牛になることはどうしても必要です。吾々(われわれ)はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです
夏目漱石氏は、『吾輩は猫である』『こころ』など、数多くの名作を生み出した人物です。彼は小説家であり、大学で教鞭(きょうべん)を奮った英文学者であり、あまり知られていませんが、数々の作家たちに慕われ、彼らを育てた「先生」でもありました。
冒頭の言葉は、夏目氏が亡くなる数カ月前、門下生である芥川龍之介氏と久米正雄氏に宛てた手紙の一文です。当時の2人はまだ駆け出しの作家で、作品を書くたびに夏目氏に便りを出し、批評を頼んでいました。当時、病床にあった夏目氏が彼らに向けた言葉は、自分の人生の振り返りであり、次世代の作家へ贈るエールでもありました。
「牛になる」とは、夏目氏いわく「焦らず、賢く、根気ずくで進む」という意味。馬のように勢いよく駆け出さんとする彼らにこの言葉を贈った理由は、夏目氏自身の経験にありました。
実は夏目氏の生涯のうち、小説家として生きたのは死没までの約10年間だけで、人気作家になる前は、生まれてすぐ里子に出されたり、学校の中退を繰り返したりと、波瀾(はらん)万丈な人生を過ごしてきました。そんな彼の転機となったのが、文部省から命じられた英国留学です。英国へ渡った夏目氏は、現地の講義のレベルの低さに納得できず、下宿先で文学の研究に没頭しますが、孤独にさいなまれ精神を病んでしまいます。
しかし、この日々から得たものもありました。苦労と研究を重ねる中で「文学を感情ではなく、理論に基づいて読み解く」という思考を手に入れた夏目氏は、帰国後、それを大学の講義で「文学論」という形へと昇華させます。この思考は、夏目氏のデビュー作「吾輩は猫である」でも、主人公の「猫」が人間を観察し、その滑稽さを風刺する描写に大いに活かされました。夏目氏は、「努力は、すぐに成果が出なくても、後になって花開くことがある」と知っていました。だから晩年、芥川氏と久米氏に冒頭の言葉を贈ったのでしょう。
経営者は会社を引っ張るリーダーですが、夏目氏と同じように次世代の人材を育てる「先生」でもあります。インターネットやAIに聞けば、すぐに答えが出る今の時代、「馬のように」すぐに成果を出したがる若手は多いかもしれません。
大切なのは、そんな若手が、なかなか成果を出せずくすぶっているときです。苦労を重ねて会社と共に歩んできた経営者は、「牛のように」と言葉を贈った夏目氏の気持ちが分かるはずです。たまには、経営者自ら「努力はいつか花開く」と、自身のエピソードを交えて若手に語ってみるのもよいでしょう。その内容が経営者の人生観に根差しているものなら、きっと若手の心に響き、力になるはずです。
夏目氏の教えを受けた芥川氏と久米氏は文学の新たな時代を拓き、今度は2人に憧れた多くの作家が、日本文学を形作っています。先駆者の教えは、脈々と受け継がれているのです。
出典:『漱石先生の手紙が教えてくれたこと』(小山慶太 (著)、岩波書店、2017年8月)
以上(2024年10月作成)
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