「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成りけり」(*)

出所:「上杉家文書」(国宝)

冒頭の言葉は、

  • 「物事を成し遂げることができるか否かは、その人の意志にかかっている。どのような困難があっても、地道にあゆみを進め、決して諦めなければ必ずや成し遂げることができる」

ということを表しています。

古くからの名門であった上杉家は、かつては会津地方で石高120万石という広大な領地を治めていました。しかし、関ヶ原の合戦で徳川家康(とくがわいえやす)に敵対したため、戦後は石高を30万石に減らされた上、米沢に移されることとなりました。その後、世継ぎ問題の不手際などからさらに石高を15万石にまで減らされてしまいました。

このような経緯にもかかわらず、米沢藩は120万石の頃とほぼ同じ数の藩士を養っていました。このため、米沢藩は膨大な借金を抱え、8代藩主であった上杉重定は幕府へ領地の返上を検討するほどの存続の危機に陥っていました。

鷹山は、こうした危機に際して高鍋藩から米沢藩に迎えられ、17歳で藩主となりました。藩財政の窮乏を知った鷹山は、自身の食事を一汁一菜の質素なものとし、年間行事の中止や贈答の禁止などを行うなど倹約に努めました。また自らも鍬をとり、藩士全員に田畑の開墾に当たらせました。鷹山は、自身が率先して改革に取り組むことで、藩全体に改革の精神を広げようとしたのです。

こうした従来の慣例を破る改革は名門上杉家の伝統に背くとして、藩の保守的な重臣たちは鷹山に反発しました。しかし、鷹山はこうした反発に厳しく対処し、あくまでも迅速かつ果敢に改革を進めようとしました。

鷹山はまず、米沢に新しい産業を興すべく漆の植林に取り組みました。漆にはロウが含まれているため、漆から取れるロウを藩の専売品として販売し収益を上げ、藩財政を立て直そうと考えたのです。しかし、漆から取れるロウはほかのロウよりも品質が悪かったため市場で受け入れられず、この計画は失敗に終わりました。その後、信頼していた重臣が不祥事によって相次いで失脚し、さらに天明の大飢饉により藩内の田畑は大損害を受けました。このような悪条件が重なったことにより改革は頓挫し、1785年、鷹山は藩主の座を退くこととなりました。

鷹山が藩主の座を退いたのち、米沢藩の財政はさらに悪化の一途をたどりました。俸禄(給料)を大幅に削除された藩士のなかには、農民から不正に多くの年貢を徴収する者も現れ、厳しい生活に耐えられなくなった多くの農民たちが藩内から逃げ出しました。

このような状況を憂慮した鷹山は、隠居の身でありながら再び改革に着手することを決心しました。鷹山は、かつて性急に改革を進めようとして挫折した経緯を省みて、まずは藩士に藩の財政状況を公開し、危機を実感してもらうことに努めました。その後、武士だけでなく、農民や町人からも財政再建に関する意見を広く求めました。

そして、集まった意見について検討を重ねた結果、藩全体で養蚕による生糸の生産に取り組むことを決定しました。鷹山は織物の名産地から職人を招き、最新の織機なども導入しました。さらに、藩内で以前から栽培されていた紅花で生糸を染めて織物を織り、藩外に販売することを考案しました。こうして織られた織物は米沢織と呼ばれ、米沢藩の名産品となって藩士の暮らしを支えることとなりました。このような取り組みにより藩の財政は徐々に回復に向かい、鷹山が逝去した翌年の1823年には、これまでの借金のほとんどを返済し終わることができたのです。

鷹山は生涯倹約に努めましたが、後にその要点について次のように述べています。

「六ヶ敷(むつかしく)成難き筋に心を労すべからず、智者は事なき所を行(おこなう)と云へり」

この言葉は「最初から難しいことをやろうとしてはならない。まずは簡単に取りかかることができることから始めるべきである」ということを表しています。そこには、結果を急ぐあまり、性急に改革を進めて挫折してしまった鷹山の自省の念がうかがえます。

まず「必ずやり抜く」という強い信念を持つ。そして、簡単なことから取り組みを始め、一歩一歩、着実に結果を積み重ねていく。この2つの取り組みによってこそ、物事を最後まで成し遂げることができるのです。

【本文脚注】

本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。

【経歴】

うえすぎようざん(本名:上杉治憲(うえすぎはるのり))(1751~1822)。江戸(現東京都)生まれ。1767年、米沢藩9代藩主就任。

【参考文献】

「上杉家文書」(国宝)
「上杉鷹山」(横山昭男、吉川弘文館、1987年11月)
「その時歴史が動いた 13」(NHK取材班(編)、KTC中央出版、2002年5月)

以上(2012年5月更新)

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画像:Josiah_S-shutterstock