人間は正直でなければならない。殊に商売は正直でなければいけない
森永太一郎氏は、森永製菓の創業者。だいだい色のパッケージにエンジェルマークが印象的な「森永ミルクキャラメル」が発売されてから、2024年で111周年です。森永氏は2坪の製造所から始まった森永製菓(当時は森永商店)を、日本を代表するお菓子メーカーに育て上げました。
冒頭の言葉は、森永氏の伯父が説いた商道徳であり、森永氏が生涯大切にし続けたものです。幼い頃に両親と離別した森永氏は、陶器商だった伯父に引き取られ、「正直」な商売―どんなときも、商品を手に取る消費者に誠実な商売を徹底することの大切さを教わります。やがて森永氏は成人し、日本の陶器を売るため渡米しますが、全く売れず途方に暮れ、そんなときに現地のキャンディーを口にします。その味に感動した森永氏は、「日本の子どもたちにも栄養のあるおいしいお菓子を食べてもらいたい」という夢を抱き、陶器商から一転、菓子職人になるための修業に明け暮れ、11年後、一人前の職人になって帰国しました。
ですが、いざ西洋菓子を売り始めると和菓子とは違う独特の形や味が理解されず、買い手がつきません。そんな状況から森永氏が成功をつかむことができたのはなぜか。その理由の1つは、伯父の教えである「正直」な商売を徹底したからです。
例えば、西洋菓子の営業をしに行ったときのこと。取引先から「商品が小さくて見栄えが悪いから上げ底をして売ってくれ」と頼まれた森永氏は、「消費者を裏切りたくない、インチキはできない」と首を横に振ります。このような誠実な行動が積み重なって評判となり、最初は敬遠されがちだった西洋菓子は、次第に多くの人に受け入れられ、森永製菓を大企業へと押し上げていきます。
また、1923年の関東大震災の折には、こんな出来事がありました。森永製菓が被災者にミルクを配ることになった際、大行列に驚いた部下が、1人当たりのミルクの量を規定量より減らそうとしたことがありました。それを見た森永氏は、「そんな誠意のないことはできん、どんなことをしても私が工面するから規定通りでお渡しするんだ」と一喝。30万人の被災者全員に規定量のミルクを配るべく奔走し、感謝されたそうです。
「商売」とは、文字通り「商品を売ること」ですが、同時に「思いを売ること」でもあります。長く商品を買い続けてくれる顧客というのは、その会社の人が情熱を注いだ商品、その思いに共感してくれる“ファン”だからです。その点で言うと、森永氏の考え方の根底にある「日本の子どもたちにも栄養のあるおいしいお菓子を食べてもらいたい」という思いは、彼が「正直」を積み重ねたからこそ、多くの人に届いたといえるでしょう。
今も盛んに手に取られている森永ミルクキャラメルの姿を見てみると、一粒のキャンディーから抱いた熱い想いとそれを届けようとする彼の「正直」な商売が、未来まで愛される会社や商品を作ったのだと窺い知れます。
出典:『キャラメル王森永太一郎伝』(山本清月(著)、関谷書店、1937年4月)
以上(2024年9月作成)
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