皆さんは、愚痴を言ったことがありますか。広辞苑によると、愚痴には「仏教用語で理非の区別のつかないおろかさ」と、「言っても仕方のないことを言って嘆くこと」という意味があります。私たちが普段、口から出る愚痴はもちろん後者です。

「愚痴なんか一度も言ったことはありません」という人は、恐らくいないでしょう。私も時々、愚痴を言います。

どれほど親しい人でも、天職と思えるような大好きな仕事であっても、何一つ不満がないということはないでしょう。そのため、意識するとか、しないとかにかかわらず、つい愚痴の一つも出てしまうのです。むしろ、愚痴を言ったことはないというほうが不自然かもしれません。ですから、私は決して愚痴を言ってはいけないというつもりはありません。

ただし、愚痴を言っているときや愚痴を言いたくなったときに思い出してほしいことがあります。それは、人や仕事など愚痴の対象となっているものの多くは、自分にとって身近に存在しているものであり、大切にしなければならないものであるということです。

愚痴は、自分と異なる考え方や行動などを、不本意ながらも受け入れなければならない、もっと簡単にいうと、自分の思い通りにならないことに対する不満の表れです。

自分の愚痴を思い出してみてください。上司や同僚に関するものであれば、「私がやりたいように仕事をさせてくれない」「人の意見を何一つ聞き入れず、勝手に仕事を進めてしまう」などといったものではありませんか。こうした自分の思い通りにならない場面というのは、相手と接する機会が多い、すなわち身近に存在するものほど多くなりますから、必然的に身近な人やものへの愚痴も多くなります。

逆に、道ですれ違っただけの見ず知らずの人に対して愚痴を言うことは、ほとんどないはずです。それは、その人と接する機会がほとんどないから、愚痴を言う原因がないためです。

ですから、自分の身近にあるもの、本来は大切にしなければならないものほど、愚痴の対象となりやすいのです。では、もっとも愚痴の対象になる人は誰かを考えてみましょう。それは自分自身です。私は自分に対する愚痴が多く、「あのとき、すぐにやっていれば」「また同じ失敗をした。駄目だな~」「なんでこんなことが分からなかったのだろう」など、そのほとんどが後悔です。 

ビジネスでも、日常生活でも、愚痴をこぼさなければ、ストレスがたまる一方です。しかし、愚痴ばかり言っているようではいけません。愚痴を聞いている相手もいやになります。

愚痴を言うときは、愚痴の対象となっている人やものは、常に自分の身近にあり、自分にとって大切なものであるということを思い出してください。

そして、愚痴の後には、次のいずれかの一言を口に出して言いましょう。気持ちが前向きになります。

「よし、気持ちを切り替えよう」

「次はあの人も分かってくれるはすだ」

「分かってもらえるように説明しよう」

「次は必ずうまくいく」

        

以上(2022年7月)

op16475
画像:Mariko Mitsuda

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