書いてあること

  • 主な読者:業績は上がらないし、社員は生き生きと働いていない。会社の経営指針を根本的に見直したいと考えている経営者
  • 課題:社員の幸福や会社の社会的意義も大事だが、業績が悪ければそれどころではない
  • 解決策:会社に関係する全ての人の幸福を最優先する「人を大切にする経営」を実践する。社員の頑張りに報いることができるための経営・財務戦略を行う

1 社員の頑張りに、きちんと報いられていますか?

前回は「“人財”を育てるための働き方改革」をテーマに、創造性やモチベーションの高い“人財”を育て、活用するための方法や実践事例を紹介しました。

第5回となる今回は、経営戦略や財務戦略といった観点から、人を大切にする経営を進めていくための方法を、実践事例を交えつつ紹介していきたいと思います。

「社員を大切にしているのに、業績が良くなりません」

「給与を上げたのに、社員は何も変わりません」

実際に、人を大切にする経営に取り組み始めた経営者の言葉です。この言葉が意味するのは、

単に「給与を上げる」「福利厚生を良くする」だけでは、人を大切にする経営は成立しない

ということです。

1)人を大切にする経営が、経営・人事・財務の3戦略の統合基盤に

人を大切にする経営における経営戦略とは、言い換えれば、

社員が頑張れば、きちんと報いることができる利潤が確保されるビジネスモデルを構築しているかどうか

です。これは、ただ社員の待遇を改善するのではなく、社員が会社の成長発展を自分事と捉えて頑張り、その成果として報酬を受け取るというプロセスを経るものです。

会社が継続して成長発展していくとは、すなわち、提供する商品やサービスが顧客に支持され、適正な利益を計上し、社員に業界平均以上の賃金を支払える状態を維持していかねばなりません。そのためには、どのような環境変化にも対応できるように経営戦略を体系化させ、将来の発展のための利益を計上できるビジネスモデルを構築することが必要となります。端的にいえば、自社の事業領域において価格決定権を有する、独自の付加価値で取引できるビジネスモデル構築です。

さらに、そのビジネスモデルを運営していくためには、働き方や評価制度などの人事戦略(前回の第4回で触れました)と、どんな不況になってもびくともしない財務戦略の両輪が必要となります。つまり、経営戦略、人事戦略、財務戦略という3つの戦略が統合されることで、より大きな効果を発揮できるのです。そして、3つの戦略を統合させるための基盤になるのが、人を大切にする経営なのです。

2)ビジネスモデルを再構築し続ける新宿区のレーザー機器卸売会社

レーザー機器の卸売業界は、為替変動など外部環境の変化が激しく、10年生き残るのが難しいといわれています。その中で、東京都新宿区にあるレーザー機器卸売会社は、28年連続で黒字を計上し、成長を続けています。

成長を支えている同社の経営戦略が、「市場の選択と構造変化への対応」です。外部環境は常に変化するものと捉え、日々、ビジネスモデルを再構築し続け、製品・サービス領域の拡張とシフトを積極的に行っています。具体的には、かねてからの主力製品である最先端の理化学用レーザー分野から、産業分野へと領域を拡張しました。さらに近年では、環境、センサー、医療など、常にその事業領域を先取りして展開しています。

この会社の経営戦略の基盤には、「規模をどうスケールさせるか」「いかにもうけるか」ではなく、人を大切にする経営があります。それは、同社が2007年に日本で初めて、経営者と社員とが出資して親会社から分離・独立するMEBO(マネジメント・エンプロイー・バイアウト)を行った会社だということから、お分かりいただけるかと思います。

2 人を大切にする経営で重視する4つの財務指標や考え方

では、人を大切にする経営を行う上で取るべき財務戦略についてご説明します。財務戦略を立案するために重視すべき4つの財務指標や考え方と、そのポイントについて解説します。

1)自己資本比率を50~60%に高める

自己資本比率は、貸借対照表の「自己資本/総資産(他人資本+自己資本)」で求められます。長期的視点で経営を良くしていく、社員とその家族を守っていくためには、最も重要な指標です。

この指標が低い場合は、財務基盤が外部環境の変化に弱いことを示唆します。自己資本比率を高めることで、「社員に安心感を与える」「長期的ビジョンで投資を行う」ことなどが可能になります。

人を大切にする経営を実践している会社では、この指標が平均して50~60%、高い会社では80%に達するという事例も枚挙にいとまがありません。その結果、同業他社がまねできない設備投資や、お客さまへの手厚いサービスが可能になるのです。

当然ながら社員の待遇も他社より良くすることができ、やる気のある人が自ら入社を希望してきますので、高い採用コストを掛ける必要もなくなるという好循環が生まれます。

2)「未来経費」は必要経費

「未来経費」とは、未来への投資を意味する経費であり、いうなれば将来への種まきです。商品・サービス開発などの研究・試作費や、社員の能力向上に資する社員教育費・研修費などが該当します。

上場企業においては、これらの経費は一定額が年間の事業計画に盛り込まれていますが、中小企業においては、ゼロという会社も少なくありません。“人財”育成費や研究開発費は必要経費として計画すべきで、景気の変動などによって削ってしまうのは、成長を目指す企業としては本末転倒です。

