先日読んだ本が興味深かったので、今朝はそのお話をします。テーマは「働きアリの働き方」です。アリについては、「女王アリは至れり尽くせりの世話を受けて幸せ。働きアリは一生働かなければならず、ブラック企業の社員みたい」といったイメージがあるかもしれません。
しかし、働きアリは無理やり働かされているわけではありません。女王アリに卵を産ませたほうが自分に近い遺伝子を残せるので、そこは女王アリに任せ、自分は他の仕事をしているのです。またこの労働は、滅私奉公ではありません。働きアリの役割は、幼虫を育てる、巣を掃除する、エサを見つけて運び込む、外敵が来たら戦うなどですが、女王アリから指図されているわけではなく、個々の裁量でやるべきことを決めています。
そのため、働きアリをよく観察していると、隊列から外れてフラフラとサボるアリもいます。ただ、こうしたアリも、巣が壊れる、外敵が襲ってくるなどの非常事態には率先して仲間を助けます。また、うろちょろと寄り道をする中で、エサへの近道を見つけることもあります。
こうした働きアリの生態には学ぶことも多いですが、私は違和感も覚えます。
その違和感とは、「女王アリと働きアリ」「種の保存」という、いつまでも変わらない価値観の中だけで動いているように見えるところです。
私たちはどうでしょうか。知らず知らずのうちに、いつまでも変わらない価値観に支配されていることはないでしょうか?
働きアリが本能で女王アリの世話をするように、私たちは生きるために働き、家族も養います。そのために一生懸命になることは、会社にとってありがたいことですが、これは最も基本的な「生理的欲求」です。そして次に、やりがいを見つけるために、「目的」を決めようとします。上司と部下の面談でよく見かける、「あなたの働く目的を決めましょう」といったものですが、この行為さえも、今、本当に必要なのかは疑問です。
極端に言えば、確固たる目的ややりがいがなくても、「こういうものがあったら便利かも」「今の仲間と一緒に働けるのは勉強になる」という気持ちが少しでもあり、それを軸に自分で行動できれば、それでいいのではないでしょうか。むしろ、「上司から言われたので目的を考えた」という既定路線の受け身な姿勢は、進化の邪魔になります。
働きアリの話から飛躍しているかもしれませんが、私はむしろ、働きアリの話にただ感心しているようではいけないと危機感を覚えました。皆さんはどうでしょうか。今、皆さんの価値観や「なぜ働くか」について、バージョンアップを図る時期に差し掛かっているのです。
以上(2020年10月)
pj17026
画像:Mariko Mitsuda