かつてナポレオン・ヒルは、偉大な多くの成功者たちにインタビューすることで、成功哲学を築き、世の中に広められました。私Johnも、経営者やイノベーター支援者などとの対談を通じて、ビジョンや戦略、成功だけではなく、失敗から再チャレンジに挑んだマインドを聞き出し、「イノベーション哲学」を体系化し、皆さまのお役に立ちたいと思います。

第18回に登場していただきましたのは、福岡市に本社を置き、2018年にはTOKYO PRO Market上場を果たされた株式会社フロンティア 代表取締役 山田紀之氏(以下インタビューでは「山田」)です。

1 「『空手を辞めたら、自分はただのサラリーマンになるのか』という想いが湧き、独立を決意しました」(山田)

John

本日は、大変お忙しいところを本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございます! 山田さんは山口県徳山市(現:周南市)ご出身とのこと、私も山口県出身ですので、同郷にまつわるお話ができることも大変楽しみにしておりました!

早速ですが、山田さんのバックグラウンドからお伺いしていきたいと思います。ご両親の代から山口県にお住まいなのですか?

山田

私の家は曽祖父の代から両親まで、家系全員が山口県生まれ、生粋の長州人です! 

私の祖父は元海軍将校で、戦艦大和に乗っていた時期もある日本軍の軍人でした。また、「山口県は総理大臣を多く輩出している県だ」というのを小さな頃から聞かされて育っていたので、私も小さい頃は「将来は総理大臣になる!」と言っていましたよ(笑)。

John

私も総理大臣になりたいと思っていた時期があります(笑)。
総理大臣になるか、社長になるか、いずれにせよ「自分で何かを成し遂げなくては」という気持ちが強かったですね。山口県出身なら共感して頂けると思いますが。

山田さんは、どのような経緯で起業に至ったのでしょうか。

山田

私は10歳の頃から空手を習っていました。19歳の時には、重量級で全国3位という成績を残したこともあります。

社会人になってからは、お客様にお金を払って見に来てもらうような大会にも出場し、空手の選手として活動しつつ、トヨタ系ディーラーのメカニックとして従事していました。

24歳の頃、空手の選手としての限界を感じて引退を決意しました。
それと同時に「空手を辞めたら、自分はただのサラリーマンになるのか」という想いが湧き、独立を決意しました。

仕事の勉強も頑張っていましたので、会社では管理職という立場をいただいていたのですが、退職して、26歳の時に中古車販売店を立ち上げました。

John

空手選手という自分がなくなった時に、管理職としてご活躍されていた会社を辞めるほど「何かを成し遂げたい、何者かになりたい」という熱意が沸き起こってきたのですね。素晴らしいです。「このままで終わっていいのか」という気持ちは私も強く共感します。

2 「いろんな自動車のアクセサリーを買い集めて、ハンドキャリーで日本へ持ち帰り、Yahooオークションで、国内向けに販売しました。これが、私が自動車部品に携わるようになった最初のきっかけです」(山田)

John

中古車販売店からのスタートということですが、それがどのように、現在の自動車部品の事業へと繋がっていったのでしょうか。

山田

中古車販売店を始めた当初から、「このまま日本国内で事業を展開していても、大きくなれないな」と感じ、海外に目を向けるようになりました。

創業した翌年には1人社員が加入してくれていたので、彼に「香港に行ってくる」と宣言して、香港へ旅立ちました。

彼は今も、当社のナンバー2として活躍してくれています。

John

創業2年目で海外進出する行動力も、初社員の方がナンバー2として現在も働かれているという環境も素晴らしいですね。
なぜ、香港だったのですか?

山田

香港は元々イギリス領でしたので、右ハンドルなのです。日本の中古車が多く走っているという話を聞き、すぐに海を渡る決意をしました。

しかし当然そううまくはいかず、2年間通って売れたのはワンボックスカー2台だけ(笑)。

当時はまだアリババなども出てきておらず、オンラインでのビジネスは難しい時代でしたから、露店で中古車雑誌を買って電話でアポイントを取り、電車とバスを乗り継いで現地へ赴き、つたない英語で交渉する、そんな日々でした。
今から18年前のことですね。

John

何がきっかけとなって、事業を転換されたのですか?