投資判断をするに当たって、財務のことを知っている人ほど、どうしても「もうかるか、もうからないか」「投資に対するリターン」という視点で考えてしまいがちです。「社員を幸せにできるかどうか」で考えるのが、人を大切にする経営の正しい在り方です。「人員を減らして効率化を図るための投資」では、将来への種まきどころか、将来の芽を摘んでいるようなものです。

3)社員1人当たり利益額を高める

労働生産性を高めることは、働き改革とも連動しており、社員の幸せに直結します。

労働生産性の指標としては、売上高対比の労働生産性や付加価値対比の生産性がありますが、この2つの指標では、社員1人当たりどれだけ実利を稼ぎ出しているのかが分かりません。重要なのは、粗利益や経常利益を、社員1人当たりいくら稼いでいるかです。この指標を年々高めていく経営を行っていくことで、真の労働生産性の向上を図ることができます。

4)経常利益率は7~10%が理想

利益についての考え方としては、利益は「目的」ではなく、会社の活動によって得られた「結果」ですので、短期的な変動に一喜一憂しないことが重要です。目先の利益を増やすために人員を減らそうなどとは、くれぐれも考えないことです。とはいえ、利益を上げていかなければ、長期的に社員とその家族を幸せにはできません。

「うちは経常利益率20%です」などと、利益率が高いことを自慢げに話す経営者もいます。しかし、その会社の財務状況を詳しく見てみると、社員の給料が地域平均や業界平均に比べて低いことが多々あります。これではいくら利益が出ていても、「良い会社」とは到底言えません。

指標とするべき利益率は、経常利益率で7~10%といったところでしょう。このレベルの経常利益率があれば、上記の3つの指標を満たしながら財務基盤を確立していくことが可能です。

第3回でもご紹介した、神奈川県横浜市にある新築やリフォームの工事および企画設計を行う会社は、顧客の口コミで企業業績は安定して推移し、利益も業界内では驚くような金額を計上しています。しかし、同社ではたとえ10%以上の経常利益率を出せる年度であっても、社員に還元することで7%程度に抑えるようにしています。社員に還元することで、更なるモチベーションの向上を図ることと、財務基盤のバランスを取っているのです。まさに、利益を目的としない、お手本のような財務戦略です。

3 社員に財務状況を開示して「自分事」に

中小企業、特にオーナー経営の会社は、幹部にすら決算データを開示していない会社がまだまだ多数派です。その背景には、「どうせ開示しても社員には理解できないし、もっと給与を上げろという社員が増えるだけ」との考えがあるようにみえます。

しかし、社員の側からすれば、「自分があとどれだけ頑張ればボーナスが増えるのか」や、「経営計画の目標に対してどれぐらい進捗しているのか」を知れば、モチベーションが高まります。会社の財務状況を知ることで、会社の業績が自分事になるのです。

先ほど紹介した、神奈川県横浜市にある新築やリフォームの工事および企画設計を行う会社では、社員の誰もが財務の「試算表」を閲覧できる状態にしています。同社の経営者は、「財務データを経営幹部が分からないような会社が、人を大切にする経営などできるわけがない」と語っています。

そのため、同社では新入社員や中途社員が入社した際には必ず、決算書の読み方の勉強会を計6時間行っています。勉強会で、これから働く自社の損益状況や内部留保がいくらあるかを学びます。これまで決算書など見たこともなかった社員は、口をそろえて「初めて見ました」「入社してこのような勉強会があるとは驚きました」と話すそうです。

4 社員が株主になると業績がアップする

先ほどMEBOの話をしましたが、人を大切にする経営を実践する会社では、社員に自社の株式を持たせるケースが増えています。社員の会社への帰属意識を強めることで、「自分の会社」という認識が生まれるとともに、経営への参画意識も高まります。

岡山県岡山市のソフトウエア開発会社は、2014年に社長が設立した会社が、経営幹部が設立した「役員等持株会」とともに、全株式を取得するMBO(マネジメント・バイアウト)を実施しました。この時点で、社長が51%、役員等持株会が49%の持ち分となりました。

そして、最後の仕上げとして2020年、新たに「従業員持株会」を設立し、役員等持株会とともに、社長の持ち分を全て取得する形でMEBOを実施しました。MEBO実施後の持ち株比率は、役員等持株会82.5%、従業員持株会17.5%です。同社はウェブサイトで、MEBOの目的とメリットについて、次にように説明しています。

トップダウンだけで意思決定を行わず、社員一人ひとりが考えて行動する「セルフヘルプ型」の組織経営によって、ボトムアップが行われます。ボトムアップが浸透すれば、社員はさらに自主的に行動し、経営に対しても当事者意識、参画意識を持てるようになります。つまりオーナーシップカルチャーの醸成が実現します。

同社の経営理念は「社員の幸福を実現する」であり、経営戦略として次の5つを掲げています。まさに、人を大切にする経営の見本のような会社だといえるでしょう。同社の業績は、社員の高いモチベーションと生産性を背景に、安定して推移しています。

