今朝は、皆さんもご存じの浦島太郎の昔話について話をしたいと思います。
私は子供の頃から、浦島太郎の結末に違和感を覚えていました。亀を助けるという善い行いをしたはずの浦島太郎が、最後にひどい仕打ちを受けるからです。竜宮城にいた間に何百年もタイムスリップしてしまい、家があった場所は荒れ果てていました。両親が心配で帰ってきたのに、会うこともできません。揚げ句の果てに、土産にもらった玉手箱を開けると老人になってしまい、踏んだり蹴ったりです。子供ながらに「なんて理不尽な結末なんだ」と思いましたし、「この昔話から、何の教訓が得られるのだろうか」と疑問にも感じました。ですが、「もし今の時代に浦島太郎のような人がいたら」と考えると、教訓を得られるばかりか、必ずしもこの昔話はバッドエンドではないのではないか、とも思えてきます。
私が浦島太郎の昔話で教訓にしたいのは、「心の若さ」についてです。自分の家が荒れ果て、両親を含めて知人が全くいなくなってしまったことを悟った浦島太郎は、絶望し、自暴自棄になって、乙姫から「絶対に開けないで」と言われていた玉手箱を開けてしまいます。確かに、今まで自分が築いてきた人間関係や生活の場を失ってしまうのは、本当にショッキングなことです。
しかし私は、もし彼に「心の若さ」があったのなら、たとえ一度は絶望したとしても、新たな人生を踏み出せたのではないかと思っています。
なぜなら、浦島太郎ほどではないにせよ、現代の私たちも、世界の大きな変化を味わっているという点で、似通った部分があると思うからです。
皆さんご存じのように、今、世界の大きな変化は、仕事のやり方や仕事で使うツールだけでなく、生活様式にまで及んでいます。私たちは、日々の変化に関心を持ち、変化に合わせて自分も変わろうとしていかなければ、あっという間に変化に取り残されてしまう状況にあります。今ほど新しいものを受け入れる「心の若さ」が必要な時代は、あまりないと思います。
確かに、これまでの生き方を変えるという行為には必ず苦痛が伴います。ですが、見方を変えれば、新たな世界を知ることができるチャンスでもあるわけです。そう思えるかどうかが、「心の若さ」と「老い」の分かれ目ではないでしょうか。
浦島太郎は残念ながら、「自分の知らない世界=絶望」と考えたまま、新たな時代で生きる決心ができませんでした。老人の姿になってしまったのは本来悲しいことですが、私には、「老いた心」を持った若者でいるより、心と同程度の年齢の肉体になったほうが、むしろ幸せだったかもしれない、とすら思います。
一方、今を生きる私たちは、心も肉体も若い、玉手箱を開ける前の浦島太郎です。心持ち次第でどんな世界にも行くことができます。常に自分自身の「心の若さ」をチェックし、変化を受け入れられる心を持ち続けるようにしましょう。
以上(2021年4月)
pj17050
画像:Mariko Mitsuda