山田

きっかけは、広州市の自動車部品街を知ったことですね。

「このままじゃダメだ」と思っていたところで、中国人の通訳から「電車で2時間のところに、中国の広州市というところがある。自動車部品の街なので、よかったら行ってみないか」と声をかけられたのです。

香港から電車でトータル3時間ほどかけて部品街に行ってみると、「すごい! 日本人だ!」「日本人を初めて見た!」とお店の方々にびっくりされました(笑)。

そこでいろいろな自動車のアクセサリーを買い集めて、ハンドキャリーで日本へ持ち帰り、Yahooオークションで、日本国内向けに販売しました。

これが、私が自動車部品に携わるようになった、最初のきっかけです。

John

面白いご縁ですね。
どのような商品を取り扱ってらっしゃったのですか?

山田

車内を木目調にするアクセサリーや、窓に貼り付ける装飾パーツ、キーホルダーなどは人気がありましたね。
時には、100円の部品が10倍以上の値段で売れることもありました。

Yahooオークションからスタートし、Yahooショッピング、楽天、Amazonと販売チャネルも広げていきました。

SEO対策もこだわり、どのようなキーワードを入れたら買ってもらえるのか、一晩中知恵を絞ったりもしていましたよ。

しかし次第に、トータルコストについて考えるようになりました。
飛行機で仕入れに行き、手持ちで運んで販売するという方法だと、トータルで考えると利益はほとんど出ていなかったのです。

そこで、利益率を上げるために、単一商品を中国で大量に作ってもらい、コンテナごと仕入れて販売する、という方向へシフトしていきました。

それが、私が自動車部品メーカーとなるきっかけです。

John

思い切ったご決断をされましたね。

3 「現在も当社の主力商品となっている雨避けのサイドバイザーに着目しました。特に、アフターマーケットにおいて、サイドバイザーを作っている業者はいないということに気がついたのです」(山田)

John

少数の商品を輸入して販売するスタイルから、まとまった数を製造して販売するスタイルへ転換されることで利益率が上がる一方で、在庫を持つリスクも伴いますよね。

初めはどのようなものを作られたのですか?

山田

そうですね。
当然リスクはありますので、製造する前に自動車部品業界に向けたヒアリングを綿密に行いました。

ヒアリングの結果、現在も当社の主力商品となっている雨避けのサイドバイザーに着目しました。特に、アフターマーケットにおいて、サイドバイザーを作っている業者はいないということに気がついたのです

「もし作ってくれるのであれば、1000ロット単位で買う」というお申し出もいただき、開発に着手しました。

今と違って、当時はインターネットで生産拠点を探すことが難しい時代でしたので、中国人の通訳さんと一緒に電話帳を開き、そういった商品を作れそうな工場を探すところから始め、候補となる工場を全てタクシーで見て回りました。

中国以外にも、マレーシア、台湾などへ行きサイドバイザー工場なども見ましたが、中でももっともコストを抑えられる、広州の工場に決定しました。

しかし、初めて広州の工場に発注した1000セットのサイドバイザーが、何と1000セット全て不良品だったのです(笑)。

John

全て不良品ですか!? 大ピンチですね! 初めてコンテナ輸入に着手され、今後の社運を託すための大切な製品ですから、ショックも大きかったと思いますが、どのように対応されたのですか?

山田

「何とかしなくては!」と必死でしたので、自動車整備工場で、1人で1000セット全て2次加工しました

車は4枚窓がありますので、1セットあたり4枚。
だから、1000セットになると1人で4000枚の2次加工ということです。

昼間の仕事を終えてから、毎晩作業を行い、12月でしたので大晦日も作業していました。

2次加工を終えて何とか出荷し、幸いお客様からは追加で1000セット発注をいただくことができました。

追加発注の際は広州の工場まで出向いて、前回の不良品について厳重に注意したのですが、次の1000セットもまた全て不良品(笑)。
再度、自分で2次加工することになりました。

John

考えるだけで気が遠くなりそうです。よくやり抜かれましたね。工場の方は厳重注意では改善されなかったということですが、その後どうされたのでしょうか。

山田

最終候補に挙げていた別の工場に変更しました。
そして、自社で商品管理の担当を1人雇ったのです。

何度も広州の自動車部品街に通っていましたので、現地で仲の良い方もできていました。その人に「誰か良い人はいないか」と尋ね、中国人で生産管理ができそうな方を紹介してもらったのです。

この時、私はあえて年齢が高く日本語が上手ではない方を選びました。
そういう方なら、他の日本企業からヘッドハントされにくく、長く勤めてくれるだろうと考えたためです。

その読みは当たり、彼は今でもしっかりと当社で働いてくれています。
今も日本語はほとんど上達していませんが(笑)。

John

あえて日本語が苦手な方を選んで、山田さんたちが努力してコミュニケーションをとるという選択をされたことで、長く関係が築けたと。逆転の発想ですね、勉強になります。

サイドバイザーの画像です

ナンバーフレームの画像です

フロアマットの画像です

上から順に「サイドバイザー」「ナンバーフレーム」「フロアマット」。
車両購入時に必ず装着する3点セット。この3点セットを作っている企業です。

4 「会社をいかに継続して成長させるかを考えた時に、上場の過程こそが組織強化につながると思いました」(山田)

John

製造ラインも整い、その後はどのように舵を切られたのですか?