  • 経営判断においては、業績優先ではなく、社員の幸福実現を優先する
  • WTI(お客さまが喜んでお金を払いたくなる気持ち)創造を心掛け、長期的に着実に利益が上がる仕組みを構築することを目指す
  • 非価格競争領域の業務拡大を目指す
  • 社員のリストラは行わない
  • 社員一人ひとりの可能性を信じ、創造性を引き出すことを目指す

5 人を大切にする経営で実現する「心のM&A」

今、日本の中小企業を取り巻く最大の課題は、後継者不足です。黒字会社の約半数で後継者が不在とされ、社長の平均年齢は年々高齢化しています。こうした状況の中で、中小企業が将来的な経営戦略、財務戦略を検討する上で避けて通れないのが、M&Aという選択肢です。

1)社員の幸せを優先する経営が、「買収してほしい」と請われる要因に

群馬県前橋市に、環境コンサルティングビジネスを手掛ける会社があります。同社はこれまで、5件のM&Aを実施して、グループ企業としての成長を続けてきました。ただし、M&Aの在り方や手法は、従来の規模の拡大や資本の論理に基づいたものとは大きく異なります。

同社によるM&Aは、規模の拡大を目的にして自分たちから仕掛けたのではなく、先方から請われる形で、友好的に実施してきました。

同社の経営理念は、「全社員の幸せを通して、世の中に貢献(ありがとう)の輪を広げ、幸福総和No.1企業を創る」であり、社員の幸せを第一に考えた経営を行っています。そのような経営スタイルは業界において認知度も高く、同業他社などから「御社で事業を引き継いでほしい」「再生企業の支援企業として名乗りを上げてほしい」と要請されるようになったのです。

2)買収の目的は「一人でも多くの社員とその家族を幸せにすること」

ご存じの通り、M&Aで最も難しいとされるのは、買収側と被買収側の組織統合です。多くのM&Aの場合、被買収側の社員のモチベーションは下がります。しかし、同社によるM&Aの場合、被買収側の社員は、逆にモチベーションは上がります。

なぜなら、同社がM&Aを実施する目的は、規模の拡大ではなく、「一人でも多くの社員とその家族を幸せにすること」であり、「心のM&A」を行うからです。同社の経営者は被買収会社の社員に敬意を表し、一人ひとりの価値を認め、彼らの意見に耳を傾けるようにしているそうです。そして、まずは彼ら自身に、自社をどうすればよいのか考えてもらい、自分たちで考えた改善プランを経営に反映させていきます。それによって、被買収側の社員にも経営への参加意識が醸成され、グループ全体の改革や改善にも積極的に取り組むようになります。

さらに、もし被買収側の給与水準が業界平均よりも低いと判断した場合、買収側の役員報酬をゼロにしてでもベースアップを行うといいます。買収当初の改善プランで生み出した利益の増額分も、被買収側の社員に還元されます。

結果として、買収側と被買収側の双方が成長しますし、組織統合は円滑に進むことになります。被買収側の社員の一人は、「初めは疑っていた。しかし、言行一致を目の当たりにするにつれ、信じてついていってもいいんだなと思えるようになった」と話します。

この事例は、M&Aを成功させるのも、人を大切にする経営理念や社員のモチベーションが重要であることを示唆しています。そして、M&Aを、売り上げや利益の拡大ではなく、幸せな社員を増やすために活用するという考え方の有効性も示しています。

会社はどこまでいっても社会的存在であり、業界や地域社会に対する配慮を欠かしてはいけません。後継者不足が深刻化することが想定されるこれからの時代は、「新しい体制になって雇用が増え、地域が活性化し、納税額が増えた」と言ってもらえるような、「人を大切にするM&A」が必要とされているのです。

以上(2022年8月)
(執筆 人を大切にする経営学会事務局次長 坂本洋介、水沼啓幸)

【著者紹介】
坂本洋介(さかもと ようすけ)

1977年静岡県生まれ。東京経済大学大学院経営学研究科修了。株式会社アタックス「強くて愛される会社研究所」所長、コンサルタント。人を大切にする経営学会事務局次長。著者画像1
主な著書に「社員にもお客様にも価値ある会社」(かんき出版)、「小さな巨人企業を創りあげた 社長の『気づき』と『決断』」(かんき出版)「実践:ポストコロナを生き抜く術!強い会社の人を大切にする経営」(PHP研究所)他、連載、執筆多数。

水沼啓幸(みずぬま ひろゆき)
1977年栃木県生まれ。法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科修了(MBA)。株式会社サクシード代表取締役。人を大切にする経営学会事務局次長。作新学院大学客員教授。中小企業診断士。地域特化型M&Aプラットフォーム「ツグナラ」運営。著者画像2
主な著書に「地域一番コンサルタントになる方法」(同文舘出版)、「キャリアを活かす!地域一番コンサルタントの成長戦略」(同文舘出版)、「実践:ポストコロナを生き抜く術!強い会社の人を大切にする経営」(PHP研究所)他、「近代セールス」等連載、執筆多数。

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画像:fizkes-Adobe Stock

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