書いてあること
- 主な読者:地方創生に関心のある経営者や町おこし担当者、地方創生を支援する金融機関
- 課題:過疎化によって人材、資源、資金の全てが不足し、活力を取り戻す方策がない
- 解決策:森林資源の価値の最大化を目標に、村内起業やSDGs、DXなどに挑戦し続けている岡山県西粟倉村の取り組みを参考にする
1 村役場の職員の意識は、こうして変わっていった!
このシリーズでは、西粟倉村の約15年間の軌跡と、地方創生の成功モデルと言われるまでの“奇跡”を遂げた理由について、西粟倉村役場の上山隆浩・地方創生特任参事へのインタビューを、前後編の2回にわたって紹介します。
前編では、西粟倉村が森林資源の価値最大化を目指した「百年の森林(もり)構想」に取り組んだ約15年の軌跡についてお聞きしました。
西粟倉村が約15年間でここまでの変貌を遂げる原動力となったのは、何といっても取り組みの中心的な役割を担った村役場の職員たちの存在です。後編では、西粟倉村を変えた村役場の職員たちが、どのような意識改革によって育成されていったのか聞いています。
2 “プロデューサー公務員”だから村を動かせる
1)村役場の職員の役割は、事業のプロデュース
百年の森林構想が始まってから、職員の働き方が大きく変わりました。構想を進めるために、民間の方とお話しする機会が増えたことが、業務の合理化につながったのです。
現在、村役場の職員(行政職)は38人です。それぞれが専門的な知見を持っているわけではありませんので、事業を進める場合、職員ができることは限られています。民間の方たちとお話しし、共に事業を進める中で、村役場の職員がやらないといけないことと、民間の方たちにやってもらったほうがよいことを、明確に意識することが重要だと感じるようになりました。
実際に事業を進めるために必要な議論は、民間の方たちにも参加してもらわなければなりません。ですから、職員がやることは、事業をプロデュースすることでリソース(ヒト)とファイナンス(カネ)を獲得しながら事業を進める体制をつくることです。そのためにバックキャスティング(目標を設定し、その実現のために逆算して計画を立てること)しますが、タイムスケジュールやアジェンダも民間の方たちに任せることもあります。村役場の職員はこうした作業に慣れていませんので、実践で訓練しながら覚えていきました。
2)民間の「プレーヤー」が自走できる仕組みをつくった後は手を離す
最初の事業のテーマは、ローカルベンチャーを育成して「稼げる村」にすることでしたので、私がいた産業観光課と民間の方たちとで事業を進めていきました。そこで経験したのは、最初の段階から、実際にローカルベンチャーとして事業を行う「プレーヤー」になってくれる人たちにも入ってもらっていたことで、事業が進めやすくなったということです。
事業が採択され、走り始めると、そのプレーヤーが自らの事業として取り組むので、職員の手を離れてくれます。職員は、民間のプレーヤーが自立して事業を進められるような仕組みさえつくれば、いつまでも抱え込んだり関与し続けたりせずに済むので、事業を進めるのに合理的な手法だということが分かりました。そもそも、自治体が関与し過ぎると、概して良いことにはならないものです。
つまり、事業を進めていく上で、職員が行うべき重要な役割は、ディレクションだということです。一般的に、行政が事業を進める際に最も困るのは、事業の担い手(ヒト)がいないことと、事業を行う資金(カネ)がないという2つだけです。この2つさえ解決すれば、大体「やってみたら」という話になります。ですので、ディレクションする職員が、リソース(ヒト)とファイナンス(カネ)を調整することが大事です。ファイナンスに関しては、今は地方創生にかかわる交付金や国の補助制度の他、ふるさと納税など多くの方法があるので、可能な限りそれを活用する必要があります。
そこまで職員が行えば、後はリソースとなる民間の方たちが自己責任で考え、必要な人を集めて、実行してもらえます。
こうした役割を行う村役場の職員を、私たちは“プロデューサー公務員”と呼んでいます。
3)ローカルベンチャー育成で培った成功体験を全庁横断組織で横展開
「稼げる村」にするための事業を通じて分かった、プロジェクトを成功させる秘訣は、ビジョンとプロジェクトを一体化させることです。百年の森林構想では、2058年には、村を百年の森林で囲まれた「上質な田舎にする」という旗を掲げ、そのための森林資源の価値の最大化というビジョンを示し、そのシンボルプロジェクトとして具体的に百年の森林事業に取り組み、共感・共有を得ることができて人材も集まりました。
この成功体験によって、民間の方たちとプロジェクトを進めるノウハウが積み上がりました。そして、「稼げる村」になるためのローカルベンチャーが育成されるうちに、森林に関する事業の他にも、介護や助産婦、幼児教育など社会資本系のローカルベンチャーが徐々に立ち上がるようになってきました。このため、私がいた産業観光課だけなく、全庁的に対応する必要が出てきました。そこで2017年に、全庁横断的な組織である「地方創生推進班(現在は地方創生推進室)」を設置しました。
3)プロジェクトを動かすのは提案者と賛同者
地方創生推進班は当初、役場内の各部署から2人ずつ参加してもらい、12人で構成しました。
百年の森林構想のときと同様に、まずはメンバーの思いや価値観を集約した旗を立てることから始めました。皆で1年かけて話し合い、「brighten our forests, brighten our life, brighten our future!! 生きるを楽しむ」というキャッチコピーを作りました。