山田

それからは、サイドバイザーの領域に注力しました。
アフターマーケットでサイドバイザーを作るメーカーは、いまだに当社を含め2社しかないのです。

日本では現在約420万台の新車が発売されていますが、我々のようなサイドバイザーのアフターマーケットのシェアは、全体の3%と言われています。

全体で3%、さらにその中に2社しかいないわけですので、いかにクオリティを上げ、利益率を高めるかの勝負になってきます

車の販売をしていた会社は売却し、香港へ製造拠点を設けて、連結子会社化しました。今では、当社は企画だけを行うファブレスのスタイルを取っています。

得意なのはプラスチックと電子機器
電子部品メーカー様ともお付き合いがあり、玩具・ゲームなどの発注も一部請け負っています。不良品の少なさ、安定した製造ラインと企画力をご評価いただいています。

John

なるほど。柱となるサイドバイザーの事業を確立しつつ、幅広く展開されているのですね。

主力製品であるサイドバイザーの強み、特徴についてお話しいただけますか? クオリティにこだわられているとのことですが。

山田

当社のサイドバイザーは、製造は中国ですが、素材は全て日本製のものを使用しています。プラスチックや自動車用の両面テープを国内で仕入れて、現地へ送って加工してもらっているのです。

また、もっとも重要な「いかに雨を入りにくくするか」という点は純正品以上にこだわり抜いていると自負しています。
新型車が出てから3〜4カ月間さまざまな検証を行い、開発に取り組みます。

もう1つ、これは業者様側のメリットとなりますが、取り付け時間が大手メーカーの純正品と比較して1/4の工数で済みます
工数が1/4ということは、人件費が1/4になるということですので、大きなメリットだと思います。
この技術は、現在特許申請中です。

世界中に売れる市場はありますが、まずは日本国内のマーケットシェア拡大に注力していきたいと思います。

John

メーカーにとっても、車の購入者にとってもメリットを生み出せているのですね。
貴社はBtoBの製品を扱っていらっしゃいますが、国内での販売先はどこで、どのように開拓されたのか教えていただけますか?

山田

自動車メーカーや、中古車販売店ですね。
特に中古車販売店については、皆さんがご存知のようなブランドは全て当社の製品を扱ってくださっています。

初めは地道にこちらから1件1件飛び込みで営業をかけていましたが、次第に評判を聞いてメーカーさんやお店からお声がけをいただけるようになりました。

John

地道な積み重ねがあったのですね。
会社のターニングポイントとなったのはいつ頃だったと思われますか?

山田

2020年で、当社は創業19年を迎えましたが、この19年間で上場準備とアベノミクスによる円安が重なった時期はもっとも厳しい時期で、会社の転換期でしたね。

円安というのは、輸入業者にとっては本当に厳しい。
また、上場準備にあたっては、上場コンサルタント、監査法人との契約などにコストがかかりました。

John

何年前から上場を目指していらっしゃったのですか?
また、上場しようと思われたきっかけは?

東証での画像です

山田

上場を決意したのは8年前、創業11年目の頃です。

会社の継続性を考えたことが上場を目指したきっかけでした。上場を目指すということは、これまで以上に組織体制を整え、強化していかなくてはなりません。

会社をいかに継続して成長させるかを考えた時に、上場の過程こそが組織強化につながると思いました

実際に上場準備を進める中で、経営理念を作り、経営戦略を考えていったので、非常に有意義な期間でした。

会社が大きくなるにつれて上場企業の経営者との接点も増えるようになり、彼らの話を聞いたりすることも非常に勉強になりましたし、影響を受けたと思います。

他にも本を読んだりセミナーに出たり、経営者としての勉強、上場に向けての勉強はかなり真面目に取り組みましたよ。

John

元々は空手一筋だったところから、経営者として成長しようと勉強を重ね、実際に上場を果たされた。

本当にすごいことですし、努力は報われるのだと感じます!

上場記念の盾の画像です

5 「上場準備室の立ち上げに2度にわたり失敗しましたが、福岡へ拠点を移し、0から採用活動を始めて、今の管理部を築き上げることができたのです」(山田)

John

現在、貴社は非常に順風満帆でいらっしゃいますが、山田さんの中で「この時期は1番大変だったな」と思われる時期はいつ頃でしたか?
また、どのようにそれを乗り越えられたのでしょうか?

