僕たちはたゆまず進み、自分たちの手ですべてを見つけなくてはならなかった

オーヴィル・ライトは、18世紀の発明家。兄ウィルバーとともに、世界初の有人飛行(諸説あり)を成し遂げた英雄です。日本では「ライト兄弟」の名で広く知られています。

冒頭の言葉は、ウィルバーの病没後にオーヴィルが少年誌に寄せたコラム「How I learned to Fly」の中の一言です。ライト兄弟は、幼い頃に父親が土産に買ってきたヘリコプターの玩具をきっかけに機械いじりに興味を持ち、やがて成人すると自転車屋を営みながら、本格的に飛行機の開発に乗り出します。しかし、空という未知の領域への挑戦は困難を極め、2人は何度もぶつかります。2人は仲の良い兄弟でしたが、「飛行」に対するアプローチの仕方がまるで違ったのです。

兄のウィルバーは、「理論派・戦略家タイプ」。膨大な文献を読みこなし、鳥やグライダーの飛行を徹底的に研究しながら、機械を空に飛ばす方法を論理的に突き詰めていく人でした。弟のオーヴィルは、「実践派・技術者タイプ」。手先が器用で機械の組み立てなどを得意とし、自ら飛行機を操縦しながら足りないものを探っていく人でした。

性質が異なる人間がそろってものづくりを行うとなれば、言い争いが起きないはずもありません。例えば、飛行機のプロペラを開発していた際には、2人はお互いの意見の食い違いから、昼夜問わず激論を交わし、けんかに発展することもしばしばでした。しかし、彼らはけんかの翌朝になれば、「自分が間違っていた、やるならウィルバーの方法だ」「どうやらオーヴィルのほうが正しいようだ」とお互いの考えを認め、また2人で同じ部屋に入って研究を始めたといいます。

これは、兄弟がお互いに違う分野の“スペシャリスト”だったからかもしれません。ウィルバーは理論に精通しつつも、「弟のように機械をうまく操れない」という自覚があり、オーヴィルは機械に精通しつつも、「兄のように緻密に理論を組み立てられない」という自覚があったのでしょう。自分の得意分野にプライドを持っているからこそ激しく衝突しますが、相手が自分にないものを持っているからこそ、お互いに認め合って「たゆまず」進み続けることができたのです。

ビジネス環境が複雑化した現在では、経営者がワンマンで会社を引っ張るやり方は限界に来つつあります。社員一人ひとりが、特定の分野の“スペシャリスト”になり、「自分の得意分野へのプライド」「相手の得意分野へのリスペクト」の両方を持ち合わせてこそ、新たなイノベーションへとつながっていくのではないでしょうか。

後年オーヴィルは、「私たちにとって最大の恩恵は家族に恵まれたこと」と言いました。「会社は家族」という考えは古いという人もいますが、社員同士が兄弟のようにたゆまず切磋琢磨する会社は、着実な進歩を続け、いつかは大空に羽ばたくでしょう。

出典:「ライト兄弟 イノベーション・マインドの力」(デヴィット・マカルー著 秋山勝訳 草思社、2017年5月)

以上(2024年7月作成)

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画像:Gerald Zaffuts-Adobe Stock