書いてあること
- 主な読者:現在・将来の自社のビジネスガバナンスを考えるためのヒントがほしい経営者
- 課題:変化が激しい時代であり、既存のガバナンス論を学ぶだけでは、不十分
- 解決策:古代ローマ史を時系列で追い、その長い歴史との対話を通じて、現代に生かせるヒントを学ぶ
1 成功の裏にある「機会」と「戦略的直観」
成功したビジネス、成功した企業、成功した経営者。さまざまな成功事例をもとに、数多の学者や専門家がビジネスモデルや経営戦略論などを研究・構築し、私たちに分かりやすく紹介してくれています。たくさんのビジネス書籍が出ており、こうしたものを読むと、なるほどと理解することができ、大変参考になります。
しかしながら、こうしたビジネスモデルや経営戦略論を眺めていると、それだけが成功要因ではないだろう、ということも同時に思い至るのではないでしょうか。多くの場合、成功事例の当事者たちは、そのようなビジネスモデルも経営戦略論も知らずに実践していたでしょうし、仮に知っていたとしても、知っていたから成功した、というような単純なものでもないでしょう。
では、成功に導けるかどうかの違いは、どこにあるのでしょうか。これも当然、答えは1つではありませんが、欠くことのできない重要な要素として、「機会」を逃さないこと、「機会」を生かすことが挙げられるでしょう。
歴史にifは禁物ともいわれますが、もしもを想像してみると、「機会」がいかに重要なのかが分かります。もしも、ビル・ゲイツがOS(Operating System)の開発を始めていなかったら、現在のコンピューター市場はどうなっていたでしょうか。それが1年早くても、1年遅くても、恐らくうまくはいっていないのではないでしょうか。状況、環境、タイミングといったものがそろった「機会」を逃さず、それを有効に生かせたからこそ、その後の成功があるといえるでしょう。
次に浮かぶ疑問は、なぜ、成功した企業や経営者は、その「機会」を逃すことがなかったのか、ということです。私たちは、こうした「機会」の背景に、合理的な分析があり、その分析に基づく壮大な戦略や計画があったかのように想像しがちです。しかし、成功事例をひもといてみると、そのような戦略や計画が背景にあることはほとんどなく、多くの場合、当初は何も見えておらず、物事の進行に合わせて思考し行動していたことが分かります。こうした思考過程を「戦略的直観」といいます。なお、念のため、言及しておきますが、「直感」ではなく「直観」です。「直観」とは、推論などの論理操作を差し挟まずに、直接的かつ即時的に本質を認識することを意味します。今回は、この「戦略的直観」をもって「機会」を逃さず、それを有効に生かしたローマ史の偉人のお話になります。
2 戦略的直観によるルビコン渡河
三頭政治を成立させ、執政官となったガイウス・ユリウス・カエサルは、その後、8年間にわたり、ガリア(現在のフランス、ベルギー、スイスなど)に遠征し、その全域を征服しました。ガリア諸部族の平定、ガリアのローマ化といった戦後処理を終えたカエサルは、北伊属州総督の本営地に入り、元老院派との政治的な戦いに取り組みます。新秩序の確立を目指すカエサルと、元老院主導の維持を図る元老院派との戦いは、法律、制度、情報、言論、弁舌を駆使して進められましたが、英雄ポンペイウスを取り込んだ元老院派は、過去にも反元老院派を葬ってきた元老院最終勧告をカエサルに突きつけます。これに従わねば、国賊ということになりますが、カエサルは、以前から、元老院最終勧告の不合理をうたってきたため、元老院派は、カエサルはこれに従わず、賊軍として戦いに入ると考えていました。そして、正規軍ポンペイウスがこれをたたけば全てが終わるという算段でした。
確かに、元老院派の読み通り、カエサルは、元老院最終勧告に従わず、武力による戦いに入ります。しかし、時期と場所が違っていました。軍勢を整え、春の訪れを待って火蓋が切られると元老院派は考えていましたが、1月初旬という冬の時期にわずか一個軍団のみで、カエサルは動きました。また、ルビコン川を越えることは国法違反にあたるため、ルビコン川の北側が戦場になると考えていましたが、カエサルは「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」(*)と檄(げき)を飛ばし、ルビコン川を越え、軍を進めました。状況からすれば、決してカエサル優位ではありませんでした。ですが、戦略的直観をもって、ここを勝負どころだと見定めたのです。
現有戦力は少ないものの、ガリアを戦い抜いてきた信頼に足る兵士たちであり、戦術次第で数的劣勢をくつがえせる。そして、ポンペイウスや元老院派が想定する相手の土俵には上らない。そういったことを考えたのではないでしょうか。その後の作戦も、相手に猶予を与えぬ早さで展開していきます。恐らく、さらに先を見据え、イタリア・ローマを短期に押さえることを考え、それが可能と判断したのでしょう。地中海世界全体を見れば、ポンペイウスの地盤は広く、それを背景にじっくりと構えられてはカエサルとて厳しくなります。イタリア半島内で短期に決するのであれば、十分勝機があると考え、ルビコン渡河を速やかに判断したのでしょう。結局、ポンペイウス軍や元老院派はイタリアを脱出し、各地に戦火が広がったため、ポンペイウス落命まで1年8カ月を要しました。しかし、地中海世界全体における戦力的な劣勢は、イタリア・ローマという本国を押さえていたことで補い、勝利を得ることになったのです。
3 戦略的直観に背いた結果の死
ポンペイウスを破ったカエサルは、その後、エジプトを平定、北アフリカ、ヒスパニアで元老院派を武力制圧して、ローマに戻ります。まさに連戦連勝でした。そのカエサルが著した「ガリア戦記」に次のような文章が残されています。「成功は戦闘そのものにではなく、機会を上手(うま)くつかむことにある」(**)。
このように「機会」の重要性を十分に認識し、戦いではほとんど負け知らずのカエサルでしたが、ご存じのように、その後、国家改革を推し進める中で、暗殺されてしまいます。これは「戦略的直観」に背く形で推し進めてしまった結果だったのではないでしょうか。
「戦略的直観」には、1.歴史の先例、2.平常心、3.ひらめき、4.意志の力、という4つの要素があるといわれています。戦いの場において、カエサルは、この4つの要素を生かして、機会を捉えていたのでしょう。しかし、50代半ばで絶対的権力を手にし、ようやく着手した国家改革では、自分に残された時間を考え、いわば平常心を捨て、「機会」にそぐわない形で強引に進めてしまった。それが暗殺という結果をもたらしたと思わざるを得ません。
カエサルの遺志を継いだ後継者アウグストゥス(オクタヴィアヌス)は、30代半ばでカエサルと同等の強い権力を手に入れ、じっくりと国家改革を進めていきます。カエサル譲りの「戦略的直観」をもって、カエサルが持ち得なかった時間軸の中で、「機会」を一つ一つ生かしていったように見えてなりません。
【参考文献】
(*)「ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV」(塩野七生、新潮社、1995年9月)
(**)「ガリア戦記」(カエサル(著)、國原吉之助(訳)、講談社、1994年5月)
以上(2021年9月)
(執筆 辻大志)
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