山田

上場準備をしていた時期に、CFO含む管理部門の社員が全員退職という事態が2回ありました。

原因としては、やはり上場準備前の管理体制が煩雑であったことでしょうね。
管理体制がまだ出来上がっていない中ですので、監査法人が来るたびに、管理部門が責められてしまう。彼らにとっては大きなストレスだったと思います。

体裁を整えないとまず書類が出せない。
しかし、会計系の能力が必要だったのに、企画系の方を採用してしまったりという、ミスマッチもありました。

そもそも山口県でのリクルーティングは非常に難しいので、2度にわたり全員が退職してしまった時は、途方に暮れました。

そんな中、たまたま私が仕事で福岡の天神に行き、現地の知り合いから「うちのオフィスビルが天神にあり、今空いている部屋があるのですが、見にきませんか?」と声をかけてもらっていたのです。

「気分転換にちょっと見に行こうかな」とオフィス見学に行ったのですが、ビビッときました。オフィスの窓から神社が見えて、参道脇にあるオフィスビル。
そのロケーションが気に入り、5秒で契約を決め、福岡へ拠点を移しました。

上場準備室の立ち上げに2度にわたり失敗しましたが、福岡へ拠点を移し、0から採用活動を始めて、今の管理部を築き上げることができたのです

John

すごいストーリーですね! 鳥肌が立ちました。広州市の自動車部品街を通訳の方に教えてもらったという話もそうですが、チャンスを掴む人は山田さんのように人の話に耳を傾けていますよね。

採用は、やはり山口と比べると福岡のほうがスムーズなのでしょうか?
上場してから変わった部分もありますか?

山田

そうですね。
オフィスの利便性もあり、上場した現在では、募集をかければ30名ほど応募がくるほど、スムーズです。

上場して変わったところで言いますと、仕入れをする際にも先方のトップが商談に出てきてくれるようになり、交渉がスムーズに進みます。また、海外でも東証のマークの信頼度は非常に高く、その点でも上場して良かったと思います。

John

貴社のオフィスは、福岡でも著名なインキュベーションビルにあると伺っていますが、どのようなビルなのでしょうか。上場会社を生み出すことを目的としているのですよね。

山田

そうですね。初めから「起業家を育成する」というコンセプトでつくられた、インキュベーションビルでした。

ビルのオーナーさんは、福岡では有名なエンジェル投資家の方でした。
ビル設立の時から「IPOする会社を20社つくる」という目標があったのです。
入居の際にも、IPOを目指しているかどうかが審査基準の1つとなっていました。

当社が上場した際には香港でパーティーを開催してくれるなど、非常にお世話になりました。

John

力強い後押しが得られたわけですね。山田さんの話しぶりから、ビルのオーナー様への信頼が伝わってきます。

上場時の画像です

6 「中国以外の国でも言えることだと思いますが、相手の人種・文化・商習慣を勉強しなくては、良いスタートは切れません」(山田)

John

山田さんの会社では香港に拠点をお持ちですが、現在の香港情勢がビジネスに影響している部分はあるのでしょうか?

山田

今のところ我々には大きな影響はありません。
しかし、香港のスタッフが中国に渡れないなどのトラブルは起きていますし、今後どうなるかはわかりません。

ただ、不測の事態に対処するため、新たな拠点の模索というのは、実は常々行っています。同じ部品を中国以外の、アジアの別の国で作れないかという調査は、毎年行っているのですよ。

今後の中期計画において、日本回帰も含め、生産拠点の転向というのは考えていかなくてはと感じています。

John

常にあらゆる可能性に目を向けていらっしゃるのですね。

日本では、「海外に製造を任せてファブレス化したいが、うまくいかない」という声をよく聞くのですが、うまく成り立たせるポイントというのはあるのでしょうか?
納期への意識やクオリティなど、海外は日本とは違う点も課題ですよね。

山田

海外、特に中国の場合、納期とクオリティは100%の状態では出てこないと思っていたほうがいいですね。私の経験上ですが。

私の場合はデポジット(預かり金)を払って試作をし、すり合わせながら製造体制をつくっていくようにしています。

中国以外の国でも言えることだと思いますが、相手の人種・文化・商習慣を勉強しなくては、良いスタートは切れません

関係性ができてくると、少しずつデポジットもいらなくなり、納期を守ってくれるようになり、クオリティも上がってきます。

立ち上げ当初は、現地での日常会話や、遊びに行ける程度の中国語は覚えて、飲み会などのコミュニケーションも重ねましたよ。
最近では翻訳ソフトも発達していますし、距離は縮まっていると思いますので、積極的にコミュニケーションを取ってみるのが良いのではないでしょうか。

