うまく機能する組織、成員が幸せになる組織とはどのようなものか。この難問の答えを、まったく正反対の立場にある『論語』と『韓非子』を読み解きながら、守屋淳が導き出していくシリーズです。

1 よき組織をいかに作るのか

古今東西を問わず、ほとんどの人は何らかの組織に属しながら、生計を立てたり、生きがいを見つけたりしてきました。
人は一人でできることには限界がありますが、きちんとした組織に入ったなら、単純な個々の成員の和以上の大きなことが成し遂げられるからです。

このため、

「うまく機能する組織とは、どのようなものだろう」
「成員が幸せになる組織とは、どのようなものだろう」

といった問題が、どの地域、どの時代でもクローズアップされてきました。
中国の古代、この難問に対して、まったく正反対の立場から、解答を出そうとした二つの書籍があります。

それが『論語』(ろんご)と『韓非子』(かんぴし)。ともに中国の紀元前、戦乱が真っ盛りだった春秋戦国時代に著された古典に他なりません。

最初に、両者の立場の違いをざっくりと言ってしまうと、

『論語』:「ひとまず人を信用してかからないと、よき組織など作れるはずがない」
『韓非子』:「人は状況によって信用できなくなるから、人を裏切らせない仕組みを作らないと、機能する組織など作れない」

というものになります。両者は、こうした立場から、現代にも通用する素晴らしい組織論、リーダー論を打ち立てていきました。前者を「徳治」、後者を「法治」と呼んだりもします。

人間というのは、古今、その行動パターンが変わらないもののようで、『論語』の考え方は、現代日本の家族主義的経営にかなりの影響を及ぼしています。このため、日本企業の多くは、『論語』的な組織観の強みと、そして弱みをそのまま受け継いでいる面があります。

また、『韓非子』の方は、アメリカ型の組織観にそっくりだと言われ、実際1990年代以降に流行した「成果主義」やそれとセットで扱われた「目標管理制度」の考え方とほぼ同じ指摘が『韓非子』に収められているのです。

こうした意味で、『論語』や『韓非子』の考え方を知ることは、現代の組織を知ることにそのまま繋がってくるものなのです。

ただし、もちろん対極的な両者の考え方はかなり偏っているのも確か。中国においても後世、二つを折衷すべしという下記のような考え方が出てきます。

  • 国を治める道とは、寛大さ(徳治)と厳しさ(法治)、その中庸を取ることにある
    (国を治むるの道は、寛猛、中を得るに在り…宋の太宗による言葉。「宋名臣言行録」に収録されている)

『論語』的な立場、『韓非子』的な立場、二つを折衷する立場――この連載では、全12回で、それぞれの考え方の特徴とその強み、弱み、さらには現代的にどのような意味や生かし方があるのか、について探究をしていきます。

今回はまず、『論語』についての、基礎的な事柄について、皆さんにご紹介していきたいと思います。

2 『論語』は孔子の著書ではない

まずは『論語』について。

『論語』は現代の日本人にも人気の高い古典ですが、ついつい間違えてしまいやすい落とし穴が一つあります。

それは、著者が誰かという点。「孔子の書いた『論語』」と言ってしまいそうになりますが、孔子は『論語』の執筆には関わっていません。孔子の死後、100年ほどたって、その教えがバラバラにならないようにと孫弟子や曾孫弟子たちが集まってまとめたのが『論語』だと言われています。

『論語』という書名も、諸説ありますが、一番わかりやすいのは『論』が「編集」や「編纂」の意味で、『語』が「孔子や弟子の語ったこと」というもの。二つ合わせて、

「孔子や弟子が語ったことを編集しました」

となります。

さて、ではこの孔子はいったい何をしようとした人なのか。

当時は、ひどい戦乱の時代で、下剋上が蔓延していました。一言でいえば、孔子は戦乱をやめさせて、平和な国や天下を作ろうとした人物だったのです。そのために自ら政治家になろうとし、弟子たちもよき政治家として育てようとしました。

