最近、「ありがとうございます!」を聞く機会が減ってきたように感じます。私が、何かのきっかけになればと人を紹介したり、新たなサービスを付加してあげたりした際、相手は感謝こそするものの、「ありがとうございます!」と分かりやすい言葉で伝えてくることがあまりありません。もちろん、相手に恩を売るためだけにやっていることではないのですが、何だか物足りなく、そして悲しい気持ちになってしまいます。
「すみません」という言葉についても同じです。先日、取引先が納期ギリギリで、しかも完成度の低い仕事をしたため、当社がフォローをしなければなりませんでした。にもかかわらず、その取引先が「申し訳ございませんでした」と潔く謝罪することはありませんでした。謝罪してもらうことが目的ではないものの、気持ちをリセットし、すっきりとした気分で次に進むためには、謝罪による一区切りが必要だと思うのです。
私は幼い頃から、「『ありがとう』と『すみません』は人間の基本である」と教えられてきたので、なおさら今のような状況には違和感を覚えます。また、相手が「ありがとう」や「すみません」を言ってくれないことへの不満が募ると、こちらも「ありがとう」などと言うのをやめようという、ちょっと意地悪な気持ちになってしまいます。そうなると、「ありがとう」や「すみません」を言うハードルがますます高くなっていき、何となくギスギスとした関係になってしまうのです。
このようなことを考えて、悶々(もんもん)としていたとき、メンターと仰ぐある人の言葉で心の霧が晴れていくような気がしました。その言葉とは、「どのようなことでも、心の持ちようで捉え方は変わるものである。義理を欠いた言動があったとしても、それはあなたに『これをしてはいけないよ』と教えてくれているのだと考えれば、相手に感謝することができる。そして、心の中で『ありがとう』と言えばよい」というものでした。
心の持ちようによって、どのようなことにも感謝することができます。たとえ相手の態度が礼を欠くものだったとしても、そこから学ぶことができるのです。私たちは、意識して気持ちをフラットにしていないと、自分の固定観念によって、偏ったものの見方しかできなくなってしまいます。柔軟な考えを持つ人であるためにも、常に感謝の気持ちを忘れたくないと私は考えます。
皆さん、相手に何かをしてもらったら気持ちよく「ありがとうございます!」、こちらがミスをしてしまったら潔く「申し訳ございませんでした」と伝えてください。相手の態度に惑わされて、これらの言葉を伝えるハードルを上げてはいけません。
ただし、「ありがとうございます!」や「申し訳ございませんでした」という言葉を、単なる“音”として便利に使うだけでは気持ちは伝わりません。言葉に重みを持たせられるか否かは、日ごろの皆さんの行動次第なのです。
以上(2018年12月)
pj16936
画像:Mariko Mitsuda