を下げないことで精一杯のように思えます。衝突を恐れずに自分の意見を正しく主張するほうが、よほど格好いいと私は思います。
同様に、「部下にチャンスを与える!」など部下育成の姿勢を見せていても、実際は自分から一切動かず、リスクをとらないというのは、部下思いではなく、自分思いなだけだと私は思います。部下にチャンスを与えるために、自分は上役から叱られるかもしれないけれど、リスクをとって部下にチャレンジさせたり、自分がチャレンジする姿を部下に見せるほうが、よほど頼もしいです。
うわべだけ格好をつけても、上司や部下、同僚、取引先などからすぐに本質を見抜かれてしまいます。リアルなビジネスは泥臭いもので、ぶざまでも一歩一歩進むしかありません。その泥臭さこそ、本当に「格好いい」姿といえるのではないでしょうか。
以上(2022年6月)
op16825
画像:Mariko Mitsuda