『論語』には、以下のような問答があります。孟武伯(もうぶはく)というのは、魯という国の政治を牛耳る貴族の家の有力者です。

孟武伯という貴族が、孔子に尋ねた。

「あなたの弟子の子路(しろ)は、仁を身に付けておりますか」
「それはわかりません」

さらに尋ねてきたので、孔子はこう答えた。

「子路は、諸侯国において、軍備の切り盛りをさせることができます。仁のレベルに至っているかどうかはわかりませんが」
「では、弟子の冉有(ぜんゆう)については、どうでしょうか」

孔子が答えるには、

「冉有は、大きな町や、名家の番頭役を務めさせることができます。仁のレベルに至っているかどうかはわかりませんが」
「では、弟子の公西赤(こうせいか)については、どうでしょうか」

孔子が答えるには、

「公西赤は、威儀を正して朝廷に立ち、外交を司ることができます。仁のレベルに至っているかどうかはわかりませんが」

(孟武伯問う、「子路、仁なりや」。子曰く、「知らざるなり」。また問う。子曰く、「由や、千乗の国、その賦を治めしむべし。その仁を知らざるなり」。「求や如何」。子曰く、「求や、千室の邑、百乗の家、これが宰たらしむべし。その仁を知らざるなり」。「赤や如何」。子曰く、「赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべし。その仁を知らざるなり」)『論語』公冶長篇

これはいったいどういう問答かといえば、現代に置き換えると、企業の人事担当者と大学の先生との会話なのです。

「おたくにいい学生いない? ○○という学生は、最高なの?」

と人事担当者(孟武伯)に聞かれた私学の学長(孔子)が、

「最高とは言いませんが、長所をうまく使ってくれれば、きっとお役に立ちますよ」

と答える、そんな絵柄なのです。

3 信なくんば立たず

では孔子は、いったいどのような政治家を育てようとし、そもそも政治には何が最も重要だと考えていたのでしょうか。そのさまを端的に示しているのが次の問答です。

子貢(しこう)という弟子が、政治の課題について尋ねた。孔子が答えるには、

「食糧を確保すること、軍備を充実させること、そして、国民の信頼を得ること、この三つだ」
「では、やむを得ない事情があって、そのうちの一つを切り捨てなければならないとしたら、どれになりますか」
「軍備だよ」
「では、残りの二つのうち、切り捨てなければならないとしたら、どれになりますか」
「食糧だよ。人間はしょせん死を免れない。それに引き換え、国民の信頼が失われたのでは、政治そのものが成り立たなくなる」

(子貢、政を問う。子曰く、「食を足し、兵を足し、民これを信にす」。子貢曰く、「必ず已むを得ずして去らば、この三者に於いて何れをか先にせん」。曰く、「兵を去らん」。子貢曰く、「必ず已むを得ずして去らば、この二者に於いて何をか先にせん」。曰く、「食を去らん。古より皆死あり。民、信なくんば立たず」)『論語』顔淵篇

末尾にある、「信なくんば立たず」という言葉は特に有名ですが、この問答は現代の企業に当てはめてみると、とてもわかりやすくなります。

険呑な比喩を使いますと、皆さんの企業が不景気のあおりを受けて、資金がショートしてしまったとします。そこで社長が従業員全員を集めてこう述べるわけです。

「申し訳ないが、資金繰りが悪化してしまった。ついては、3カ月給料を我慢して欲しい。そうすればわが社は立ち直って、またきちんと給料を払えるようになる」

これに対して、皆さんがどう反応するのか。

「食い扶持も出せない会社に誰がいられるか」

と全員辞めてしまえば、そこで会社はおしまいです。一方、

「あの社長の言うことだ、信用してついていこう」

と皆が思えば、会社は立ち直るわけです。食い扶持よりも信用を取る、ということがないと、組織は存続できない場合が出てきてしまうものなのです。

こうした観点をもとにして、「信用」や「信頼されるリーダー」をキーワードとした組織論が『論語』からは生まれていきました。(続)

以上

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