皆さんは、延暦寺(えんりゃくじ)の「不滅の法灯(ほうとう)」をご存じでしょうか。延暦寺は、天台宗の開祖・最澄(伝教大師)が、788年に京都府と滋賀県にまたがる比叡山(ひえいざん)に建てた寺です。建立の際、最澄は「世の中を照らし続けるように」との願いを込めて、「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」の本尊の前に灯(ひ)をともしました。この灯が今まで1200年以上、たった1度を除いて消えたことがないため、不滅の法灯と呼ばれているのです。
この灯りの構造は単純で、灯芯を燃料である菜種油に浸しただけです。灯を消さないためには、朝夕の2回、僧侶が油を注ぎ足さなければなりません。「油断大敵」という言葉は、ここから生まれたともいわれています。ちなみに、1度だけ灯が消えた理由は、織田信長による延暦寺焼き討ちです。ただ、その30年ほど前に、山形県の「立石寺(りっしゃくじ)」に灯を分灯していたため、立石寺の灯を再分灯してもらう形で、結果的に灯を絶やさずに済みました。いずれにしても、僧侶が油を注ぎ足し忘れるという「うっかりミス」は、1200年以上皆無だということです。
油を注ぎ足すという作業は重要ですが、単純なので忘れてしまいそうです。現代なら、多くの会社が当番制などで担当者を決めるでしょう。また、現代の技術であれば、自動で油を注ぐ構造にしたり、油が少ないとアラートを鳴らす技術を導入したりすることも、簡単にできるはずです。
ところが、延暦寺ではこれまで、油を注ぐための当番を決めずにきたといいます。逆に、担当者を決めないことで、全ての僧侶が灯を絶やさないように気を付け、守り続けてきたのです。灯を消さないための新技術も導入していません。
担当者を決めないやり方は、一見、非効率的といえますし、「他人任せ」にもなりがちです。ですが、私はそうならない理由が、最澄の教えの「一隅を照らす」にあると思っています。これは、「一人ひとりがそれぞれの持ち場で最善を尽くすことによって、自然に周囲の人々の心を打ち、お互いに良い影響を与え合い、やがて社会全体が明るく照らされていく」という教えです。
延暦寺の僧侶は、この教えを守っているからこそ、灯を絶やさないことの重要さを感じ、一人ひとりが最善を尽くしているのではないでしょうか。そして、油の残量を確認するたびに、最澄の教えを改めてかみしめているはずです。朝礼で社是を唱和することと同じように、それは決して非効率的な作業ではありません。
大事なのは、一人ひとりが灯を絶やさないことの重要性を理解し、自分事に感じて、緊張感を持つことです。これは、皆さんにもぜひ見習ってほしいと思います。当社は1200年以上の歴史はありませんが、皆さんやご家族、取引先の方々など、多くの人たちをお支えしており、絶やしてはならない存在のはずです。社是を忘れず、緊張感を持って業務に取り組んでください。
以上(2022年8月)
pj17116
画像:Mariko Mitsuda