書いてあること
- 主な読者:現在・将来の自社のビジネスガバナンスを考えるためのヒントがほしい経営者
- 課題:変化が激しい時代であり、既存のガバナンス論を学ぶだけでは、不十分
- 解決策:古代ローマ史を時系列で追い、その長い歴史との対話を通じて、現代に生かせるヒントを学ぶ
1 軍事における戦略
ビジネスでは、軍事的な言葉が数多く使われます。「戦略」という言葉はその端的な例でしょう。ビジネスでは競争相手と戦うのですから、当たり前のようにも思えますが、「戦略」という言葉がビジネスの文脈で使用されるようになったのは1960年代からで、ここ50年程度の話です。今日まで発展してきた経営戦略論は、かつての戦争や軍事理論などから多くのヒントを得て構築されてきました。
その1つに19世紀前半のプロイセンの軍事学者クラウゼヴィッツが執筆した「戦争論」があります。この著書の中でクラウゼヴィッツは、戦略とは、精神的要素、物理的要素、数学的要素、地理的要素、統計的要素という5つの要素で構成されており、とりわけ精神的要素が重要だと説いています。これは決して精神論ではありません。戦争には不確実性が伴うため、戦略は憶測と仮定に基づき、指揮官の才覚、組織編成、兵器戦力等といった基礎的単位の新たな組み合わせで構築される。そのように構築された新たな戦略すらすぐに常識化してしまう。こういう状況の中では、強靭な精神を持って、常に新たな組み合わせを発見し、実行できなければならない、ということなのです。
2 近現代のイノベーション論
この考えは、近現代のイノベーション論に繋がっていきます。20世紀初め、経済学者シュンペーターは、基礎的単位を単に結合するのではなく、全く新しい組み合わせで結合し、その新結合によって創造的破壊を生み出す者こそが企業家であり、そこからイノベーションが生まれると説いています。
また、1990年代後半、大資本のリーダー企業が苦戦している状況について、リーダー企業が既存技術の延長線上の「持続的イノベーション」に留まっているのに対し、新規参入企業は全く新しい技術による「破壊的イノベーション」を起こしており、リーダー企業が追従できなくなっていると説かれました。ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授の「イノベーションのジレンマ」です。
ここで指摘しておきたいのは、創造的破壊にせよ、破壊的イノベーションにせよ、それは早晩、戦略として常識化してしまうということです。時間の経過や環境の変化によって、先進性も革新性も失われます。いつまでも新しいものなどないのです。
もはや陳腐な例ですが、かつてソニーのウォークマンは、イノベーションの代表例でした。しかし、ご存じの通り、米Apple社がデジタル音楽配信サービスとしてビジネスモデルを変え、ウォークマンはiPodなどに代わられ、現在ではスマートフォンにウォークマンの機能が組み込まれています。破壊的イノベーションも持続的イノベーションになり、やがて次の破壊的イノベーションに駆逐されるのです。
3 無謀な冒険か、イノベーションか
紀元前2~3世紀、地中海の覇権を巡って争われたポエニ戦争に、軍事的戦略としてのイノベーションとその末路を見ることができます。
紀元前272年にイタリア半島を統一したローマは、シチリアの獲得、そして地中海への勢力拡大を目指し、北アフリカの大国カルタゴとの対決に臨みます。ローマは苦戦しながらも、新兵器を駆使し、紀元前241年、シチリアを手に入れました。これが第1次ポエニ戦争です。
そして、23年後の紀元前218年、カルタゴの名将ハンニバルによるローマへの反撃が始まります。第2次ポエニ戦争です。スペインに本拠地を置いていたハンニバルは、常識では考えられないルートでイタリアに進攻します。エブロ河を渡り、ピレネー山脈を越え、ローヌ河を渡り、アルプスを越え、という北からの進攻ルートでした。ハンニバル29歳。この若い司令官が5万の兵士、40頭の象を率いて、アルプスを越えてイタリアに攻め込むなどあり得ないことでした。しかし、ハンニバルにとっては現実的で合理的なルートでした。確かにリスクを伴う進攻でしたが、ハンニバルは、周辺民族がアルプスを越えて往来していることを知っており、その情報をもとに計画し、実行しました。決して無謀な冒険ではなかったのです。イノベーションは、無謀な冒険ではなく、冷徹な計算の上で成り立つのです。そして、若き司令官が機動力を引き出し牽引した新規参入企業のような組織だったからこそ、実行できたのです。
4 模倣されるイノベーション
イタリアに攻め込んだハンニバル率いるカルタゴ軍は、各地でローマ軍を打ち破り、第2次ポエニ戦争の最大の会戦「カンナエの戦い」を迎えます。ローマ軍8万超に対し、カルタゴ軍5万と数的には不利な状況でしたが、圧倒的な勝利を収め、ローマ軍に大きな打撃を与えました。この戦いでのカルタゴ軍の軍略は、今でも防衛大学校で取り上げられるほどで、当時としては軍事的なイノベーションだったことでしょう。具体的には、騎兵を多く備え、凸陣形にした歩兵の両脇に配置した上で、歩兵中心のローマ軍の攻撃を陣形の中央で受けながら後退し、凹陣形にしてローマ軍を引き込みます。そして、騎兵が後背に回り込み、完全包囲して殲滅(せんめつ)していったのです。
しかし、14年後の紀元前202年、カルタゴの本拠地での「ザマの戦い」では、攻守を変えて再現されることになりました。すなわち若き司令官スキピオ率いるローマ軍は、騎兵を十分に備え、ハンニバル率いるカルタゴ軍を包囲殲滅したのです。先進的、革新的であった戦略も模倣され、常識化します。いつまでも新しいものなどないのです。
5 戦略の本質とは
「カンナエの戦い」はローマ軍の大敗、「ザマの戦い」はカルタゴ軍の大敗という結果でしたが、国家レベルでの打撃には大きな差がありました。ローマ軍はカンナエで大敗したものの、周辺国が寝返らなかったため、カルタゴ軍がローマに攻め入ることができず、国家としての余力を残すことができました。一方、カルタゴは、スキピオの巧みな策略でスペイン支配を奪われた後、本拠地ザマで大敗しました。文字通り、国家的危機を招き、第3次ポエニ戦争で滅亡するのです。
これは、国家レベルにおける戦略の差と言えます。ローマは国家戦略として外交で周辺国を掌握していたため、カンナエでの大敗の影響を極小化することができ、最終的に勝利を収めることができたのです。企業においても、営業での競争や製品の比較など個別の戦いで敗れても、収益モデルやサービスモデルなどを含む経営戦略や事業戦略に先進性、革新性があり優位性を築ければ、より高いレベルでの成功を収めることができます。しかし、これもまた模倣され、常識化してしまえば駆逐されます。強靭な精神を持って、常に新たな組み合わせを発見し、実行できなければならない。これは、戦略の本質であり、企業家に課せられた使命なのです。
(2021年9月)
(執筆 辻大志)
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画像:unsplash