John

作ってくれる人たちの気持ちにも寄り添って、一緒に仕事をしていく仲間になるという共通認識を作っていかれたということですね。語学力は高いに越したことはないですが、「相手と人間関係を作りたい」という思いには語学力を超える力がありますね。

7 「自動車業界の中でも、特に自動車販売店で働く方々を幸せにしたいという想いがあります」(山田)

John

現在、貴社は上場2年目を迎えていますが、今後はどのような成長戦略を描かれているのですか?

山田

現在我々が上場しているTOKYO PRO Marketは流動性のない市場ですので、今後は流動性の持てる一般市場を目指していきたいというのは近々の目標ですね。

また、中長期的な目標としては、会社を100億円規模まで成長させたい
これまでの経験則から、私が現役の間に100億円は目指せる範囲だと思っています。

John

大きな目標ですね!

もう少しビジョン寄りのお話で、山田さんの経営目標、特に「ビジネスを通して誰を幸せにしたいのか」という面ではいかがですか?

山田

自動車業界の中でも、特に自動車販売店で働く方々を幸せにしたいという想いがあります。

自動車業界でもっとも人口が多いのは販売店です。
そしてコンシューマーとの窓口になり、直接関わる第一線でもあります。

しかしながら、1番利益率が低く苦労しているのも彼らなのです。
私自身も販売店の出身ですから、彼らを幸せにしたいという気持ちはとても強くあります。

販売店が利益率を高める方法は、整備や+αの売上を作ることですので、当社の作るサイドバイザーが、そうした利益率UPの一助となればと思っています。

彼らが幸せになれば、私も幸せに引退できますね。このビジョンを実現し、65歳で引退して海外で暮らすのが、私個人の夢です(笑)。

John

ご自身が販売でご苦労されていた時の想いが、今の事業に繋がっているのですね。

他にも山田さんのご経験から生まれた「ビジネスをする上で大切にしていること」はありますか?

山田

人間関係のつくり方は非常に大切にしています。
一緒にいる相手が気持ちよくいられる場をつくろうという想いを持って振る舞いますし、相手から何か学ぶかというのも常に心掛けています。

特に、成功している人の呼吸や仕草、話し方……。細かいところを観察し、一度完全に真似てみるようにしています

スポーツでも同じですよね。一流のスポーツ選手は皆さん、模倣からはじめて自分のものにしていますよね。

経営に関しても、同じことが言えると思っていて、意識的に実践をしています。

John

ハーバード・ビジネス・スクールでも同じことを学びましたよ。尊敬する経営者や有名人などに「なりきって演技をする」ワークショップがあるのですが、ハリウッドの演技指導者に一人一人指導を受けながら、自分がスピーチが上手いと思う人になりきって大勢の前でスピーチをしました。

普段の自分とは違う話し方や立ち居振る舞いを学ぶことによって、自分の殻が破れ、自信がつきましたし、普段から真似した人のようにあろうという心構えが出来ました。

これは、起業家を目指す学生の方々などにもどんどん伝えていきたい方法ですね。

では、名残惜しいですが、最後の質問です。
山田さんにとっての「イノベーションの哲学」は何でしょうか?

山田

イノベーションを起こすためには、開拓者たれ」、これが私のイノベーションの哲学です。

この想いは、社名の「フロンティア」にも表れています。
かつてアメリカ大陸を拓いた開拓者たちは、自ら新たな土地を見つけ、そこで新たな資源や需要を見出し、イノベーションを起こしてきました。

同じように新たな需要を見出して、イノベーションを起こし続けることこそが、企業が永続する手段だと思うのです。

社員たちにもこれは常々話していて、新しいものを考える習慣を持ち、フロンティア精神を持ってほしいと伝えています。

今市場にないものは、新しくつくる。市場がないのであればつくる。
そんな想いを持って日々取り組んでいます。

John

開拓者たれ! 力強く、素晴らしいお言葉ですね。

本日は貴重なお話を本当に愛りがとう(愛+ありがとう)ございました!

山田氏のイノベーションフィロソフィーを示した画像です

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2021年2月3日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

※上記内容は、株式会社日本情報マートまたは執筆者が作成したものであり、りそな銀行の見解を示しているものではございません。上記内容に関するお問い合わせなどは、お手数ですが下記の電子メールアドレスあてにご連絡をお願いいたします。

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