「天下才なきに非ず、用ふる人なきのみ、哀しいかな」(*)

出所:「ひとすじの蛍火 吉田松陰 人とことば」(文藝春秋)

冒頭の言葉は、

  • 「優秀な人材が活躍できるか否かはリーダーの手腕によるところが大きい」

ということを表しています。

松陰は、幕末や明治維新をけん引した人材を輩出した松下村塾での指導が有名です。松陰は身分の上下や職業などを問わず塾生を受け入れ、自らも師匠というよりは学問を学ぶ同志として、塾生に接しました。

塾生を分け隔てなく扱い、謙虚に接するという松陰の姿勢は、次の言葉にも表れているでしょう。

「天の材を生ずるや、貴賤を別(わか)つなし」(*)

松陰は塾生の長所を見つけて、それを伸ばすことを旨としていました。また、「記憶力が悪く、学んだことがすぐに身に付かない」と悩む塾生に対しても、「記憶力が悪いほうが何度も復習するので、理解が深まる。事業にしろ、学問にしろ急ぐべからず」と諭すなど、寛大かつ前向きな姿勢で塾生を指導しました。

とはいえ、塾生の中でも、妹・文の夫である久坂玄瑞(くさかげんずい)や、高杉晋作など、傑出した才能を持つ塾生に対しては特別に目を掛けていたようです。そして、次のようなエピソードからは、見込みのある塾生を厳しく指導し、鍛えていたことがうかがえます。

松陰と玄瑞との出会いは、若き玄瑞が松陰に対して激しい攘夷論を訴えた手紙を送ったことがきっかけでした。松陰はこの手紙に対して、「上っ面の議論で、思慮が浅く、気骨があるように見せ掛けているが、実態は俗人と変わらない。自分はこういう人物を憎む」と厳しい口調で返信しました。松陰は玄瑞に非凡さを見いだし、気骨ある人物ならば、めげずに反論の手紙を送ってくるだろうと見込んで、わざと批判的に返信したのです。松陰の思惑通りに玄瑞は反論の手紙を送り、松下村塾に入門するに至りました。

また、高杉の場合、真剣に学問に取り組むように、高杉とは対照的な玄瑞ばかりをわざと褒めて、そのやる気に火をつけたのです。

組織には、2・6・2の法則が働くといわれています。これは、組織が2割の優秀な人たち、6割の普通の人たち、2割のあまりパッとしない人たちという、3つのグループで成り立っているというものです。そして、この中から優秀な2割の人たちやパッとしない2割の人たちを取り除いても、組織はやがては2・6・2の割合になっていきます。

2・6・2の法則を前提にすると、環境によって人は良いほうにも、悪いほうにも変わる可能性があるという見方ができます。現在はパッとしない2割の人に対しても、6割の普通の人へ、さらに2割の優秀な人へのステップアップを信じて、リーダーは諦めずに根気強く指導しなければなりません。

部下に根気強く指導する思いやりを持つ一方で、見込みのある優秀な部下だからこそ、リーダーは厳しく接する強さを持ちましょう。近ごろは「褒めて伸ばす」風潮が強いため、部下に厳しく接することに抵抗を感じるリーダーがいるかもしれません。

また、厳しく接することは大きなエネルギーを要します。単に部下を非難するのではなく、部下のことを考え、モチベーションをそがないように上手に叱ることが求められるなど、一義的には褒めることよりも、厳しく接することのほうが難しいといえるかもしれません。

しかし、リーダーが厳しく接することで、部下は責任の重さや自分の失敗について、強く認識することができます。リーダー自身も、部下時代にリーダーの厳しさに接して、悔しさやふがいなさを感じると同時に、成長の糧としてきたのではないでしょうか。

鉄は鍛えることによって不純物を取り除き、より強くしなやかに変化します。部下も同様に、リーダーに鍛えられることでビジネスの基本動作を身に付けた上で、もともと持っている自身の個性を発揮することができれば、大きく成長するはずです。

思いやりを持って根気強く指導するとともに、見込みのある塾生について厳しく接した松陰の指導スタイルは、現代のリーダーにとっても参考になるものでしょう。

【本文脚注】

本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。

【経歴】

よしだしょういん(1830〜1859)。長門国(現山口県)生まれ。私塾「松下村塾」で講義を行い、高杉晋作(たかすぎしんさく)や伊藤博文(いとうひろぶみ)氏などの門下生を育成。

【参考文献】

(*)「ひとすじの蛍火 吉田松陰 人とことば」(関厚夫、文藝春秋、2007年8月)
「吉田松陰とその家族 兄を信じた妹たち」(一坂太郎、中央公論新社、2014年10月)
「松陰神社ウェブサイト」(松陰神社)

以上(2015年1月)

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画像:photo-ac

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