「汝才智勝るとも、軍陣の数を重ねざる故、名顕はれざれば、良策なりとも用られず」(*)
出所:「戦国武将のひとこと」(丸善)
冒頭の言葉は、
- 「自分に有利な交渉の素地をつくることが大切である」
ということを表しています。
幸村の父であり、近世大名の地位を固めたことから、真田家「中興の祖」といわれる昌幸。冒頭の言葉は、昌幸が息子の幸村に贈ったアドバイスとされ、交渉や提案などの場面では、自身の要求を受け入れてもらうため、準備を怠らないよう諭していると取れます。
こうした昌幸の考え方は、自身の経験によるところが大きいのかもしれません。昌幸が真田家の地位を高めることに成功したのは、時勢を読み、自らに有利な主君に仕えてきたからです。ただし、力ある者に擦り寄っていけば、生き残っていけるというものではありません。昌幸は敵方への調略が得意だったとされます。交渉や提案などの場面で、自らの主張や有利な条件を織り交ぜながら、主君や敵方などの了解を取り付けることに長けていたからこそ、高い身分になくても一目置かれたのでしょう。
また、力ある者にかしずくだけでなく、時には立ち向かっていった点も、昌幸の特徴です。徳川家康(とくがわいえやす)が対立していた北条家と和解するために、昌幸は従前に苦労して獲得した沼田領を明け渡すように宣告されました。これに対して、昌幸は猛然と家康に反発します。そして、城下の各地に徳川勢を分断して誘い込み、その大軍を撃退しました。このときの昌幸は、対立していた上杉景勝(うえすぎかげかつ)に幸村を人質に出すことで講和を結んでいます。これは家康や北条家との対決に備えて、双方と対立関係にあった景勝の支援を取り付けようとの意図があったようです。勝利を引き寄せるために、昌幸が入念に準備していたことがうかがえるエピソードです。
状況が大きく変化する戦国時代でしたが、昌幸は変わり身の早さが突出していたためか、「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」と揶揄(やゆ)されました。この言葉には、態度がころころと変わるという意味が込められています。表面的なプライドや名声を重視する人には分からないかもしれませんが、昌幸は真田家を存続させるという目的があったからこそ、表裏比興と呼ばれようとも手段を選ばなかったのであり、自社を存続させる重要性を知っている経営者には、昌幸の行動が理解できるでしょう。実質を重視する昌幸の姿は、次の言葉にも表れています。
「たとえ錦(にしき)を着ても心が愚かならば役に立たない」(**)
ビジネスでは、自社の要求をうまく提案したり、逆に相手から自社に不利な提案をされたりする交渉の場面が多々あります。重要な取引先など相手の力が大きいほど、どのように対応するか頭を悩ますのではないでしょうか。
弱い立場にありながらも、厳しい時代を生き抜いた昌幸の姿勢から、多くのことを学べます。例えば、交渉の際、相手の力が大きいほど、その要求に全面的に応えなければという考えが頭をもたげます。しかし、自社の選択肢は「譲歩」だけではありません。日ごろから誠実な対応が取れていれば、相手に強く主張することもできます。いつもは相手の要求に応えようと誠実に努力している自社が強く主張すれば、よほどの事情があるのかもしれないと、相手はこちらの状況を鑑みてくれる可能性があります。
もう1つ、力の大きな相手と対峙する場合に大切なのが、協力する姿勢です。ビジネスでは、戦国時代のように命を賭することはありません。多くの相手は自社を潰そうとしているのではなく、自らに有利な条件で交渉を進めたいという思いから、厳しい要求をしています。「相手の要求をのむ」「自社の要求をのんでもらう」というゼロサムではなく、相手も自社も現状の問題を解決し、互いのビジネスを発展させるという姿勢が大切になります。自社が相手と一緒になって解決策を出し合う雰囲気をつくることができれば、前向きな交渉へと導きやすくなるでしょう。
交渉を成功させるための前提は日ごろから誠実に対応し、価値ある商品やサービスを提供することです。この基本を徹底することで、新規の取引先であっても、既存の取引先であっても、自社を選んでもらうスタートラインに立つことができるのです。
【本文脚注】
本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載している内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしており、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴についても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではありません。
【経歴】
さなだまさゆき(1547〜1611)。出生地不明(出生年や出生地には諸説あります)。信幸(のぶゆき。後に信之)、幸村(ゆきむら。本名:信繁(のぶしげ))の父。
【参考文献】
(*)「戦国武将のひとこと」(鳴瀬速夫、丸善、1993年6月)
(**)「愛蔵版 戦国名将一日一言」(童門冬二、PHP研究所、2010年12月)
「産経新聞 東京朝刊(2000年10月3日付)」(産経新聞社、2000年10月)
「真田宝物館ウェブサイト」(長野市教育委員会 松代文化施設等管理事務所)
以上(2016年10月)
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