今日の真理が、明日否定されるかも知れない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道を作り出す

湯川秀樹氏は、日本人で初めてノーベル賞(物理学賞、1949年)を受賞した物理学者です。この世のあらゆる物質を構成している「原子」が、どのような仕組みで結びついているのかを解明し、後の物理学の発展に大きく貢献しました。

冒頭の言葉は、そんな湯川氏の物理学に対する執念と探究心をよく表したものです。アインシュタインなどと同じ時代に生きた湯川氏は、当時、劇的な進歩の過渡にあった物理学界に身を置き、常に第一線で戦っていました。昨日まで信じていた理論が一晩で覆されるのが普通の世界。湯川氏は何度も辛酸をなめる経験をしますが、諦めることなく、冒頭の言葉の通り前進を続けたのです。

湯川氏と物理学の出会いは、旧制高校のときに出会った、フリッツ=ライへ氏の『量子論』という本でした。幼少期から知的好奇心が強かった湯川氏は「なぜ?」と思ったことを1つずつ探究する物理学の楽しさにのめり込みます。その後、湯川氏は京都帝国大学(現在の京都大学)で物理学を専攻し、研究室の助手になりました。

前述した通り、激動の時代の物理学界に身を置いていた湯川氏は、あるとき、ひときわ衝撃的な出来事に出くわします。湯川氏と同じく「原子がどのように結びついているのか」を研究していたエンリコ・フェルミ氏が、湯川氏の研究よりも完成された理論を発表したのです。

しかし、湯川氏はそこで腐らず、物理学のさらなる深遠へと突き進みます。フェルミ氏の理論は先進的でしたが、不完全だったのです。湯川氏はその不完全な部分に注目して、原子の結びつきに関する新しい理論を研究します。昼夜問わず、布団の中でさえ夢中に考え続け、約8カ月後、湯川氏の「中間子理論」が誕生しました。中間子理論は、「原子を構成する陽子と中性子は、まだ発見されていない『中間子』によって結びつけられている」という理論です。後に宇宙線の観測により中間子が発見されたことでこの説は立証され、湯川氏はノーベル物理学賞を受賞したのです。

競争のように次々と新しい理論が発表されていた当時、湯川氏を含め学者たちは焦りを抱えていたことでしょう。しかし、競争とは「より良いもの」を生み出す過程でもあります。競争相手が出してきた答えから学び、時には疑問を抱き、また自分で「より良いもの」を生み出すために奮起する。これは学問だけではなく、ビジネスにも通じます。当時の物理学者たちがしのぎを削って研究に夢中になっていたように、競争という過程自体を楽しむことで、商品やサービスは本当の意味で磨かれ、やがては業界全体を「より良いもの」へと変えていくのでしょう。

湯川氏はその人生を物理学へと注ぎ、生涯「明日進むべき道」を探究し続けました。彼が導き出した道は、紛れもなく私たちが生きる現代の発展へと続いています。

出典:『[科学感動物語]ノーベル賞―最高の栄誉に輝く科学者』(山村紳一郎ほか(著)、学研教育出版、2013年2月)

以上(2024年11月作成)

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画像:Fotograf-Adobe Stock

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