先日、知人のご子息がある資格試験に合格しました。彼に「合格おめでとう。相当勉強したのだろう。頑張ったね」と言ったところ、彼は「そんなにたいしたことはやってません」と答えました。実際のところは分かりませんが、努力について褒められると、謙遜して隠そうとする人は、彼に限らず、少なくありません。
例えば、皆さんの学生時代を思い出してみてください。いつも試験で良い成績を取る人がいたでしょう。成績が良いのは、しっかりと勉強した成果の証(あかし)です。でも、その人は、人前ではさほど勉強しているふうには見せないようにしていました。
人は努力を隠そうとします。これには二つの理由があります。一つは、努力して結果が出なかったときのことを恐れているからです。周りの人から「あれだけやっていたのに、ダメだな」と冷ややかな目で見られるとしたら嫌ですし、それを避けようとするわけです。もう一つは、努力して結果が出たとしても「あれだけ準備すれば、当たり前だ」と言われることがあるからです。一生懸命に勉強したのに、そのために周囲からの評価が下がってしまうようなら、努力したことは隠しておこうと考えるのです。
皆さん、思春期の頃を思い出してください。勉強、スポーツ、芸術に懸命に取り組んでいる者を、冷やかす者がいたはずです。
実社会はそうではありません。努力する君やあなたのことを、周りは敬うのです。努力とは「目標実現のために心身を労して努めること」です。実社会には、努力する人を笑う人はいません。成功を収めるには、努力するより方法がないことを成功した人は知っているからです。
また、懸命に努力をしたからといって、目標実現が成るとは限りません。このことも、成功した人は知っています。しかし、努力なしでは何も起こりませんし、努力することが大切なのです。
努力はもちろん自分のためです。しかし、私は、個人の努力がもっと大きな力になると思っています。それは、努力した人が、自分の努力を語ったり、努力している姿を見せることで、周りを動かせるようになるということです。そのためにも、皆さんには、自分がどこまで努力してきたのかを、堂々と語ってほしいと思います。また、一生懸命に努力する姿を見せてください。そうすれば、それを聞いた人や見た人は、必ず前向きになります。「よーし、私もやるか」という熱い気持ちになるのです。
資格試験に合格した知人のご子息は、仕事をしながら1年間毎日3時間勉強し、休日には専門学校に通っていたそうです。やはり相当の努力をしていたのです。
私は、子供の頃、部屋に巨人軍の王貞治選手の色紙を飾っていました。色紙には「努力」と揮(き)ごうされていました。王選手ほどの偉大な選手でも、努力に勝るものはないと考えていたのです。また、努力を語ったり、見せたりするのは気恥ずかしいことではなく、自身の努力がチームメイトを巻き込み、熱くさせ、チームを盛り上げる大きな力となることを分かっていたのでしょう。だから、色紙にも「努力」という分かりやすい言葉を記したに違いありません。
私からのお願いです。皆さんには、努力で周りを熱くさせる人になって欲しいと思います。
以上(2023年1月)
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画像:Mariko Mitsuda