市場は変わるぞ。次の一手が大事だぞ。ヒットのあとには必ず停滞がやってくる。気を引き締めろ
富山栄市郎(とみやまえいいちろう)氏は、今から100年前の1924年に、21歳の若さで富山玩具製作所(現タカラトミー)を創業し、おもちゃ業界全体の発展に貢献した人物です。少年時代からおもちゃを作る玩具製作所で働いていた富山氏は、そこでモノ作りの楽しさを知り、いつか自分の手でおもちゃを作りたいと考えるようになります。そうして立ち上げたのが富山玩具製作所です。富山氏は斬新なおもちゃを次々に生み出し、おもちゃ業界をけん引していきますが、事業を支えたのはその発想力だけではありませんでした。
冒頭の言葉は、戦後に富山玩具製作所が富山商事と名を改め、「スカイピンポン」というおもちゃを売り出した頃、富山氏が社員たちに言い聞かせた言葉です。スカイピンポンは、ラケットの中にあるバネを使ってピンポン球のキャッチボールを楽しめるプラスチック製のおもちゃです。ブリキ人形などの金属製のおもちゃが主流だった時代に、プラスチック製のおもちゃを作るという発想は斬新で、スカイピンポンはたちまち人気になります。しかし、富山氏はその人気に甘んじることを良しとしませんでした。彼はそれまでの経験から、1つの成功が長くは続かないことを知っていたからです。
富山玩具製作所を立ち上げて間もない頃、富山氏は外国の飛行機をモデルにおもちゃを作り注目を集めますが、やがて昭和恐慌、さらには第二次世界対戦が始まり、おもちゃ作り自体を続けることが難しくなります。戦後、やっとの思いで事業を再開した際も、戦闘機のおもちゃで子どもたちの心をつかみ会社を立て直しますが、工場の火災や戦闘機ブームの停滞などで再び窮地に立たされます。何度も辛酸をなめ、時には人員整理という苦渋の決断を迫られてきた富山氏は、もう同じことを繰り返すまいと心に誓っていたのです。
富山氏は、スカイピンポンと並行して、目玉商品となる別のおもちゃ作りに取り組みます。それは、家の中でプラスチック製のレールをつなぎ合わせ、電車を走らせて遊ぶ「プラレール」。現代でもなお、子どもたちから愛されているおもちゃです。スカイピンポンでプラスチック製のおもちゃの存在を世に知らしめて市場を変え、そこに別のおもちゃを投入する。このように、成功を収めても油断せず「次の一手」を打ち続けることで、富山氏は会社を大きくしていったのです。
会社経営は、よくマラソンに例えられます。事業目標は、マラソンの途中にある道標(みちしるべ)であり、何か大きな成功を収めて目標を達成すれば、「道標を通過した」ということができます。ただ、それはゴールではありません。経営者が夢を見続ける限り、マラソンは続きます。一時の成功を喜ぶのはいいですが、そこに満足して足を止めてしまったら、それ以上先には行けません。大切なのは、足を動かし続けること。それが成功の後に繰り出す「次の一手」なのです。
出典:「社史『軌跡~夢をカタチに~』」(タカラトミーウェブサイト)
以上(2024年3月作成)
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