私の今年の目標は、「位(くらい)負け」をしないことです。これまで私は、取引先の人と会話をする際、役員クラスの人や一部上場企業の社員を「格上」と感じて、どうしても緊張してしまい、気後れするという悪い癖がありました。そんな「位負け」のような状態になってしまうと、自分のペースで会話をすることができず、会社として主張すべきことを伝えられなかったこともありました。今年こそ、どのようなときも「位負け」をしない気概を持ちたいと思います。

「位負け」をしないために私が見習いたいと思っているのが、今年の大河ドラマの主人公にもなっている北条義時(ほうじょうよしとき)です。義時のことをインターネットで調べたところ、思った以上にすごい人だったことが分かりました。

義時は鎌倉幕府の第2代執権で、当時の幕府で実質的な最高権力者になった人です。今からほぼ800年前の1221年(承久3年)、後鳥羽上皇を中心とした朝廷との戦い「承久の乱」に勝利し、武士を中心とした時代の幕を開けました。

日本の歴史上の大きな転換点として、承久の乱は3本指に入る出来事といわれています。なぜなら、それまでは天皇や上皇による朝廷が持っていた絶対的な権力を、武士のものにしたからです。あとの2つの転換点とされる明治維新や第二次世界大戦後の民主化は、黒船などの外圧や敗戦に促される形での変化ですので、外圧なしに変化をもたらした承久の乱のすごさが分かると思います。

承久の乱が起きた当時、朝廷の権威は絶対的でした。武士は朝廷あっての存在であり、鎌倉幕府も征夷大将軍が朝廷から任命されることによって、存在が認められていました。

ですから、朝廷の中心にいた後鳥羽上皇から名指しで追討命令を宣告された義時は、最初はとても狼狽(ろうばい)したといわれています。しかし、義時は武士のリーダーとして鎌倉幕府を守らなければならない立場。姉の北条政子の支援もあり、朝廷という権威に「位負け」しませんでした。義時は、兵を率いた息子の泰時に、「天皇自ら兵を率いてきた場合は降伏せよ。ただし、都から兵だけを送ってくるのであれば力の限り戦え」と命じ、最終的には朝廷軍を打ち破って「前代未聞の下克上」を果たしたのです。これは、朝廷が絶対だった当時の「常識」から考えると、非常に勇気のいる決断だったに違いありません。

今は、「大企業だから立場が上」「役員だから偉い」ということではなく、その企業、その人の実力が問われる時代です。当たり前のことですが、フェアな取引をしている企業同士、対等な立場で話をすることに何の問題もありません。格上に感じる人と話をするプレッシャーだって、朝廷が絶対だった義時の時代を思えばささいな問題です。

このように自分を励まして、今年は「位負け」をしないように頑張ります。もし取引先の人に会う前に私が青い顔をしていたら、「承久の乱を思い出せ」と声をかけてください。

以上(2022年1月)

pj17086
画像:Mariko Mitsuda

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