次に、その旗を実現させるためのシンボルプロジェクトを決めることにしました。まず12人のメンバーが1人1つずつプロジェクトを提案して、12のプロジェクトの中から、皆で話し合って4つを選びました。そこから生まれたのが、企業や研究機関と協働して地域課題を解決する「一般財団法人西粟倉村まるごと研究所」や、教育コーディネーター事業を行う「一般社団法人Nest」です。
選んだプロジェクトは、提案したメンバーがリーダーになり、その提案に「いいね」と票を入れたメンバーが参加します。自ら提案、賛同したプロジェクトですから、「受け身」で臨む職員はいません。プロジェクトには、必要な知見を持っている外部の方にも参加してもらいます。
プロジェクトは、2年もしくは3年以内にスタートアップさせるという目標からバックキャスティングして、その1年でやるべきマイルストーンを設定し、それに向けて実行していきます。3年というのは、交付金が3年のものが多いからです。
4)職員がやることと民間に委託することを明確に分ける
ただし、職員は自分の通常の業務もありますので、外部の民間の方に手伝っていただくことになります。ですから、会議では職員が3~4人に対して、民間の方が7人といった感じになります。職員が自分たちでやることと、民間の方に委託することの線引きをしっかりとやっておくことが大事です。どちらかというと、実務を行っていただくのは民間の方なので、職員は、どうありたいか、そのために何をやるのか、というアイデア出しと、その実施が役割になります。
職員がやるのは、とにかくブレインストーミング(メンバーで議論してアイデアを出し合う)をして、事業を進めていくことです。会議の議事録の作成や、アジェンダ(会議の議題)の整備などは、民間の方にやってもらいます。また、専門家の方にも随時入っていただき、議論の方向性が間違っていないかを指摘してもらいます。最終的には、地方創生推進班を統括する私のところに上がってきて、事業が決まるという流れになっています。
地方創生推進班のメンバーは後に16人に増やしましたが、メンバーたちは、4年間でそのような訓練をしてもらいました。現在では、当時のメンバーたちが、実際にスタートアップした事業を展開させる役割を担ってくれています。
5)リソースの活かし方
事業を進めていくためには、必要なリソースの選択が求められます。例えば地元の金融機関は、脱炭素に関する新電力事業会社の株主として参加してもらっています。村民にとっては、都市部の民間企業でなく地元の企業が出資しているという安心感があります。また、地元の金融機関は地域の電力事業者とのつながりもありますので、電力事業者に業務面のお願いをしやすくなるという点でも、村にとってメリットがあると思います。
地元の金融機関にとっても、地域の脱炭素などの事業に携わっているというバリューを得られていると思いますので、Win-Winの関係ができていると思います。
3 「怪しい人たち」を受け入れた村民の意識改革
1)「村役場は移住者には優しいけど、村民には冷たい」
百年の森林構想がスタートして、木材加工事業などのローカルベンチャーが起業していった頃は、村民の中には、「50年かけて育ててきた森林がお金になるようになったときに来て、おいしいところだけ持っていくのではないか」「どうせ2年、3年で村から出ていってしまうのでは」といった声があったのも事実です。
また、移住者に対して、「怪しい人たち」「負け組が来た」という感覚を持つ村民もいたようです。そもそも、村民の中には、「田舎ではダメだ」と、自分の子供たちを都会に送り出している人もいますので、西粟倉村の百年の森林構想に共感して移住していただいた人と、価値観が全く相いれないわけです。
移住を支援する国などの制度によるサポートが手厚いこともあり、村民の中には、「村役場は外からの移住者には優しいけれど、村民には冷たい」「村の施策が村民に向いていない」と批判する人もいました。
2)移住者が10年以上住み続けるうちに、徐々に村民の見方が変化
村民の移住者に対する見方は、大きなきっかけがあったわけではなく、徐々に変わっていきました。ローカルベンチャーが残っているという状態が続いているということが、村民の見方を変えている最も大きな要因だと思います。ローカルベンチャーの起業が始まって10年以上たちますが、ローカルベンチャーは52社のうち50社が今でも村に残っていますので、「昔はすぐに村から出ていくだろうと思っていたけど、まだ残ってくれている」と、認識を変えていかれたと思います。
ですが、もし、ローカルベンチャーが2年や3年で潰れるケースが増えていたら、「それみたことか。村はお金を使ったのに、成果を出せていない」と、批判を受けるようになったかもしれません。もしそうなっていたら、村も萎縮してしまい、成果が出るまで事業を継続的に進められなかったかもしれません。
3)移住者が地域コミュニティーを支える存在に
ローカルベンチャー育成の取り組みによって、西粟倉村ではそのようなケースがなく、逆にローカルベンチャーが事業を拡大し、村民を雇用するケースも増えています。それだけでなく、今や移住者の方たちが、消防団や介護施設など、人口が減っていくとできなくなる住民サービスの担い手になって動いてくれています。また、移住されてきた人たちは20代から40代で子育て世代であり、地域コミュニティーやレジリエンスの中心的な位置にいますし、保育園の園児の4割を移住者の家族が占めています。
もはや、移住者抜きには村の将来を語れなくなってしまっていて、村民も移住者の価値を認めるようになってきたということだと思います。もちろん、今でも移住者に厳しい目で見る方がいるのも事実ですが、多くの村民は移住者と一緒に地域コミュニティーを維持するようになっています。
以上(2023年3月)
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画像:岡山県西粟倉村役場